あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

時雨降る池に映りし寒椿  あきオジ

2010-11-29 21:25:04 | 日記
ひとり寝の紅葉に冷えし夜もあらん  子規

(これだけでは十分に理解できないのですが、背景にいただいた鹿の陰嚢製の煙草入れがあるのです。そのような下敷きがある句は好きでない私にはどうでもいいことですが、その辺りの言葉遊びを楽しめれば俳句も楽しいでしょうね。)

・・・・・・・

もずが鳴く森に夕日がさしかかり  あきオジ

2010-11-29 21:13:47 | 日記
秋の夜や紅茶をくぐる銀の匙  草城

(現代作家だけあって観察が鋭く鋭角的ですね。それがいいのかどうか分かりません。武骨で笑えるような句が好きなのですが、現代作家はこのような傾向ですね。この表現の良否を議論するのですから、神経戦ですね。句会を嫌う人が多い理由がわかるような気がします。)

・・・・・

山深し心に落つる秋の水 心敬

(いかにも僧が扱いそうな素材ですね。そして表現がそれらしい。でも、今一歩ぬけでた句であってほしいなどと勝手に思っています。)

・・・・・

手をあげてさよならしてる柿の駅  あきオジ

2010-11-29 15:30:04 | 日記
人去って行燈きえて桐一葉  一茶

木母寺の花を敷寝の蛙哉  一茶

(短い語数の中にあらゆるものを盛り込もうとするのが人情だと思うのですが、俳句とは引き算であり、余韻に語らせる技術を要する文芸ですから、文化的に共通した安定があって始めて省略が可能な文芸なのでしょうね。今の時代のように多様性が強調されるとと、価値観を同じくするのは結社という密室的な世界にしか生きられるないのかもしれませんね。)

・・・・・・・

濡れ落葉滑り転げててれ笑い  あきオジ

2010-11-29 15:23:06 | 日記
御嶽の料理店の入り口です。

・・・・・

生死の中の雪ふりしきる  山頭火

鴉ないてわたしも一人  山頭火

(「ひとり」と並べて変換すると「一人」「独り」が出てきました。使い方によっては意味合いが違いますし、景色も変わります。いつでも、そのときに気分で使い分けるのですが、そろそろ、文字の意味合いも考えられるようになりたいですね。)

・・・・・・

秋色の極楽橋をわたりきり  あきオジ

2010-11-29 06:41:17 | 日記
御嶽のつり橋です。
大げさな表現をすれば
橋には人生の向こうとこっちという境界があるような気がしますね。
大げさなことですが
ときどき「この橋途中で陥没したら自分はどうなるのだろう」などと考えてしまいます。
そんなことを意識させるのが橋ですね。

・・・・・

百方に借りあるごとし秋の暮  友二

(現代俳人の句には、「ゆるみ」が乏しく、笑えそうな内容でも、素直に笑えないし、裏がありそうです。そんな時代なのでしょうか。きっと、技巧的な笑いの中でしか生きられないのかもしれませんね。そんな時代感覚が面白いのですがね。)


秋色の大提灯ぬけ人込みへ  あきオジ  

2010-11-29 06:30:32 | 日記
スカイツリーの遠景です。
スカイツリーが見える撮影スポットを発見するのも
いま、流行っているのでしょうね。
屋形船から夜のスカイツリーを楽しむ。
そんな観光船も出てきそうですね。

・・・・・・

芭蕉野分して盥に雨を聴く夜かな  芭蕉

(最近、芭蕉をとりあげることが少なくなりました。完成度の高さとか視点の面白さ等は抜群ですし、品格もあるのですが、野卑な人間の生命力を感じないからかもしれません。生身の人間の愚痴とかぼやきもときには欲しいですが、求道の姿しか表現しません。美意識でしか見ようとしません。そんな雰囲気が苦手なのですね。きっと、そのうち「やはり芭蕉がいい」に戻ってくるかもしれませんが、今は、距離がありますね。)

東京の空を突き刺す塔になり  あきオジ

2010-11-29 06:17:36 | 日記
空へ若竹のなやみなし  山頭火

木かげは風のある旅人どうし 山頭火

(山頭火の句に「風」「旅人」がよく出てきますが「時雨」も多いですね。「時雨」や「風」は浄化作用をおよぼすものとして使われることが多いのかもしれません。単なる思いつきですが、そんなことを思います。それだけに詩人の感性が溢れているのですね。そうでなくては、ひらがな文字であたりまえ表現をしながら伝わってくるものがある句は作れないでしょう。そんなことを思います。)

・・・・

「愛」みんなで納得して使っているようですが
私には分かりません。
山頭火の句にも放哉の句にもそれらしい表現は出てきません。
二人には使わない理由もあるでしょうし
使えない理由もあるのでしょう。

・・・・・