あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

衆雨なりばたばた開く傘の音   あきオジ 

2010-11-18 18:53:18 | 日記
秋かぜのうごかして行く案山子哉  蕪村

(こんな風景、どこかに残っているのでしょうか。それはそれで楽しいことですね。)

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私の暮らしている周辺は東京都はいえ、「昔風」が残っていますし、山の竹下通りともいうばき高尾山も近くです。来年は周辺を歩きましょう。何か発見できるかもしれません。

何となく経読む坊主のくさめかな   あきオジ

2010-11-18 18:44:31 | 日記
師走の夜の吊鐘ならす身となりて  放哉

師走の夜のつめたい寝床が一つあるきり  放哉

(「帰る」家がある。それだけでも安心が得られるものですね。この句を読んで、そんなことを思いました。)

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西行は櫻の下で亡くなることを願っていましたが、私はコスモスに埋もれたいですね。
そうはいかないとしても、思いめぐらす。それだけでも嬉しいものです。

秋の夜は寒山拾得きめこんで  あきオジ

2010-11-18 07:17:39 | 日記
寒山拾得
よく分からない人物なのですが
二人のことは知らないのに
知られている。
不思議ですね。
でも、人里離れたところで
悠々自適な生活をしている
「仙人」に憧れるのは東洋人の血なのでしょうか。

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絵を描いています。
こっそり写真の間に紛れ込ませています。
お楽しみください。

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御仏の黄な花に薫りもなくて  放哉

山登りきて山の唄うたう  放哉

(最近、格調高い句よりも、当たり前の景色をそのままにした句が好きですね。ひねり技は好きではありません。どうしてでしょうかね。)

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これはこれそれはそれの秋しまい  あきオジ

2010-11-18 06:46:25 | 日記
腹あしき僧こぼし行く施米哉  蕪村

(大意 怒りっぽい貧僧が、コメの支給が少なかったことにぶつぶつ文句を言いながら歩いて行く。背負った袋から、大事な米をぱらぱらとこぼしているのに気付かずに。「施米」は平安時代の六月に、朝廷が山寺の貧しい僧に施した制度のこと。)

(絵になる景色ですね。蕪村の軽快な筆致で描かれた絵に出てきそうですね。傍観的に「絵になりそう」そんな思いの句のように思えます。)

山間の造り酒屋に時雨かな  あきオジ

2010-11-18 06:30:33 | 日記
青梅線沢井駅前の古民家です。
今は造り酒屋の敷地におさまっています。

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秋風や桐に動(うごい)てつたの霜  芭蕉

東にしあわれさひとつ秋の風  芭蕉

(ときどき芭蕉は室内で外の空気を想起して俳句を作っていたのではないかと思うことがあります。体感されたリアリティが感じられないことがあるからです。どうしてでしょうか。この句なども句会で発表され、その後、何度も、言葉を選び直し、構想を練り直したのではないと思います。素人があれこれいうのもおかしいのですが、構想的美学が芭蕉の中心ではないかと思うのです。どうなのでしょうかね。まだ、読み始めです。あれこれ決めつけることないでしょう。何しろ、句を拾うのは楽しみなのですから)

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寒くて起きるのが辛くなってきました。
いつもきの時期から夜型にシフトしているのですが
夜は早く寝たいし・・・
年寄りは生活のコントロールが案外難しいのです。