あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

平らなる池に重なるもじみかな  あきオジ

2010-11-21 19:02:10 | 日記
紅葉が散っているのです。
苔むしたところに散っている風景
その美しい色合いがいいですね。
これで昭和記念公園は長い冬眠のような日々になるのです。
寂しいですね。

・・・・・・

雪のあかるさが家いつぱいのしづけさ  山頭火

誰か来そうな雪がちらほら  山頭火

(来年になったら、時代を追うとか、日記を併記するとか思ったりもしましたが、止めました。ただただ無秩序に気まぐれに読み続ける。それがいい。研究者になるつもりなど最初からなかったし、これからもない。我がままにそして、気楽に楽しむのがいい。)

紅葉散り読経流れる深大寺  あこオジ

2010-11-21 18:51:18 | 日記
皇帝ダリアが精いっぱい背伸びしています。
背をかがめて寒風が抜けるのを待つ。
そんな生き方が似合うようです。

・・・・・

我がでに我を招くや秋の暮  蕪村

(自分で自分を手招きしてみる。秋の夕暮れのものさみしさに。そんな訳がありました。)

木曽路行きていざとしよらん秋ひとり  蕪村

(一人であること。これが俳句の原型なのですね。家族仲良くとか、定住して幸せでしたというような文脈の句は見かけませんね。一人きりの寂しさに懸命に耐えている。一人でいることを受け入れるのは辛いけれど、それしかない。そんな意味合いの句が圧倒的に多いですね。現代作家の場合は、「貧しく」「悲しい」を想定して演じていることが多いのですが、山頭火などは、どの範疇に入るのでしょうかね。)

・・・・・

大輪の菊がふるえる鐘の音 あきオジ

2010-11-21 18:48:04 | 日記
神代植物公園では菊の展示会が行われていますが
一週間のために丹精を込めるのですね。
ご苦労様です。

・・・・

我菊や形にもふりにもかまわずに  一茶

(我が菊とは妻の菊をさしていると思うと「なるほど」ですね。)

猫の子がちよいと押へるおち葉かな  一茶

・・・・・・・・

「生きている」落葉の森はありがたき  あきオジ

2010-11-21 05:35:04 | 日記
雪降る其中一人として火を燃やす  山頭火

(金子兜太は「放浪行乞」の中で「内奥の火をたやすまいとしていう心意の句とみて間違いない。」と解説しています。そのようにも読める。でも、それは出家者としての覚悟のしかたについての見方であり、酒がどこからも届いていない程度の不満ともよめる。其中とは、山頭火が暮らした庵です。)

「旅に出た、どこへ、ゆけるところまで。旅人山頭火、死場所をさがしつつ私は行く、逃避行の外の何物でもない」

(日記の中の一文です。覚悟の大きさ、それもあるし、そうはいかない現実もある。それを承知したのでしょうかね。この句を作った年、2・26事件が勃発している。)