平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い99 戦争!8月22日の2つの悲劇と集団的自衛権

2015-08-23 10:19:52 | 日記
 平和の希い99 戦後70年 
     戦争!8月22日の2つの悲劇と集団的自衛権

 Ⅰ.終戦1年前の、1944年8月22日、対馬丸撃沈事件
敗戦を重ねて、ついに1944年7月7日サイパンが占領された。「次は沖縄」と判断した「軍」は、多数の兵士が沖縄に
移駐し大量の食糧が必要となり、足手まといになる民間人を県外へ移動させることが急務となり政府に要請。
政府は、奄美大島や徳之島、沖縄の年寄り・子供・女性を、本土へ8万人、台湾へ2万人合計10万人を島外へ疎開
させるよう沖縄県などに指示した。そして悲惨な事件に巻き込まれたのです。
1944年8月22日、政府命令による学童疎開輸送中の「対馬丸」が米潜水艦の攻撃を受け撃沈した。犠牲者数は、
1476人。子供たちは「ヤマトに行けば汽車にも乗れるし、雪も桜見られる」と修学旅行気分だったそうです。

Ⅱ.終戦直後の、1995年8月22日、3船遭難事件
終戦直後の8月21日、南樺太(現サハリン南部)から逃れる女性や子供など邦人を乗せた3隻の船、「第二新興丸」
「小笠原丸」「泰東丸」が5082人を乗せ、北海道の留萌港目指して出港した。8月22日早朝から午前中にかけて、
潜水艦による攻撃を受けた。抗戦した第二新興丸は留萌港にたどり着いたが、他の2船は沈没。3船合計で1700人
以上が死亡。
8月9日に、対日参戦したソ連が、北海道北部の占領を計画し、先遣隊として派遣された2隻の潜水艦が留萌沖にいた。
8月22日早朝から午前中にかけて、潜水艦の付近を通過した3船が攻撃されたのです。
23日午前0時に「攻撃禁止」の命令がおり、ソ連指導者スターリンが上陸作戦を中止したとされているようです。

戦争は、人類最悪最大の人災です。このような悲劇を、世界中どこでも起こしてはならないのです。
ですから、日本は、憲法に違反し、戦争に通ずる集団的自衛権を含む安保関連法案は絶対廃案にするべきなのです。
孫や子供たちが戦争に駆り出されないためにも。膨らむ防衛費を福祉などにまわすためにも。