平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い 80 安倍総理の歴史認識と集団的自衛権

2015-08-01 17:43:23 | 日記
    平和の希い80 戦後70年 
     安倍総理の歴史認識と集団的自衛権

 東条英機などA級戦犯が死刑となった東京裁判(=極東国際軍事裁判)についての安倍総理の見解。

この東京裁判について安倍首相は2013年3月の衆院予算委員会で、
 「先の大戦の総括は日本人自身の手によることではなくて東京裁判という、いわば連合国側が勝者の判断によって
その断罪がなされたんだろう」と、勝者側の一方的裁判だから認めたくないみたいです。
 第1次安倍内閣も含め、歴代内閣の見解は「サンフランシスコ講和条約第11条により極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しており、
国と国との関係においてこの裁判について異議を述べる立場にはない」と言ってきたのに。

  安倍首相は第1次内閣時の06年10月の衆院予算委で、A級戦犯が問われた「平和に対する罪」を事後法と位置づけ「罪刑法定主義上、
犯罪人と言うこと自体がおかしい」と主張。
翌年2月には、無条件降伏だったか否かを問う質問主意書に「さまざまな見解がある」と政府の見解を事実上、修正してもいる。
 侵略行為を認めながら、「学問的に定義は確定していない」とする主張は、「集団的自衛権が憲法の範囲ない」とのの主張同様分かりにくい。
ただ「侵略と断定したくない」という本音なんでしょう。
 
 安倍首相の歴史認識には祖父の岸信介元首相の影響を受けているみたいだ。東条内閣の商工相などを歴任、不起訴となったもののA級戦犯
容疑者として勾留された岸氏は、回想録で「追い詰められて戦わざるを得なかった」と自衛論を述べている。
追いつめられるようなめちゃくちゃな侵略をしてきたくせに。近隣諸国や自国で数百万人の命を犠牲にした戦争責任は、重い筈。

A級戦犯は、割腹自決するべきだった。
 太平洋戦争に対する評価、特に「侵略」だったか否かについての見解は 「侵略戦争をどう定義するかという問題も当然ある。それが確定して
いるかといえば、まだ学問的に確定しているとは言えない」と言っていた。


このように、おじいちゃん子の安倍総理は、おじいちゃんを庇う歴史認識なのではないかと疑いたくなる。
このような歴史認識で、国民を戦争やテロの危険に巻き込む「憲法違反の集団的自衛権」をごり押しされてはたまったものではない。
安保関連法案は絶対許せないのです。廃案にするべきです。
孫や子供たちが戦争に駆り出されないためにも。膨らむ防衛費を福祉などにまわすためにも。