城郭 長谷川博美 基本記録

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滋賀城郭 彦根東高校卒業生の人との会話

2020-03-08 11:55:49 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、
滋賀城郭 彦根東高校卒業生の人との会話
城郭ビイスタ論 上文字クリック

対話者
長谷川先生!僕は城の町近江八幡市に
産まれ城の町の彦根東高校に通学して
ました。戦前戦後を通じて近江安土城
の縄張について放射状のプランが存在
すると言う画期的学説を唱えられた城郭
研究家は長谷川先生が唯一無比で先生
以外におられません。僕は先生の安土城
放射線縄張論、ビスタ理論に本当に驚愕
しました。万人が気付けない事に気付ける
事は驚くべき事です。また佐和山城の本丸
に土塁を見学される御婦人の城址見学力の
深淵と慧眼にも僕は大変、驚愕しおります。

対話者様
私は安土の前身の城小牧山城の三段石垣や
小牧城の縄張りにも放射状縄張がある事を
長谷川先生が指摘されてこれも驚いてます。
対話者
また先日小谷城大野木屋敷の三段石垣を
見学したときに秀吉は天正3年も小谷城
に『信長公記』では居城し信長さえこの
小谷城に宿泊した記録があり大野木屋敷
の驚異の段々石垣を見せられて圧倒され
ました。こんなところに岐阜や天正大坂
城と同じように三段石垣がある事自体に
僕は驚きを、隠せませんでした!先生と
同道して城址を見学すると我々が見落と
している事象や事案を先生は親切丁寧に
解説されてくれる事に、私は驚くのです。
一般社会とは、一般に有能な人や優れた
学識や見識を持った逸材を、看破する事
が、何時の世も出来ないのです。先生は
著書を著して、城郭の真の大道を開いて
欲しいと、僕は常に願っているのですよ。

対話者
学校の日本史先生でさえ長崎平戸の出島
でさえ扇型に設計されている事を自体を
全く教えないし気付いてはおられまん!
これが歴史の現実と言う事を学びたい!

長谷川
そうですか?私は素朴で平凡なだけの人
佐和山城本丸の土塁を見学する人もまた
素朴で平凡な古城見学の人だと私は思い
ます。日本人が素朴や純粋を取り戻した
時や素朴な真心の本質に目覚めた時こそ
大切な事ですよ。この写真の、足もとに
現実に存在するのは小谷城福寿丸の土塁
の跡つまり城の壁の跡ですから是を見る
と言う事は単純な事であり平凡な事です。
ただ単に正直に城跡を素朴に見学する。
シンプルで単純正直素朴な事なのですよ。
日本人は言葉文字風説でなく実際の足元を
見る冷静で賢い、人々だと本来思います。
▼佐和山城本丸の土塁を素直に見学する人▼小谷城福寿丸の土塁を見学する素朴で素直な人々
長谷川
あるがまま。素朴に現地遺跡を見学する事です。
以下の資料は2010年の記録現在は2020年です。

対話者
どんな形状の城址なのですか?
長谷川
この図面の載っているだけの遺構を解説
するのに一日を要します。武技に精通し
た玄人衆が縄張りした事は一目瞭然です。
行っても解らなかったと言う前に城址を
見ようとする心構や堀や土塁を見学する
基本を身に付けてから歴史の深層を体験
して下さい。この城址は滋賀型ではなく
東海型の一様式を、持っている事は城を
見る人であればだれでも解る事ですよ。
多賀町佐目での素朴な学習会
みんな
信じられません。長谷川先生の学説は
もう既に2010年にみんな知っていた事!
2014年には大規模な講演も実施された!
長谷川
よくよくみなさん考えてみて下さい。
現在大坂城の石垣の下には豊臣秀吉
時代の下段中段上段の石垣が、確認
されている。あの安土城の天主石垣
が何者かにより壊されて元来の天主
の石垣の「上端」は壊されている。
秀吉の出世城、長浜城も徳川の政策
で廃城になった。近江八幡山城でも
山頂の本丸の石垣の更にその中から
別の近江八幡山城の石垣が出土して
いる。あの石垣がないと信じられて
きた尾張小牧山城から三段の石垣が
突然出土した。我々は日本史を文字
だけで学んできたから文字や言葉に
眩惑されてきた今一度土塁や石垣を
安土城を佐山城を考え直す時期到来
しているのでは、ないでしょうか?
突然長浜市内の中心から余呉城郭
研究会なる素朴な城址見学を希望
の純粋な城址見学が登場してきた。
この自然で素朴な社会現象は一体?
なんなのでしょうか?
余呉城郭研究会のみなさんの目や心澄んでいます。
ちやんと遺跡を真面目に在るがママ見学してい。。

コメント (5)
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新日本紀行とぽっんと一軒屋の比較研究

2020-03-08 10:47:43 | エッセイ
新日本紀行とぽっんと一軒屋の比較研究

民放で放送されているぽつんと一軒屋の
視聴率が高いと言われている。かってN
HKで放送されていたドキュメンタリー
番組の新日本紀行の視聴率の驚異的高さ
は変わり行く昭和日本の現状やその家族
や地域のありのままの現実を記録して高
い、全国的、日本的、視聴率を誇る番組
だつた。令和の現代社会においてぽつんと
一軒屋と言う番組は日本の多くの山村に住
む人々や、都会に出て過去の山里暮らしを
階層する人々にとりこの番組は日本人の心
のふるさとの原風景を映し出したもの日本
に暮す人々は往古より「やまと」つまりは
「山戸」とも言うべき山暮らしを基盤に置
く民族が日本人の本質と言えようか?さて
NHKの新日本紀行では、印象的な富田勲
氏の重厚である意味で陰鬱な真柏性のある
ドキユメント番組であったのに対して司会
の所ジョージ氏は客観的で陽性な雰囲気を
醸し出している事にも着目したい。新日本
紀行がドユメンタリーそれも一種の悲壮感
やネガテイブ感覚や負の特徴を持っていた
のに対してぽつんと一軒屋はポジテイブな
陽性な番組作りをしている事に、気が付く
しかしその番組を視聴する日本全国の人々
はかってのNHKの人気番組新日本紀行と
おなじ山国日本に住む日本人の深層心理や
故郷への哀愁、都会で暮らす人々の郷里へ
の望郷の念と言う日本人の多くの老若男女
が心の根底に持っている。山里くらしの
憧れや深層心理を深く分析配慮した番組作
にに今更ながら感心する。権力、名声、地位、
と日本の歴史に燦然と輝くあの太閤秀吉で
さえ自らの居城のなかに山里郭なる精神の
休養、保養をすべき、施設を作っている事
でも解る。輝くばかりの繁栄と日本人の
精神文化の根底にある山里への憧憬、帰巣本能
山国に住む「やまと」の人々の心底を心得た
番組とも言えようか? 今日も何百年もの昔の
故郷の城に人知れず苔むした石垣を見て人々は
長い歴史の悠久の時間のながれや、うつろい
令和の哀歓を深く感じるものなのであろうか?
▼小谷城 伝大野木屋敷 三段石垣素晴らしい遺構だ!

▼小谷城福寿丸より望見する山脇山、丁野山、山本山、竹生嶋



コメント (1)
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