城郭 長谷川博美 基本記録

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賤ケ岳合戦の実像は余呉庄の戦い!

2020-05-03 02:33:05 | 社会観察
賤ケ岳合戦の実像は余呉庄の戦い!

一般様
賤ケ岳合戦は賤ケ岳周辺だけだと思い込んで
いましたが記録を読むと天正11年3月に既に
羽柴秀吉と柴田勝家の大規模な対陣が余呉町
片岡天神山城を中心に展開され、柴田方前線
大将佐久間玄蕃盛政を中心とする先方部隊が
余呉行市山に陣地を構築して片岡天神山へと
柴田軍が手出しをしたら兵数で優る秀吉方が
是を包囲殲滅する策戦が失敗して天神山城2
城を撤廃した事を初めて知りました。緒戦で
描いていた秀吉の柴田を水田部に誘い出す策
が成功せず戦線が膠着しト山岳築城戦になった
事を初めて知りました。賤ヶ岳合戦は天正11年
(1583)4月21日から22日にかけて、長浜市の
木之本町の賤ヶ岳から余、呉町の柳ヶ瀬までの
地域を中心に繰り広げられた戦いですが、私達
一般の人は21日と22日に戦いであり長期戦用
の城塞が築かれたとは全然思わないのですよ。
やはり文字歴史、イメージ歴史に影響され中に
合戦を解釈するイメージ論に影響されやすい。
▼片岡天神山城跡 写真中央右「長浜市余呉町」を眼下に俯瞰する。

長谷川
賤ケ岳合戦の実像は余呉庄の戦い!です。従っ
て合戦に際して用意されたインフラつまり陣跡
や軍道や砦の跡は余呉町域に多いという実態、
実情や現状があります。この約60日間には軍事
状況つまり戦局の変遷推移があり合戦記録から
漏れた陣跡は数多い事でしょう。羽柴VS柴田
の勝敗を決定した、21日と22日と言う固定概念
は何万と言う将兵が長期滞在した長陣の現実を
つまり寝泊りする宿所を全く念頭に入れてない。
何処で食事し、どの様に兵糧を、補給したのか?
現代で言う所のライフライン「生活物資補給経路」
を全く無視して合戦を語る事は出来ません。当時
は携帯電話がありません。如何に人的連絡手段を
確保したのか?如何に敵軍を察知するに陣営を展望
のよい、また敵の攻撃から守るに利便な要害地形に
陣所を構えるかが重要な、合戦を構成する要素です。

対談者
私は記録から漏れた陣や捨てられた陣城がある
と戦国現実や常識から考えて当然存在するハズ!

一般者
それは無いでしょう!歴史にない城址を発見し
てもそれは歴史に書かれては居りませんから!

対談者
チョツト待って下さいよ!歴史って文字だけなの?
現実や事実が存在して初めて合戦の真相が語られ
るべきでしょう!現代でも交通事故が発生した時
には事故現場に警察が到着して事故現場の記録や
確認をされる。其処には車のスリップ痕跡の有無
やガラス片の採取や塗料の採取や現場検証事故証明
検証がなされます。長谷川先生!余呉庄の戦いの
現場検証と言うか現実の遺跡を是非教えて下さい。

長谷川
現代社会も冷静に大観いたしましよう。城郭遺跡
を知りたい。合戦の実態真実を知りたいと言う声
は日本には非常に少ないのです。現代は公共公益
に関わる、産業道路、生活道路、林業道路の建設
の進捗を計画どおり進捗させる事が現代の善です。
遺跡があるから工事をストップしろと言う人には
私は反発賛成できない近寄らない。私は遺跡とは
常に壊れるものだと、形あるもの全て必ず壊れる。
遺跡が壊れる前に是を冷静に見学しておく事こそ
本当の歴史研究家であり歴史を冷静に正確に歴史
を学ぶ事です。日本全国遺跡だらけです。ある日?
突然市指定遺跡が突然指定遺跡を解除され新しい
社会建設の為に城山全山が無くなる事に私は社会
の当然の宿命、だと思います。また日本人は正確
な歴史の事実には全く興味を示さない本質がある。
日本人は常に、本音と建前を使い分けて忖度する
勝ち組の仲間に参加したい願望が潜在致します。
勝てば官軍。負ければ賊群軍。いつの世も同じ。

対談者
でもハイキングや登山で偶然城跡を発見される人
もおられます。同じ山に登っても景色や植物野鳥
に興味を持ち私達戦国の現実の城郭遺跡を見学し
勉強し体験する機会に真実歴史を見る機会が無い。

長谷川
そんな歴史の真実現実を知りたい人などいません。
歴史とは一般の人にとり紙の上のインク印刷され
た薄ペラな文字こそが歴史で現実遺跡を歴史とは
思わないものなのです。見ても無かった事にする。
▼実際の今回登場匿名城郭近辺の軍道の迫力!

対談者
でも昔、柳ケ瀬山とも内中尾山とも呼ばれた柴田
勝家の本陣は玄蕃尾城と言う遺跡名称になり現代
の我々は生々しいその壮大な遺跡を見て驚きます。
大昔長谷川先生と行った時には笹薮のただの山と
思っていたのにこんな観光行楽資源があると思わ
なかった。面積の60%は滋賀県なのに福井県とは
是を見事に活用して歴史観光資源の礎としている。
まだまだ余呉庄の合戦の痕跡はあるのでしょう?
是非長谷川先生その場所をネットで教えて下さい!

長谷川
イヤですよ!私は遺跡保護派でありません!開発
優先派です。と言うより公的工事や林道進捗する
事を望む良識派、遺跡の場所は地図に表示しませ
ん。しかしこんな城があるこんな陣がある、現実
は心ある人と壊れる前に見学勉強したいとも思う。
これは歴史問題ではなく社会問題です。私は善良
な市民です。林道が進捗する事を希望を致します。

対談者
是非道の陣跡、城郭遺跡を写真だけでも紹介を!
▼今回紹介の某砦の主郭部と折れ長土橋の現実!

長谷川
是が某陣所の巨大腰郭平面です。山中に突然出現して驚きます。
長谷川
上記陣所の縄張図の下書きでまだ未完成です。
縮尺定規り下が長さ約60mの腰郭です。下書
▲土塁と兵員を隠す伏兵削平段が生々しく残ります。
▼中央部が土塁を用いた砦です。右に下に半円形の腰郭。下書

▲砦の横には軍道の跡も生々しく残っております。
▼図面を方向を変えて観察しましよう土塁や虎口は明確です。
対談者
長谷川先生簡略な立体図でこの砦を図説して下さい!
長谷川
土塁虎口や砦主部の縄張もコンパクトながら調ってます!

対談者
これは織豊系陣城ですね!縄張りのセンスも一廉の武将らしい!

長谷川
そうかもしれません!かなり手練の武将の縄張と思われます。

▼軍道を行く田畑理事の影の活躍と貢献が素晴らしい!

▼全長150m以上にも及ぶ巨大陣地の全体像です。下書
質問者
砦と一本の長い土塁が付属している実例がありますか?
長谷川
ありますよ。米原市の枝折城の図面左手も長塁です。
長谷川
合戦場で現地長塁を見落とさない事も古戦場を
を見る目を養う事も非常に大切な事なのです。
▼余呉山中で巨大な土塁の現場を見る宮本さん。

コメント
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