城郭 長谷川博美 基本記録

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栃木県さくら市勝山城から日本の城を考える。

2024-10-04 20:22:01 | 関東の城 ビイスタ工法

栃木県さくら市 勝山城から日本の城を考える。

◆質問者

長谷川先生は何故城郭ビイスタ

を考察分析されるのでしょうか?

 

◆長谷川

1

私には城を教えてくれる先生も

弟子も全く存在致しません此れ

は私に人徳と学術が備わらない

不肖の人間である事の証です。

2

ビイスタ論投稿したとて日本国

には誰も私のブログを読んでる

人は皆無に近いと言えます私の

肉体は確実に滅びます。私の身

は長く持ちません。若く有能なる

弟子が集まれらない事は必定で

す。しかし若い世代の人が私の

ブログを1人でも読まれていたと

して私の研究の継承者が欲しい

です。そう研究家としては素朴に

純粋な精神で私は思っています。

 

◆質問者

昭和、平成の城郭の先生が長谷川

先生の様なビイスタ理論を語られな

い理由は一体なんなのでしょうか?

 

◆長谷川

簡単な事ですよ。日本のノコギリは

引いて木を切ります。ドイツノコギリ

は押して木を切る習慣が定着して

います。昭和平成に城郭ビイスタ

論が登場しなかつた事は学術習慣

が日本国の本来の城の縄張術を

分析しようとしなかつた訳です。

これは日本食和食には箸を使う

習慣が有ったのに世の中全員

がフオークとナイフで日本食を

食べると統一習慣がついて事

従って私の城郭ビイスタ論は

現在城郭をしている方々には

奇異にみえる異端に感じる理

論であると言えます。人間とは

一度習った記憶は消えないと

言う大脳生理学が存在する。

従って日本の大衆はビイスタ

に全く関心を示せないのです。

 

◆対談者

仕方ありません今夜もビイスタ

と言う行先のない夜汽車に乗

る事にいたしましよう。CCRの

ミッド、ナイト、スペシャルでも

聞きながら夜の城郭ビイスタ

でも考えましょう。

 

ウイッキペデイアより引用

勝山城(かつやまじょう)は、栃木県さくら市にあった

中世の日本の城宇都宮氏一族の氏家氏の居城、のちに

芳賀氏の支城だった。別名を氏家城

歴史・沿革

[編集]

建久年間(1190年 - 1199年)に氏家公頼が築城し

氏家氏の城となる[1]

南北朝時代1336年 – 1392年)、氏家綱元の時に

氏家氏の家系が絶えてしまい、芳賀高家の子・

芳賀高清飛山城から移り住み、芳賀氏の城

となった[1]1597年慶長2年)に主家の

宇都宮国綱豊臣秀吉によって改易されると

勝山城も廃城となった。現在は、勝山公園

さくら市ミュージアムとなっている。

◆長谷川

勝山城は典型的な重複ビイスタ

によって全体を縄張されてます。

◆長谷川

これは何も珍しい縄張ではなく

福井城の本丸の縄張

美作津山城の重複ビイスタにも

信濃 小諸城にもある城郭

ビイスタスタンダード理論

と言える日本の城には頻出

する定番縄張と言えます。

◆長谷川

大和郡山城もこのタイプの縄張

と言えます。

◆質問者

栃木県さくら市 勝山城

この城には昭和40年代の航空

写真が残っており、この写真か

ら勝山城のビイスタが解ります

か?

 

◆長谷川

本丸は正確にビイスタ工法

が施工された整合性がある

◆長谷川

本丸は赤青黄色の三方から

ビイスタ測量した事が解ります。

◆質問者

長谷川先生今夜も貴重な解説

に深く感謝を申し上げます。

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