城郭 長谷川博美 基本記録

城郭遺跡見学講師 信長公記講師 お城イベント案内 民俗学講師  神道思想史講師 などの情報を発信して行きます。

大谷吉継の先祖の砦か!?大谷山砦余呉城郭研究会様

2020-05-23 08:19:35 | 民俗学
大谷吉継の先祖の砦か!?
大谷山砦余呉城郭研究会様の活躍!

◆大谷吉継の出身地は一般に九州説が長く流布
していた。しかし近年は、長浜市余呉町小谷
「元は大谷」であろあうとする説が有力である。

◆地誌『淡海温故録』には大谷氏の先祖は近江
国坂田郡より伊香郡大田谷に至りこの谷を開墾
して大谷氏が興ったと記述している。吉継を私
の様な「江越の人」北近江福井県嶺南部敦賀市
に縁故のある人と考えれば後に太閤秀吉が吉継
を越前敦賀城主に任じて長年の功績報いる温情
を示している事は整合性があろう。私がもしも
敦賀に就職できたら敦賀は他所の国や県でなく
地元と言う意識や感覚がある。敦賀レストラン
のヨーロッパ軒の、ロシア料理「スカルプ」や
「カツ丼」や敦賀の海産物の格別の美味しさだ
また今庄蕎麦の味こそは格別に美味であると未
だに思うのである。私の個人の持つ故郷「ふる
さと」感覚と言うものであろうか?大谷館土塁▼

◆米原大谷氏伝説
米原市内「旧近江町西円寺地籍には小字大谷」
があり『みようい物語』にも大谷は今井氏の
館として登場している。米原東町から太尾山
を超えて大谷に至る路を俗称大谷道と言って
いる。また米原市下多羅には大谷吉継の首塚
伝承地がある。また米原市中多羅の寺院様に
は余呉町丹生谷菅波の六所権現神社の鐘楼が
残っている事も米原と余呉の繫がりを感じる。
▼米原太尾山城の解説をする城郭研究家/長谷川博美「ブログ著者」

◆米原太尾城の南北城2城の存在「一城別郭」
◆余呉大谷砦の南北砦2砦の存在「一城別郭」

◆余呉城郭研究会さまの大谷山砦探索
長浜市民様を中心に結成された余呉城郭研究会
は県外から来られる人々の為にいっか大谷山砦
見学会がある事を希望されて大谷山砦の下見へ
と兆戦された。私は既に1980年代に大谷山砦
は現地調査測量に滋賀県の中世城郭分布調査
員として知り尽しているので何も現地に驚か
ないが長浜市民の人はめくるめく大谷砦の様
相を見学される事になった。

◆余呉大谷砦の南北砦2砦の存在へ出発出陣!
先ずは余呉城郭研究会様は南砦に到着された!
巨大な相撲の土俵を思わせる南郭の切岸が生々しい。高土塁は無い!
さて次に大谷山砦の北郭に到着する。
切岸が鋭く生々しく現地には残っている!奮闘する田畑理事様
▼北砦の郭の中は整地された城郭遺跡らしい見事な平場犬走りもある!
◆余呉城郭研究会様活動再開のおしらせ!
詳しくはウッデパル余呉の城郭フオーラム
を是非ご覧くださいませ!玄蕃尾城見学会
が2020/6/20あるらしいと聞き及んでます!


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大河ドラマ麒麟が来る柴田勝... | トップ | 見逃すな!滋賀最北部の眠っ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

民俗学」カテゴリの最新記事