長野県飯山市飯山城
城郭ビイスタ学習として最良の城
長野県飯山市飯山城 城郭ビイスタ学習として最良の城
上杉謙信と言う武将は天才肌
の有名戦国武将と聞いてます。
◆一般様
長谷川先生の城郭ビイスタ論
令和の新研究論として注目を
されています。今やこれ知ら
なと恥じをかく言われてます。
◆長谷川
好評ではありません。私不人気
で某見学組織を今年7月に解雇
になった能無し研究家なんです。
◆対談者
いや長谷川先生は高度な城郭
研究家なので付いて行けない。
棚下砦という本当のほほんと
した縄張の城が群馬県勢多郡
赤城村大字敷島にあると聞き
ました長谷川先生にこの城の
城のビイスタ解析して頂いた
らみんな驚いておられました
流石は上杉謙信だけの事ある。
▼赤線は長谷川ビイスタ解析
◆対談者
それでは今回は長野県飯山市
飯山にある上杉謙信が普請を
した記録のある飯山城を是非
ビイスタ工法で解析下さい!
◆長谷川
では飯山市様図面をお借りし
飯山の観光発展の意味も含め
でビイスタ解析を実行します。
◆一般様
あまりビイスタが読み取れない
丸い丸い城の様に感じますが?
◆長谷川
江戸期も使われた城郭なので
櫓や虎口や枡形も含めて精密
なビイスタ工法が読み取れる。
◆一般様
すごいですね!城郭ってこんな
高度な設計や測量してたんだ?
もっと簡単に解り易い解説を!
◆長谷川
JR米原駅と同じ要領で致します。
1番線2番線3番線4番が正中腺で
5番6番7番線と設計されてます。
◆長谷川
更に側面から青腺でABCDEFGHIJ
と重複縄張を用いて設計されてる。
これを私は重複ビイスタ工法とぞ
呼称しております。
◆一般様
すごい!ですね。令和の城郭
ビイスタ論しらないと恥かく。
◆備後陽太郎様「匿名」
長谷川って先生スゴイんだよ!
三原市の三原城をこんな風に
ビイスタ解説するんだよな!
こんなのミンナ仰天してる!
◆善利芹蔵様「匿名」
彦根の軍法は甲州流から越後
流に変わってしまい甲州から
来た武士は苦労しいたと聞く
彦根城にこなに多数ビイスタ
があるとは驚いております。
飯山城にも多数のビイスタが
存在するのでしょうか?
◆長谷川
彼方の御質門は図張
と図星で的中ですよ。
◆ウイッキペデイア引用
弘治3年(1557年)武田氏によって、高梨政頼は
高梨氏館から飯山城へと追われた。
永禄7年(1564年)に、越後の上杉謙信が、
信濃一円に勢力を伸ばしてきた甲斐国の
武田信玄に対抗して、越後の防御・信濃計略
の前線基地として本格的に築城した。既に頚
城・新川・北信に多くの城を保持していた長尾・
上杉氏にあっては、謙信が新たに築城した
稀有な城の一つである(『上杉輝虎書状案』
によると、1564年10月1日に謙信自ら普請の
完了を確認したことがわかる)。
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