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3/3(月) 9℃ 雨☔
おはようございます。
昨夜からのまとまった雨、今朝も良く降っていて、陰に残っている雪を溶かしてくれてます。
湯来町川角ー大古屋間にあるトンネルには融雪剤が入ったタンクが3箇所設置設置されてますが2箇所は中が空になったことを示す赤いランプが点灯しています。
三寒四温で要らなくなるとは思いますが、それでも凍結することが予想されますので、早目に補充していただけると安心かなぁって思います。
もう気付かれていて発注済みかな?。
このまとまった雨、できれば北陸山林火災現場に降ってくれたら良いのにと誰もが思っている事でしょうね。もう少し雨が降る雲の流れが北にあると自然鎮火が見込めるんですけどね~😥。日頃、市街地で消火活動されている隊員が山の斜面で慣れない消火作業をされてる報道を観ましたが、日頃の訓練をしていないと消火活動をするのが如何に難しいかを身を持って感じられたんじゃないかな?
昨日、雨も降らないのに早々と訓練を中止した消防団が有ったと聞いて、統括している幹部は何を考えられてるのか、実践訓練の重みを考え、訓練しないと万が一の時には動けないとを良く考えて欲しいものです。
何はともあれ、活動されている消防隊員に陣中見舞い申し上げます。
今日は「ひな祭り🎎」
🎵 明かりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花~ 🎵
さて、なぜ桃の節供と呼ばれるようになったのか?をチョイと調べてみました。
他の節句にも花が決まってましたけど、上巳の節供においてはそれが桃の花でした。
平安時代から、桃については旧暦当時の三月を代表する花であるということ、桃は「女性」を思い起こさせる花であるということから女の子の節供には「桃の花」となったみたいです。
桃の花が女性を象徴するという考え方は古くからあり、中国の周の時代に成立したといわれる詩経に残る王が佳い嫁を探す歌がの中に既に「桃の花のような女性」と謡われているとのこと、こういった古典に親しんでいた平安貴族にとって女性の節供の花は桜でも梅でもなく「桃」だったのでしょうね。
私的にはつまらないことが気になりますが花より団子、昨日買い出しに立ち寄ったお店には桜餅がたくさん置いてありました。
雛壇の前で花を観ながら桜餅を食べる、風流かもしれません。
先週の金曜日、大森神楽団の練習場に立ち寄って来ました。来週16日に似島会場で子ども神楽を舞ってもらうので、チラシを持ち寄って、併せてチョッとだけ練習を観て帰ったんです。
先輩が後輩をやって見せてやらせてみて教えてる、感動しました。
多くの方に観て欲しいなぁと思った次第です。
今週も宜しくお願いします🙇⤵️
2/28(金) 曇り☁️ 1℃
おはようございます。
週末に降った雪もほとんど溶けて、土日のどちらかで農作業ができそうな状況になってきました。
ただ、気が向くかどうかはお天気次第というところでしょうか?。しかし先延ばしにしたって結局やるのは私、短時間でも泣きならでもやるっきゃ無いんだなぁ~😥
お米買って食べた方が身体は傷まないのでどなたかにお譲りしたい、泣き言ばかり言いたい気分です😖。
安心安全なお米であることは間違いないことですが、同じ財産なら👛の方が・・・本音嬉しい😌💕。
今日は2月もラスト28日。
あれやこれやに振り回されて心労蓄積、巧くいかない時「バカヤロー」って叫びたい日「バカヤローの日」だそうです。
昭和28年(1953年)、当時の吉田茂首相が衆議院予算委員会の席で西村栄一議員の質問に対して「バカヤロー」と発言。これがもとで内閣不信任案が提出・可決され、この結果3月14日に衆議院が解散したため、この解散は「バカヤロー解散」と呼ばれたそうです。
なかなかバカヤローは言えませんけど、心の中で何度バカヤローと叫んだことか、皆さんはありませんか?
お亡くなりになられたケンさんもけっこう何だバカヤロー言われてましたね。
このバカヤローは自分の意思に反した時に言う言葉だそうで、悪く言えば自己中。
人間だもの、心の中で言うのは良しとしましょう😄。
さて、昨日出題したクイズの答え、分かりましたか?
正解は
レストラン団栗亭
手打ち蕎麦屋ふくべえ
お好み焼きはんなり
森井旅館(食堂)
パン工房ピーターパン
コンニャク食堂湯来の庵
奥湯来田舎体験ハウス
でした。
お疲れ気味モードの方は露天風呂がオススメ。
こちらをどうぞ
近くにはスラムダンクに載った旅館がありますので記念写真なんてどうでしょう?
今週も最後までお付き合い頂きありがとうございました。
天気が良ければアウトドア🎄⛺🎄🚙が楽しく実感できるようになると思います。
言い忘れてましたが、モーモーイチゴ🍓食べれる時期になっているみたいです。砂谷牛乳のHPで確認してみてください、でわ、また来週ー➰👋😃✋✋✋
2/27(木) ー3℃ 曇り☁️
おはようございます。
今朝は湯来をどれだけ知ってるのか?クイズです。
簡単なのもありますが難題もあります。
ヒントいります?
砂谷・水内・上水内の順かなぁ~💡
湯来をどれだけ知っているか、お試しあれ😄。


2/25(火) ー7℃ 晴れ☀️
おはようございます。
降りましたねー😱。
ようやく雪解け、もしかしたら農作業できる?かもしれないと考えていたところにこの豪雪。
あっという間に20センチ、30センチ、40センチ積もってしまいました。もちろん今出動して欲しい除雪機に活躍してもらったのは当然ですが、除けても除けても積もるみたいな感じで、午前中は除けた効果が見れないくらい。
湯来のこの程度で豪雪って言うのは気が引けますが東北各地で何メートル降った話題を聞くと、この程度で泣き言言ってたらやっぱり申し訳なく思いました。
寒中見舞い申し上げます。
ここからは今朝のお話。
出勤時にゴミ出しする習慣になってるんですが、今朝はゴミステーションの前の歩道でスッテンコロリ😖、ゴミ出し終えて何も持っていない時に、通った道を歩いてたらスッテンコロリ😱。
転けた後、転けたと直感したもののケガしてる感じはなく、そのまま立ち上がり車に乗り込んで、後頭部に手を当てたら何と卵の黄身くらいのたんこぶ、駐車場の到着した時には手のひらくらいに拡大したたんこぶになってました。車中に置いていたアイスノンで患部わ冷やしてたんですが効果無し。たんこぶよりも首がムチ打ちなのか、左右の首振り↔️がなんか変。
まだ病院は開いていないのでどうしようかと。診察してもらって、打撲だけなら恥ずかしいし悩むなぁ😥。
とりあえず、中途半端ですが書き込みを止めて、様子見してみることにします🙇、ごめんなさい⤵️
2/24(月🎌) ー4℃ 新雪❄️積雪20センチ
おはようございます。
この冬何度目かの寒波がやってきて、少しですが、積もりました。
山間部に予定がある方は気をつけましょう。
さて、今年の5月24(金)に書き込みした記事のその後が気になっていましたが、日曜日の中国新聞に記事掲載されてましたがご覧になりましたか?
私のブログでは、
遡ること10数年前、このブログに湯来に伝わる民話を連載している頃があって、その時に分かったらお教えしますと言っていたのを湯来西公民館の職員の方が読まれて、その後どうなったのでしょうか?との電話をいただいたのでその調査結果をお伝えすべき聞き取りをするチャンスを伺ってたんですが、なんせ聞き取りしたい家が空き家なものでなかなかチャンスがなかったんですが、昨日、その家の方とあうことになり、現物を触らせていただいて、写真まで取らせていただきました。👏
世代が代わりこの家にどのような経緯で在るのか本人も分からないと言うことで、親戚の叔父叔母に聞いてみるとの事をお願いして家を後にしましたが、確かにその弓矢は現存してました。
古い布入れに入れられて床の間の前の鴨居に飾ってあり、下に下ろして袋から出していただき写したものがこちら。材質は木ではないかと思ったんですが、表面を漆のようなモノで被われていてハッキリ分かりませんでした。端っこが観れたのでアップした写真でご判断ください。やっぱり木のように見えるかな?
当家の子孫の方の電話番号を教えていただいたので、少し時間をおいてまた確認するつもりです。
私の記憶、間違っていなかったことにホッとするやら、調査すると言っていたことを忘れてしまってたことやら、モヤモヤしていたものがスカッとしそうな・・・😅。
連絡待ちですが、もう少し時間の猶予をお願いします🙇⤵️。
こちらは前述の書き込みよりも十数年前に書き込みした時の民話です。
「阿弥陀ヶ峰物語第3話・山川家に伝わる話」
九郎左衛門が亡くなってから何代か後のことです。ゆとりある暮らしを送っていた山川家も、生活がだんだん苦しくて来ました。その上、火災に遭いました。
食う米も無くなり、貧乏をすれば借りに行っても貸してくれる者もありませんでした。生きていくために仕方なく「大蛇退治にまつわる家宝の弓矢だが手放さなければなるまい」と、当時栄えていた庄屋さんに麦1俵で弓矢を譲ってしまいました。そして、数人の家族が麦三斗(45kg)にワラビの根、フキ、ヨモギ、ショウボウ(木の葉)などを採食しながら4ヶ月飢えをしのぎ春を迎えたそうです。
弓矢を譲り受けた庄屋さんでは、こんなことがありました。
あくる年の春、女房がひょっくり死んでしまいました。続いて一人娘も急死しました。こんなことがあって、夏が過ぎ秋が深まったある晩、主人が寝ていると山川家から譲り受けた弓矢の下に、筆立てが何事もないのに、パァーンとう音とともに真っ二つに割れてしまいました。主人はふと、山川家に伝わる伝説を思い出し、「丁度、大蛇を射止めた時刻であろう」「春以来の不祥事も弓矢の祟りであろう」「この弓矢は我が家で持つべきではない、山川家にお返ししよう」と夜明けを待って山川家に返しました。
これからは、代々山川家に伝わり、両家とも平穏な暮らしが続きました。
もう1つが今回の弓矢の話になっている民話で「阿弥陀山池の草で大蛇が化身した大きな鹿を退治したお話」。このお話に出てきた弓矢が今回の弓矢だと思われます。たぶん二つが一緒ではないと思われますけど、調べてみないとわかりませんね。
この弓矢、ある家に実在していると思うんです。単なる民話じゃなく、実在してるんです。私微かな記憶の中に子供のころ遊びにたち寄った家の鴨居に掛けてあったような・・・・、いつか、記憶に残るその家にお邪魔して真実を確認しようと思います。いつになるかは分かりませんが、気長にお待ちください。
もう少し調べて次の内容が正しいのかどうかを検証しようと考えていましたが、新聞掲載されたので3月8日がどんな発表と公開になるかを楽しみにしておきたいと思っいます。
検証しようとしていた情報がこちら。
阿弥陀ケ峰 池の平 大蛇退治弓矢の伝説 湯来町黒谷T家蔵
今を去る、約五百年前の事である。黒谷部落に九郎左エ門という、非常に弓 の上手な豪傑がいた。何処から来てこの地に住み着いたか不明である。平家の 落人だということである。
この人の弓は射た矢は必ず当たる、一名鬼九郎と徒名された。
片方の目に瞳が二つあると伝えられていた。この人の家は黒谷道の すぐ下で今のF家の前の大野という田がある。これが彼の宅地だと伝えられて いる。又この宅地のすぐ下が旧道でこの道に沿って細長く曲がりくねった田が ある。
この人の馬場であり弓矢の稽古場で毎日のように馬を乗り回し、弓矢の 稽古をしていたそうだ。弓がどのくらい上手になったか試みた話がある。
黒谷部落でS家の墓地と聞けば誰でも知っている箇所がある。
或る日、郷(志 割)から馬に乗って帰る途中、ここまで帰ってくると、川向こう約三百Mのところを猪十二頭が山に向かって逃げていく。
鬼九郎十二本の矢を取る手も見せ ず、ピュウピュウと射続けに射通した。見事十二頭全部射止めたという。馬上
豊かな武の腕前であった。彼が用いた弓は七人張りだったという。当時たんぱく質の供給源は猪、兎等だった。
大蛇は山に千年、川に千年、海に千年、三千歳の修業を積んで、竜になるという。竜は竜巻に乗って天に昇り、雲に乗って天翔り大洪水を起こして海に降りるという。この大竜こそは、阿弥陀ケ峰を住処として、池の草の蛇の池に住み着いていた。白砂村も菅沢村も竜の降るを恐れて、戦々恐々の有様である。
ある年のこと一点にわかに掻き曇り雷鳴ものすごく大雨大荒れ、大洪水は川筋の民家を残らず押し流されたこともあった。人の命を奪い取られたこともある。雨のふる夜はろくろく眠れない有様であった。鬼九郎左エ門どうしてもこの大蛇を退治して部落民を救わねばならぬと三、七、二十一日の祈願を掛けて、いよいよ決心したのである。
その頃この地方で信じられていた噂は、池の草(蛇の池)と極楽寺山(五日市観音山)の蛇の池とは池の底が通じているといわれ、竜はどちらの池にでも出没したと噂された。時には山中に住んでいることもある。夜になると池の水を呑みに来るそうな。まあどちらにしても矢をお見舞い申そうと初日の晩、夕方早くから身支度を整えて明るいうちに池の草につき、いざござんなれと待ち受けた。しかし何時までたっても姿を見せない。大蛇は年を経て神通力を持っているそうな。我のいる場所を見ているのかもしれない。段々不安になってくる。自分の一番安全な場所は無いだろうか。暗闇の中で安全な場所を捜し求めた。
現在人立岩という岩がある。これは良しとその後ろに陣取ることにした。我が陣は最上だが、いつまでたても、二日たっても三日たっても池の面は静まり帰って音ひとつしないのである。
鬼の九郎もへこたれそうになったが、十九日目のことである。
真夜中の家の軒下三寸下がる丑三つ時、自分の家の女中が昼でも怖い山道をハアハアと息も切れ切れでやって来た。一里半はあろうという道を唯一人「旦那様お客様が来られまして奥様のお言いつけです。すぐお帰りください」と言う。こんな真夜中に女一人で来るとはおかしいなと思ったけれど、いつもの女中に紛れも無い。帰ることにしようと家路をたどる。道々女中にお客は誰かと聞くと、知らない人ですという。時折珍客がある。野武士の頭目どもであろうと思った。途中世間話などして家の近くまで来ると「今夜は遅いので私宅に帰らせてもらいます」と女中は言い別かれて帰っていった。
鬼九郎家に帰り着いたが、家の中は客がいそうも無く寝静まっている。女房は起きて灯心に火を入れた。いつも女房と共に出迎える猫の白がいない。お客はどなたかと女房に聞くと、お客なんか有りませんよとキョトンとする。女中に言いつけた覚えはないと女房不思議顔。丁度その時表から猫の白が帰ってきた。
鬼九郎何思いけん。弓を取るが早いか矢で猫を射た。鬼九郎またもと来た道を池の草へと引き返していく。女房たまげて白猫をなして射殺したかわけもわからない。鬼九郎ただただ大蛇を討ちたい一心であった。二十日目も何事も無かった。
三七、二十一日目満願の夜であった。長い間の疲れも出たのか無性に眠くなった。我慢しきれなくなってきた。ついうとうとと眠ってしまった。
何時たったかわからない。悪夢でも見ていたような気がする。うなされながら目がさめた。何か異様な物音がする。暗闇に透かしてみると、人立岩の肩越しに大きな鹿が三匹、池の水を呑んでいるではないか。両脇に雌鹿一匹ずつ従え中の牡鹿は大角を振りたて物凄く見事なことである。人の目に気づいたか、角を振り立て振り立てまっしぐらに此の方に飛び掛ってきた。鬼九郎すばやく弓矢を取り射んかなと構えたけれど、待てしばし大蛇を退治に来て鹿を討ち取って何とする。ひらりと身をかわして、持ちたる矢の魔王見の穴から異様に光る牡鹿の目をじっと見た。
魔王見の穴というのは、矢先の菱形なところに四つの穴が空けてある。修行を積んだものが覗き見ると化け物の正体が見える。
即ち化けの皮が剥がされるのである。正しくこれは化け物である。鹿ではなく大蛇の化けた姿であるとわかった。飛び掛る大鹿の角の間をめがけて、満月のごとくに引き絞った矢をヒューと放つ。
早いこと強いこと的の外れる筈もなし。命中したかと思った瞬間、百雷一度に落ちた大音響、大地は揺らぎ池の水は天まで沸き立ったという。苦しい大蛇の呻き声。口から吐き出す大蛇の毒気に当てられてか、さすがの鬼九郎次第に気を失い、人事不省に陥った。それ以後のことはどうなったか自ら知る由も無い。気の付いたときは白砂村のY家に寝かされていた。一ヶ月も経ったが起きられない。医者の見立ても薬も効き目が無かったという。二ヶ月経ってようよう歩かれるようになり、まる三ヶ月で家に帰ることになった。迎の者と帰れる嬉しさ、川角を通って帰ることになった。
一寸くたびれたので腰を下ろして休んだ。川角のS氏の宅の近くに今でも休み石というのが有る。あの時に休んだ石だという。
黒谷に帰ってからも三年間床に伏していた。めっきりやせ衰えてしまった由、とうとう直らなかったのである。
他界する七日前のことである。九郎左エ門は妻子を枕元に呼んで、病気も余りはかばかしくない、この分では到底長生きもなるまい。今まで黙っていたが白猫を射殺した真相を話そう。猫は魔物というか、うちの白猫は年をそう取ってもいなかった。それが女中に化けていた。なして化けることが出来たかというと何千年もこうを経た大蛇、身の危険を知って白猫を使ってわれを家に引き戻そうとしたのである。あの時白猫を射殺さなかったら、わしは猫に殺されていただろう。白は捨て猫だった。
大蛇が使いものとして拾わせたT家では白猫を飼わないことにしている。竜の災難からは逃れることが出来たが九郎左エ門は死んだ。
それから何百年、当時あった古文書も火事にあって焼けた。
藤本家に弓矢を渡したこともあった。しかしいろいろ異変が起き又T家に弓矢は戻った。現在K家にある矢先はこんな昔話のある矢先である。
蛇の池の人立岩は今も残って昔を語っている。
各地に謂れのある石や家が在る(在ったこと)は解ってたんですが、郷土史研究者のSさんにも情報提供しておいたし、これを裏付ける資料が手に入ってから動こうとしたんですが・・・、気力と興味が続く限り調査は続けてみたいと思っています。
空想の民話ばかりでないとこが実証してみたいなぁ。
私が訪問した時に撮影させて頂いた矢じり「魔王見」。お誘いあわせの上、公開日に西公民館へ行ってみましょう。
外は雪❄️、おとなしくしていようっと😅。
2/21(金) ー3℃ 曇り⛅
おはようございます。
明日からこの冬第3寒波が襲来するとのことで、本当に山陰・北日本の皆さんには多大な心配とご苦労が危機迫ってきていることに同情させて頂きます。
昨日現在で積雪5メートルを越えた有名な温泉地や隠れ日本一の豪雪地帯の町も、数十センチ積もるだけの広島の湯来の迷惑雪でさえ苦労してるんですからご心労をご察知させていただきます。
広島のこの3連休はどうなるんでしょうね?
降らなければ、土が凍結していなければ「畦畔前打ち」でもしておこうかなぁ~。
畦畔前打ちって、田んぼを粗耕しした時に機械でできなかった角の部分を金属の部分が4つに分かれて尖っている農機具で掘り起こす作業。
巧くやれば少ない鍬打ちで終わるんですが、田んぼ全部の作業なのでけっこうな時間がかかりますし、年間でもあまりしない作業なので手にマメが出来ることがあるので、当に力加減が大事。
炬燵に寝っ転がってのんびりゆっくりしたいです😖。
明日は「猫の日」。2月22日を猫の鳴き声「ニャン・ニャン・ニャン」ともじって決められた日で、猫の日制定委員会が昭和62年(1987年)に制定しておられます。
明後日は「天皇誕生日」。昭和35年(1960年)のこの日に、今上天皇陛下が誕生されたことにより祝日🎌になっています。
祝日🎌はのんびりしたいな😃。
天気と雪が気になりますが、のんびり過ごしたいですね、コロナもインフルエンザも花粉もノロウイルスも流行り始めてるそうです。
感染防止対策は個々にちゃんとしておきましょう。
今週も最後までお付き合い頂きありがとうございました。楽しい週末をお過ごしください、でわ、また来週➰👋😃
2/20(木) ー7℃ 晴れ☀️ 新雪0センチ
おはようございます。
身に染みる冷たさの今朝の湯来、寒いです😖。
昨日の早朝のラジオ番組で、先日の新聞に掲載されていた湯来温泉河鹿荘の再生について、記事を書かれたライターとアナウンサーが話をしておられました。
昔の湯来温泉の賑わいを聞いてると、就職して仕事をしていた頃に聞いたり見ていた頃の光景が目に浮かんできて懐かしく思う反面、今の現状が残念で残念で、どんな形になったにしても、何とか昔の温泉街になってくれたらと思う私です。
聞いた話では10軒近くの旅館や民宿、パチンコ店や喫茶店にラウンジにお好み焼き店、ヌードショーも観れるお店もあったりと、とても賑わっていたとの事。
初めてホタル祭りを開催した時には、マスコミ関係者を貸切バスで送迎する等して記事に書いてもらったり、旅館や事業者と一緒で観光宣伝に行ったり、思い出せば“あの頃は良かった~“でした。
こうした話が相づちしてもらいながら話せる人も減りましたが、後ろを視てばかりではいけないので、何とか光明が点してくれないかと願うばかり。
もしも点して頂ければ、功労者として石碑の一つや二つは建ててあげたいです😅。
古くから謂れのあるホンモノの温泉地、湯来・湯の山温泉、身近な温泉地としての再生、誰かに託せないかなぁ~💡。
助け船、期待します🙇⤵️。
今日の日中は少しだけ温かくなりそうですが、週末から連休明けまで何度目かは忘れてしまいましたが“この冬一番“がやってくるとの事。
カタクリの花、梅の花、ふきのとう、しだれ桜の開花が待ち遠しいです。
その前に杉・檜花粉かなぁ~😣。
今日は「アレルギーの日」だそうで、昭和41年(1966年)の今日、アレルギー性疾患の診断に大きく貢献したIgE抗体が石坂公成博士によって発見されたことを記念して、財団法人日本アレルギー協会が制定されてます。
色々な薬やマスク😷が販売されてますが、抜本的な解決には至っておらずで、私もいつもではないんですが目がショボショボする時があります。
私の場合、温かいお風呂に入れば改善しますので、やっぱり身近にある温泉が一番かも。
連休はまた温泉かな?
温かくして過ごしましょう。
2/18(火) ー5℃ 晴れ☀️ 積雪0センチ
おはようございます。
昨日の夕方に雪がチラチラ、してたのでもしやと今朝は思いましたが、積雪はしていなかったのでホッとしてます。
ただし、積雪はありませんが冷えていることには間違いありません。事故はイヤですからね、ホワイトアイスバーンや橋の上のブラックアイスバーンには十分に気を付けましょう。
この写真は湯来町菅沢、石ヶ谷峡入口にあるもみじ🍁というランチのできるお店に二代目が誕生した事が書かれた印刷物を見つけたのでアップしてみました。和風料理が美味しいお店で、湯来特産市場館でも「太巻き」が販売されていて完売するお寿司は大好評です。ゆき商店のお寿司かもみじのお寿司か、どちらを買って食べようか?けっこういつも悩みます😅。
二代目に代わられたとのことですのでどんな料理が出されるのか、立ち寄ってみないといけませんね、楽しみです。
もう1つが「砂谷コッコ村」の平飼自然農法養鶏しされている方が紹介されていた印刷物。前々から美味しい卵に目がなくて、アツアツのご飯に生卵のたまごかけご飯が好きな私。時には本当に美味しい卵なら、蛇🐍のように生卵を割って何の器にも入れなくてそのままススル食べ方する時がある私、何にも足さない生卵の味、美味しいからこそできる食べ方、下品かもしれませんがお試しあれ。
今まで食べた生卵のベスト1は烏骨鶏の卵。これは美味しかったなぁ👄💧。
今日は「冥王星の日」だそうです。
昭和5年(1930年)、ローウェル天文台(米国)のクライド・トンボーが、1月23日(発見につながったこの日も「冥王星の日」と呼ばれることがある)と1月29日に撮影した写真の比較研究から太陽系第9惑星・冥王星を発見した日として制定されました。
冥王星は天王星の運行の乱れからその存在が予言されていたみたいですが、予想を遥かに下回る15等星という暗さのため発見が遅れ、その暗さからギリシア神話の冥府の神に因みplutoと名附けられた。
近年になって冥王星の外側にエッジワース・カイパー・ベルト天体と呼ばれる小天体が多数発見されるようになり、冥王星はその中の最大級の天体と考えられ、2006年のIAU 総会で惑星から dwarf planet(準惑星) へ分類変更されています。
今は月明かりが邪魔して天体観測には適していませんが、新月🌚になるとたくさんの星が観測できますから、冬の星座観察をしてみませんか?
もう1つが「エアメールの日」の日です。
明治44年(1911年)にインドのアラハバードで開かれていた博覧会会場から、8キロ離れたナイニジャンクション駅まで6000通の手紙が初めて飛行機によって運ばれたことにより制定されました。
エアメールと言えば、
🎵あなたからのエアメール~🎵日本のABBAが歌っていた歌謡曲。
🎵飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで回って回って回って回る~🎵
はっきり言って、昭和生まれしか解らないかなぁ~🎵
温かくして過ごしましょう、行ってらっしゃい((🙋♂️。
2/17(月) 4℃ 曇り⛅ 積雪0センチ
おはようございます。
楽しく充実した週末を過ごされましたか?
天気に恵まれた週末でしたので、2日もあれば色々な事が出来たことと思います。
私も2日の週末を予定していましたが、実際には土曜日が昼過ぎまで仕事になり、しかも、我が家の農作業では使わない筋肉💪を使った作業だったので肩や胸、太ももの筋肉痛になってます。共同作業だったのでペースをもう少しゆっくりすれば良かったと今になって気付いてる私、運動不足解消のつもりがトホホ😖です。
今日は「ノアの洪水の日」だそうです。
旧約聖書で「ノアの洪水」が起きたのがノアが600歳の時の第2の月の17日となっていて(創世記第7章)、 40日間も雨が降り続いてすべてが水没し、1年後の第2の月27日にようやく地が乾いたと言われています(創世記第8章)。聖書に記載されていることがすべて正しい真実が書いてあるのかは分かりませんが、古い映画で「ノアの方舟」「十戒」「ベン・ハー」等々を観ていると映画の世界に引き込まれていき、史実でも良いんじゃないかと感じてる私です。
色々なSF映画が在りますが、観ていて引き込まれる、同調できるスケールの大きい映画が好きなんでしょうね。
最近、こんな映画は無いなぁ~残念😣。
もう1つは「天使の囁きの日」だそうです。
昭和53年(1978年)の今日、北海道・幌加内町(ほろかないちょう)の母子里の郷で国内最低気温(非公式)のマイナス41、℃を記録。このことより、同町の住民が寒さを体験するイベント「天使の囁きを聴く集い」が開催されていたそうです。今も開催されてるのかな?。
天使の囁きとは、ダイヤモンドダストのことだそうで、空気中の水分が凍結して、太陽の光が当たりキラキラ✨光る現象を言うそうです。
ここまで寒くはありませんが、湯来でも1シーズンに数回は観たことがあります。キレイですが寒いのはキライです😅。
土曜日昼過ぎまで仕事だったので本格的な手悪さはできませんでしたが、こんなのを作ってみました。
枝が2本出ているのでこれを活かした物は何ができるか?一輪挿しか?竹コップ🥤か?小さな小物入れか?
何の当てもない作品が完成。次は小物入れか何か、茶筒とか使わないけど「印籠」か何か?飾るか使うか、💡何ができるかはお楽しみ・・・かなぁ~😥。
冒頭の写真は、頂いた牡蠣を煮たり焼いたりしたものです。醤油で甘く煮込んだ牡蠣を親子丼にのせて食べました、けっこう美味しく好きです😅。焼き牡蠣も美味しかったなぉ~👍️。
次は、ナマコ、期待してます😅。
没頭できる時間を楽しみたいなぁ😄。
今週もよろしくお願いします🙇⤵️
2/14(金) ー6℃ 晴れ☀️
おはようございます。
ようやく週末、三寒四温で早く春の訪れが実感出来る日がやって来て欲しいと思ってるんですが・・・、現実はまだまだ。
せめて湯来の雪は溶けてなくなって欲しい~っ。
今日は「職場上司の送別会」。バレンタインデーの話題でなくて申し訳ありませんけど、いつもお世話になっている方の送別会なので、仕事を早めに切り上げて参加してこようと思います。
本音ー会費12000円なのでどんな料理が出てくるのか楽しみ💓。
永年の勤務、お疲れ様でした🙏。
さて、明日から週末、何して過ごそうかなぁ~💡。今週火曜日の祝日🎌の日に湯来交流体験センターと湯来ロッジに行った時のまだアップ出来てなかった写真を掲載してみました。
この時には、まだ雪が残っていてかまくらが作ってあったり雪合戦されてたりして楽しんでおられた家族や友人がいらっしゃいましたけど今週はどうかなー?。
特産市場では季節の食材、タラの芽等が出されてました。
私はこの前の大雪で折れた竹を倉庫前に持ち帰っているので、時間が作れれば「竹細工」してみようかと思ってます。どんな竹細工かは完成してのお楽しみですが、作りたいイメージは一輪挿しとお茶席で羽釜の中から熱いお湯を汲み出す時に使われる酌のような物。
うまく出来ればの話です😅。
ここ数日、仕事が忙しくて寝ていても気になる夢?見て丑三つ時の夜中に目覚めてしまう始末。本来は私の直接の業務では無いんですが、若い後輩はまだ経験不足なので相談に乗ったり指導したり、時には私が処理したりする羽目になり昭和のロートル大活躍をさせていただいております。
のんびりゆっくりしたいです😅。
今日はやっぱり「聖バレンタインデー」。
女性から男性に向かって恋を打ち明けてもよい日とされ、日本では女性が愛の印にチョコレートを贈る習慣がは昭和33年(1958年)から始まっています。
ことの始まりはメリーチョコレートが東京・新宿の伊勢丹で販売促進を目指してキャンペーンを展開したのがスタート。
最近では義理チョコも止めてしまって、自分自身にご褒美チョコ🍫を買う人が増えているそうで、テレビでインタビューされてた方は最高10万円以上を自分のために買ったと言われてました😱。
その方(女性)は、毎日少しずつ食べて鋭気を養うんだとか。自分を誉めたり甘やかしたり出来ることが羨ましいです。
因みに、ヨーロッパでは愛の日としてケーキや花などを贈り合いみんなでワイワイするらしいですね。
返礼を考えると、特別な人からのチョコでなければ頂かないのが一番かも。もしも頂けるのであれば、みんなが一堂に会して食べられる袋詰めのチョコで十分です。
頂ければの話ですけどね😅。
今、空気が乾燥して火事が起きやすい状況になってます。火の取り扱いには十分に気を付けましょう。
今週も最後までお付き合い頂きありがとうございました。楽しい充実した週末をお過ごしください、でわ、また来週ー➰👋😃
2/13(木) 1℃ 曇り☁️→晴れ⛅ 新雪0センチ
おはようございます。
昨日の雨が降ってくれたお陰で3分の2位まで積雪が減り、嬉しい反面、まだまだ残っている残雪にはガッカリ😖⤵️。車が汚れるので雨が好きではありませんが、今は早く融雪して欲しいので湯来のこの雪が溶けるまで毎日でも降って欲しい心境です。
🎵雪ぐ溶けて 川になって流れて行きます 土筆の・・・🎵
春の訪れが待ち遠しいです。
そんなこんな今時、湯来交流体験センターではこの時期恒例のテントサウナ⛺がされてました。外国人のご家族がBBQをされていたのでサウナされるのかなぁーって見てたら、今回の予約者は日本人の若い男性グループ。誰にも迷惑がかかる環境ではないので、テントの中でも外でもワイワイガヤガヤされてました。
雪が降っているので少ないかなぁ~って思ていたらけっこうな人が来ていてビックリ😨、かまくらを作ったり雪合戦されてたり、足湯に入られていたり、もちろんBBQされていたり、調理実習室でサックス🎷の練習されてたり、各々が自分の時間を楽しまれてました。
若い、青春、私の青春時代にはこんな施設は無かったからなー😅、羨ましい😄。
今日は「苗字布告記念日」だそうです。
明治8年(1875年)の今日、明治政府の「平民苗字必称義務令」という太政官布告により国民はすべて姓を名乗ることが義務づけられことに起因しています。
私の回りでは少ないんですが、佐藤さんや鈴木さんがどこにもある苗字らしいですね。
苗字と身分には、次のような関係があるとあるサイトに書いてありました。
氏(うじ)は一族を、姓(せい)は身分や地位を表すとのことで、
1,姓は、天皇家が分家した一族に与えたもので、
臣下であることを示す称号
2.姓(せい)は原則として変更できず、昔は変更するには
天皇の許可が必要だったと言うことでした
平安時代には、源氏・平氏・藤原氏・橘氏の4つの氏族が朝廷の役職を占め、武士たちは、自分の支配する地域の地名を「名字」として名乗ったそうです。
室町時代には農民階層にも「名字」が広がっていき、自分のルーツを探るには、戸籍の収集やお寺の過去帳の閲覧、先祖累代の墓碑の調査などの方法があるみたいですが、我が家のルーツを探してみようと戸籍をを取り寄せたら手数料が1万円でお釣りがくる位かかりビックリ😵、しかも戸籍という制度が出来てからの証明なので1800年代までしか戸籍では分かりませんでした。
名字や家紋を調べることのできるサイトとして、リクスタの「名字由来net」がありまが、このサイトでは、名字の歴史や由来、人数分布などのデジタルデータを調べることができる程度、遡ってのルーツ探し、どこまでやるか、やれるかが調べる気持ちの際限かな?。
昨今、戸籍上の苗字記載で夫婦別姓とかの議論がされてますが、トラブル回避前提の議論を期待したいものです。
何もする事がなければお金はかかりますがルーツ探ししてみませんか?。
あれ?あの人、親戚だったんだ、何て事も有るかも😅。
今朝は書き込みの日ではありませんが、どうしても気になったので急きょ書き込みさせて頂きました。
昨日、湯来交流体験センターに立ち寄った際に、この話題が新聞に近々に掲載されるだろうとの話があり、明日の新聞に掲載されたら、今日のこのお願いの書き込みをしようと考えてたんですが、1日早かったのでどなたかに何とかお願い出来ないものかと、書き込みさせて頂きました。
記事に有るように、昭和50~60年代にかけてJRの周遊温泉地に指定されたこともあり、湯来温泉には10軒の宿があったようで、私の知る限りでも8軒は有りましたが、「山陽屈指の温泉郷」として年間何万人もの観光客が来られていたと入込観光客統計調査で見たことがありましたが、施設の老朽化やニーズの変化で廃業を余儀なくされ、最後まで残っておられた民間の宿が河鹿荘でした。
川沿いにある露天風呂、囲炉裏の大広間で名物の猪鍋を提供されて、マスコミの取材も頻繁にあったことが思い出されます。
今朝の新聞記事では施設改修経費がかなり必要だと書いてありましたが、民間の宿が無くならないように、救いの手を伸ばしていただけないでしょうか?
今一度、せせらぎの音を聴きながらの露天風呂に入りたいものです。
私に原資があれば支援するんですがムリなので、どんな形でもいいので第三者のお力添えを頂きたく思います。
こんな感じの写真を撮らせてもらい、集客PRしたいなぁ。
ご検討宜しくお願いします🙇♂️⤵️