伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

障がい者も高齢者も普通に生きて普通に見送られたい/その思いに涙が溢れました/富山型デイサービス事業

2016年01月21日 | 市議会
 泣いちゃいました。

 視察なんだし、そんなことはないはずでした。でも、お話を聞いているうちに涙が込み上げてきちゃって、最初は何とかこらえられると思ったのですが、こぼれちゃったらハンカチを使うしかありません。・・視察なのに・・。

 彦根市の低所得世帯の学習支援に続いて、富山市では富山型デイサービス事業を学びました。富山市で福祉保健部障害福祉課の担当者から制度の概要の説明を受け、富山型デイケアハウスを運営している「特定非営利活動法人にぎやか」の事業を「デイケアハウスにぎやか」でうかがいました。

 制度の説明ですから、冷静にたんたんと話を聴けると思っていたのですが、その話を聞いているうちに目頭が熱くなって、そんな事態に陥ってしまったのです。

 富山型デイサービスは、民家を改造するなどした定数が少ない小規模な施設で、介護保険による支援が必要な方、障がい者の自立支援が必要な方、そして幼児を対象にサービスを提供する施設です。

 「にぎやか」に向かう車は、どんどん住宅地に入っていきます。到着した施設も一見して普通の住宅。住宅地にあっても何の違和感もありません。


左側が施設なのですが、全体像を撮影してきませんでした。これ住宅地の中にあるということを意識した画像です。


 車が止まると一見してスタッフと分かる方、利用者と分かる方が入り乱れるように出迎え、説明を聞く場所まで案内してくれました。

 説明の場には、パソコンとプロジェクターが用意され、その周りに施設スタッフと・・あれ、さっきの施設利用者と思われる障がいを持った女性も陣取りました。



 何なのかな・・身体障害だけでなく知的障害もあるのだろうか・・などと考えていると、何と何と、視察を受け入れるスタッフの一員だったのです。名はやまちゃん。本名は分からないので、説明の時に飛び交った愛称で呼ばさせていただきます。

 やまちゃんは脳性まひの障がいを持ち、首の辺りを手術した時から障がいが強く出たようです。30歳になる子どももいるとか。テレビで見たこの施設にひかれ、どうしてもこの施設が良いと言って利用を申し込み、3年前から利用しているといいます。そのやまちゃんは「チームむら」に所属し、コーヒーの出張販売や、視察の受け入れなどの事業に取り組んでいるのだとか。

 「チームむら」は、障がい者など生きづらさを抱えた人たちで結成された集団です。名前の由来はかつて施設利用者のむらさん。アルコール依存と糖尿病を抱え37歳で急逝したむらさんの生き様から、「同じ苦しみや悩みを抱えた仲間同士が一番の理解者」と考えられて結成したのだとか。そのチームむらが昨年の4月から65件、726人の視察者を受け入れているというのです。

 やまちゃんは、スクリーンにに投影される説明に合わせて、マニュアルに沿って説明を読み上げていきます。障がい者であり、かつ、おそらく施設の利用者ですが、利用者も立派な施設運営の一員として活動しているわけです。

 にぎやかは、阪井由佳子さんが始めました。

 彼女は施設で理学療法士をしていたそうです。その施設を利用するお年よりたちは、「家に帰りたい」あるいは「家に帰るため」リハビリに励んでいるのですが、一方、施設の管理下で自由や尊厳のない暮らしをしていました。そこに矛盾と限界を感じていたそうです。そんな時に富山型デイサービスの元祖である「このゆびとーまれ」に子どもを預けたことから、その創始者・惣万佳代子さんに出会い、富山型デイサービスをはじめることにしたのだとか。28歳の時です。

 最初は自宅の1階を解放し、スタッフは本人とその実の母、そして3歳の子。そして今は、住宅地の中に新築された2階建ての「デイケアハウス」で運営しています。こういう施設は、住宅地では一般にあまり歓迎されないという話を聞いたことがありますが、周辺の居住者の方々も少しづつ施設を理解してくれているのだといいます。

 あらためて「にぎやか」が行っている事業を列挙してみると、富山型デイサービスの「にぎやか」と認知症デイサービス事業の「かっぱ庵」、そして両施設の利用者が終の棲家として利用できる「にぎやか荘」があります。

 まず「にぎやか」は定員22名。介護保険利用者や障がい者、障がい児が通いで利用できます。
 ここには大きな行事を予定に入れる他に、毎日の日課のようなものはないのだとか。天気が良いから公園で食事をとろう。花が咲いたから見にいこう。そんなように、その日の状況に合わせて日々の活動が行われているのだといいます。

 確かに視察の日も、利用者が映画「スターウォーズ」を見に行っているのだとか。また、1階では要介護者や障がい者などが思い思いの時間を過ごしていました。

 また、ここにはさおり織りの小さなはたおり機がありました。マフラーなども作っているようです。



 やまちゃんが、「この色なら男女どちらでも使える」とすすめてくれたマフラーを購入してきました。


モデルは我慢してください。自撮です。


 そして「かっぱ庵」。室町時代から続く旧家で、「かっぱ屋敷」と呼ばれていたお屋敷を改装した施設らしく、1,000坪の敷地内には畑やニワトリ小屋、芝生の庭もあるとか。定員は11名。コンサートを開いたり、敷地内ではニワトリを飼ったり、畑を作ったりしています。

 また、敷地の一角では、特別支援学校を卒業した方が空き缶やペットボトルのリサイクル事業に取り組んでおり、障害者の就労支援の場にもなっているといいます。

 「にぎやか荘」は家賃が3万800円から4万円。日中は「にぎやか」や「かっぱ庵」でデイサービスを利用し、夜間は夜勤スタッフが介護に対応するのだといいます。

 「にぎやか」は亡くなるまで面倒を見ることにしています。そこで看取りも行うことになります。

 はじめの10年ほどは病院に送っていたといいます。そんな一人が施設に戻りたいと。そこで施設に引き取り、ここで看取ることにしたそうです。83歳の女性だったそうです。「具合が悪くなると病院に連れて行くのが当たり前と思っていたけど、行かない選択もあると気づいた」といいます。

 はじめて看取りを体験した利用者たちは、死に行く人をみながら赤ちゃんの誕生と同じだと思ったといいます。確かこれはやまちゃんが言っていたことです。「命の大切さは、命のはかなさを知ることなんだ」。ミキティさん(チームむらのメンバーの1人)はいいます。そんなお話が涙を誘いました。どんな境遇にある方でも、家族と同じように送ってあげようとする施設の利用者とスタッフのみなさんの思いに感動したのだと思います。

 さて、やまちゃんはなぜこの施設に来たのか。直接、その理由を話すことはありませんでした。

 でもこんなことを言っていました。
 「私の若いころは、こういうのはなかった。一般の会社に就職したこともあるけど、ついていけなくて、とても苦労した。つらかった」

 「にぎやか」を紹介したテレビから、そんなつらさを忘れ生きがいを持って活動することができる何かを感じたのでしょうね。本当に生き生きと活動している喜びを感じることができましたよ。

 もう一人驚いた利用者がいます。こちらの方は介護保険の利用者のようでした。

 以前、病院に入院していた時には全く動けず、介護度は要介護5だったといいます。「にぎやか」に来た時にもそんな状態だったといいますが、現在は階段も登れるし、コーヒー入れの達人と呼ばれ「チームむら」の一員として視察に対応しています。れいこさんといいます。介護が必要とは全く感じさせません。毎日、施設に通ってくるといいます。

 にぎやかで出会う障がい者や要介護者、そして子どもたちなどのかかわりが良い結果をもたらしたのでしょう。そういう良さが富山型デイサービスにあるということなのだと思います。

 富山市では、富山型デイサービスの仕組みを聴きました。



 そもそも富山型福祉サービスは、1993年に富山赤十字病院を退職した3人の看護師さんが開所した「デイケアハウスこのゆびとーまれ」で、赤ちゃんからお年寄りまで、障害のあるなしにかかわらず受け入れたことが始まりだったといいます。高齢者や障がい者にかかわる法制度のどれにも該当しないことから、行政への支援は全く無い中でのスタートでした。

 やがて利用者が増加する中で運営を直接支援する補助制度が行政によって作られていきました。

 その後、介護保険や障害者自立支援法などができ、それぞれの事業所は、介護報酬や障がい者自立支援費などが収入となったことから補助制度は廃止されていきました。その他、富山型の事業所を立ち上げるための施設整備には新築で1,200万円、住宅改修で600万円の補助制度があるといいます。

 定員は数十人の規模で、介護保険の指定通所介護の定員の枠内で障害者や障害児を受け入れることが可能です。富山市には昨年の4月1日現在で53の富山型デイサービスが作られているといい、小学校区程度の数までさらに増やす計画だといいます。

 このサービスでは、高齢者や障がい者には、子どもとふれあうことで、自分の役割をみつけ、意欲が高まり日常生活の改善などが促進され、児童には他人への思いやりや優しさを身につけたり、地域住民の福祉拠点としてのメリットがあるといいます。

 もちろん、様々な特性を持った利用者が集まることから、その特性に応じた処遇を確保できる、といったデメリットもあるといいます。

 富山市での研修で懐かしいものをおみやげにいただきました。

 富山の薬売りは有名で、置き薬を配達していた薬屋さんは景品に紙風船を置いていった記憶があります。その紙風船をいただいたのです。

 市役所が広報用に作ったもののようようですが、膨らましてみると、懐古の情が湧いてきました。



 富山市での視察を終えて、いわきに変えるために新幹線の車上の人になりました。富山市の背後に衝立のように連なる立山連峰が雲をかぶっています。視察の移動の最中に降った雪は、この雲がもたらしたものかもしれませんね。



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