どうしてアレルギーの話が戦争体験に結び付くのかというと、戦中なのか、戦後なのか食糧事情のお話からだ。
その人は、遠野に嫁に来たのだと思う。中山間地なものだから、なかなか新鮮な魚が手に入らなかったという。配給される魚があったというから、戦時中なのだろう。
ところが、その魚は鮮度が非常に悪い。このため、食べたら当たる・・たぶんアレルギー症状だと思うが、皮膚が赤くなり広がっていく、そんな体験をしたというのだ。魚は好きなのだが鮮度が良く、安心して食べることができる魚を手に入れることができなかった。とても残念な思いをしたという。
ある時、義父といったか、夫といったか、遠野の産物・・あれ何だったけか・・こんにゃく・・違うな、和紙?・・どうも違う・・とにかくその産物を平潟の漁村に運んで行ったら、喜んでもらえ、山ほど魚などを分け与えてくれたのだという。おそらく戦後の話。
自転車にリヤカーをつなぎ、産物を運んで行った義父(夫かも)は、平潟から遠野まで時間をかけて運んだのだろうが、鮮度の良い魚が手に入り、とてもうれしく思ったことを話してくれた。
それからは、比較的、鮮度の良いものが手に入ったようだが、それにしても、配給品の鮮度の悪さには辟易していたらしい。
さて、この方が何歳の時なのか、勿来地区に住んでいて、爆撃などを見たという。
おそらく終戦が近くなってからだが、空を横切る爆撃機B29を見ていたのだという。
ある時、このB29が勿来地区にも爆弾を落としたらしい。その爆弾は、鮫川橋のたもとにあった醤油の醸造元の屋根を突き破ったものの、爆発しなかった。不発弾だったという。
また、植田駅も連合国の戦闘機に銃撃され犠牲者を出しており、そんな体験も話してくれた。
この勿来地区には、風船爆弾の発射施設があった。連日発射される風船爆弾を、比較的間近に目撃していたようだ。
風船爆弾自身が、それなにの大きさをもっているので、遠近効果により下部の爆弾部分が大きく風船が小さく見え、この兵器に迫力を感じていたらしい。おそらく当時は少女。その目に風船爆弾は、どんな風に映っていたのだろうか。
遠野の居住者にも、風船爆弾を目撃していたものがいたことを伝えようとして、忘れてしまったことを思い出した。
その目撃は、入遠野地区に置かれた防空監視所からの目撃で、銀色に光る物体が遠くに上昇していくのをみたというのだ。監視所の本部が平にあり、連絡をすると、目撃したことは極秘と口止めされたといっていた。
そう、この銀色の物体が風船爆弾だったのだ。
何気ない会話の中での戦争体験だったのでうる覚えであるが、こうした体験者のお話を記録することって、大切なのじゃないかな。そんなふうに思って話を聞いた。
その人は、遠野に嫁に来たのだと思う。中山間地なものだから、なかなか新鮮な魚が手に入らなかったという。配給される魚があったというから、戦時中なのだろう。
ところが、その魚は鮮度が非常に悪い。このため、食べたら当たる・・たぶんアレルギー症状だと思うが、皮膚が赤くなり広がっていく、そんな体験をしたというのだ。魚は好きなのだが鮮度が良く、安心して食べることができる魚を手に入れることができなかった。とても残念な思いをしたという。
ある時、義父といったか、夫といったか、遠野の産物・・あれ何だったけか・・こんにゃく・・違うな、和紙?・・どうも違う・・とにかくその産物を平潟の漁村に運んで行ったら、喜んでもらえ、山ほど魚などを分け与えてくれたのだという。おそらく戦後の話。
自転車にリヤカーをつなぎ、産物を運んで行った義父(夫かも)は、平潟から遠野まで時間をかけて運んだのだろうが、鮮度の良い魚が手に入り、とてもうれしく思ったことを話してくれた。
それからは、比較的、鮮度の良いものが手に入ったようだが、それにしても、配給品の鮮度の悪さには辟易していたらしい。
さて、この方が何歳の時なのか、勿来地区に住んでいて、爆撃などを見たという。
おそらく終戦が近くなってからだが、空を横切る爆撃機B29を見ていたのだという。
ある時、このB29が勿来地区にも爆弾を落としたらしい。その爆弾は、鮫川橋のたもとにあった醤油の醸造元の屋根を突き破ったものの、爆発しなかった。不発弾だったという。
また、植田駅も連合国の戦闘機に銃撃され犠牲者を出しており、そんな体験も話してくれた。
この勿来地区には、風船爆弾の発射施設があった。連日発射される風船爆弾を、比較的間近に目撃していたようだ。
風船爆弾自身が、それなにの大きさをもっているので、遠近効果により下部の爆弾部分が大きく風船が小さく見え、この兵器に迫力を感じていたらしい。おそらく当時は少女。その目に風船爆弾は、どんな風に映っていたのだろうか。
遠野の居住者にも、風船爆弾を目撃していたものがいたことを伝えようとして、忘れてしまったことを思い出した。
その目撃は、入遠野地区に置かれた防空監視所からの目撃で、銀色に光る物体が遠くに上昇していくのをみたというのだ。監視所の本部が平にあり、連絡をすると、目撃したことは極秘と口止めされたといっていた。
そう、この銀色の物体が風船爆弾だったのだ。
何気ない会話の中での戦争体験だったのでうる覚えであるが、こうした体験者のお話を記録することって、大切なのじゃないかな。そんなふうに思って話を聞いた。
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