伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

天皇の言葉が良かっただけに、戦争を思い起こさせる安倍首相の「天皇陛下万歳」の発声が残念だった

2019年02月26日 | 政治
 24日の天皇在位30周年記念式典。途中から中継を見たが、最後がとても残念な終わり方になったように思う。

 最後に万歳三唱の音頭をとった安倍首相は、「天皇陛下御在位30年、天皇陛下万歳」と発声した。「天皇陛下御在位30年万歳」なら分かる。在位期間を祝う式典なのだから。ところが「天皇陛下万歳」と、天皇個人を礼賛する万歳に代えてしまった。違和感を持ったのは私だけだろうか。

 現在の天皇には戦争責任はない。そして、即位後は各地を訪ねて戦没者の慰霊を重ねるとともに、平和への希求を言葉にしてきた印象が強い。その天皇に拒否感を持っているわけではない。むしろ、現憲法のもとで、象徴天皇としての役割を果たそうとする天皇には好ましい思いを持っている。日本が侵略戦争に乗り出し、国体護持のために「戦果を得てからでないと」と戦争を長引かせるなど戦争責任を問われる前天皇とは、おのずとその立場は違う。

 そのように考えている私に、「天皇陛下万歳」は嫌な記憶を呼び起こさせた。あの戦争の時代に、どれだけ多くの人々がこの言葉を口にしながら死んでいったのだろうか。そのことを思うと、天皇となっている人の違いはあるけれど、この発声での万歳には違和感が噴き出すのだ。

 ましてや発声した安倍首相は、秘密保護法や安保法制(戦争法)を強行、武器輸出を解禁し、そして軍隊を持ち戦争をできる日本めざして改憲をすすめようとしている人物だ。「天皇万歳」にどんな思いを込めているのか分かったものではない。この言葉に、天皇を利用して自らの思い描く戦争をできる日本づくりをすすめようという思惑を感じてしまうのだ。

 天皇は式典のお言葉で、「我が国も、今、グローバル化する世界の中で、更に外に向かって開かれ、その中で叡智(えいち)を持って自らの立場を確立し、誠意を持って他国との関係を構築していくことが求められているのではないかと思います」と語った。これは何を意味するのだろうか。世界のグローバル化の中での一般論なのだろうか。でも、「更に外に向かって開かれ、その中で叡智(えいち)を持って自らの立場を確立し、誠意を持って他国との関係を構築していくことが求められている」の部分に深い意味を感じる。

 今、日本は、韓国との関係も悪化させ、北朝鮮との話し合いのチャンネルも持たず、中国との関係もうまくいっているわけではない。日本が侵略戦争で多大な犠牲を出し迷惑をかけた国々だ。その国々との関係がうまくいかず、日本が北東アジアの孤児になってしまう危機感。日本国憲法で戦争への反省を語ったはずなのに、その道から外れようとしているように見える安倍流政治への危機感。そんな思いを刻んだ言葉が「誠意をもって他国との関係を構築していくことが求められている」なのではなかったのか。そんなふうに聞こえてきたのだ。

 天皇は国政に関与することは出来ない。憲法上してはならないことになっている。だから、直接的に政治に関わる発言をすることはできない。また、この言葉に政治的な意味を持たせ喧伝することになれば、天皇の政治利用というそしりを受けることになるかもしれない。だとしても、この言葉には深い意味が隠されている。そんなふうにしか思えない。考えすぎかな・・。



 写真は25日のスーパーJチャンの画面だ。天皇がお言葉を読み違えた時、気が付いた皇后が声をかけ、正しい原稿に戻った。この時、お二人の間に短く言葉が交わされた。天皇「え? どうして?あ、そうか」、皇后「違いますよ」、天皇「え?これだ。どうも」( BuzzFeed Newsより=https://www.buzzfeed.com/jp/keiyoshikawa/okotoba)。このやり取りにお二人の日常の姿が浮かび上がり、微笑ましく、また、お二人の庶民性と親しみやすさを強く感じたのだ。

 そんな式典だっただけに、「天皇陛下万歳」の安倍首相の発声が、最後の最後で式典を台無しにしたようで残念で仕方がなかった。式典放送を見ていた方々はどんな感想を持っただろうか。


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