伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

東日本大震災追悼式

2020年03月11日 | 災害
 東日本大震災追悼式は、例年、政府主催の追悼式の放送を視聴しながら、震災発災の午後2時46分、政府黙祷に合わせて黙とうを実施後、いわき市の式典が始まってきた。

 今年はCOVID-19の流行拡大の中で、政府主催追悼式は中止し、代わって官邸から放送された首相の追悼の辞の後、放送に合わせて黙とうを実施し、いわき市の式典に移った。式典そのものも、市長の式辞と遺族及び市議会議長による追悼の辞の後、遺族の献花、続いて自由献花が実施され終了となる、簡素な式典となった。

 遺族代表の追悼は、娘さんとお母さんを津波で亡くした鈴木貴さんが述べた。

 ああ、以前、少しお話をしたことがある。たしか、デザイナーだったかな・・を夢見ていた娘の姫花さんが残した絵をハンカチにして販売していた。売り上げを復興支援に寄付を続けてきたことを報道で読んでいる。



 姫花さんのハンカチだ。明るい色調と描かれた笑顔。夢にあふれて生きていた日を思い起こさせる。

 鈴木さんが追悼を始めた。


声が聞こえる
10歳の娘の愛くるしい笑顔。
パパと私を呼ぶ声が聞こえる。

声が聞こえる
62歳の母。厳しい・・
しかりつける声が聞こえる

いっしょにご飯を食べていた
・・・・・
・・・・・

時々夢に出てきてくれる
夢でも会えたことがうれしく
目が覚め、自然と涙が出てくる

毎日線香をあげています。
ひめちゃん
おばあちゃん
いっしょに天国行ってください


 全部を書き留める事が出来たわけではないが、震災後、鈴木さんの、姫花さんを思い、お母さんを思い、失われた日々を悼む心が伝わってくる。

 姫花さんとの最後の会話が、あの日の朝の「行ってきます」「行ってらっしゃい」だったという。言葉を交わしたくても交わすことができない9年を過ごしてきた。

 それでも打ちひしがれることなく9年を過ごすことができたのは、忘れたからではなく、天国の彼ら、彼女らが生きろと支えていてくれるからだという。

 遺族にとって9年目の今日は、通過点に過ぎない。

 鈴木さんはいう。

「これから10年、20年、花を手向ける場が変わろうとも、追悼し続ける事を誓う」

 復興が進み、被災したまちの様子も変わった。震災の時の街並みはすでに失われた。そして政府は10年目を契機に、追悼式のあり方の検討をすすめていくという。

 10年という歳月が流れても、被災者、そして遺族の心から震災の記憶が薄れることはないのだろう。新聞報道だったか、姫花さんは、生きていれば、今年20歳になると伝えていた。遺族の中で娘さんは今でも年を重ねている。

 鈴木さんの言葉には、終わりのない被災者の哀しみが見えたように思う。会場に微かに響いたすすり泣きがそれを伝えた。

 式典後、自由献花の時間に、白い菊の花一輪をいただき、献花した。あの災害を忘れない。そう心の中でつぶやいた。


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