伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

コウコウ ソレガ カタキウチ

2012年06月11日 | 平和・戦争
 人間魚雷「回天」で犠牲に 亡き兄の手紙

 携帯ニュースの見出しが目を引いた。「太平洋戦争末期に開発された、人間をのせたまま敵艦に突入する人間魚雷『回天』で兄を亡くした姉弟が先月31日、出撃直前に兄が書いた手紙を寄贈するため、基地のあった山口・周南市の大津島を訪れた」という。

 記事は「回天」に搭乗した106人が死亡したことを紹介し、乗組員となった本井文哉さん(享年19)は、1945年1月12日に太平洋上で敵艦に突撃して亡くなった、と伝える。手紙は出撃直前に弟に宛てて出されたもので、弟は「私だけが持つ手紙じゃなくて、すべての人に読んでいただきたい。後世の人を含めて」という思いで寄贈することにしたという。

 文面はこうだ。
「ニイサンノブンマデ オトウサマ・オカアサマニ ゴコウコウシテクダサイ。ソレガ ニイサンノ カタキウチニナルノデス」

 家族のことを思い、死に追いやる者たちへの静かな怒り、無念の思い、悔しさがにじみ出してきます。あの戦争の非情さ、残虐さにふつふつと怒りが湧いてくるようだ。

 記事を読みながら、以前に活動日誌に書いた、市内の戦争体験者の証言を思い出した。記事はそれぞれの立場からの戦争体験を伝えた。こうした体験を風化させてはならないと思う。


 「第7回いわき平和のつどい」は文化センターで開かれ、戦争遺品をはじめとした資料の展示や靖国神社問題を取材した映画「あんにょん・サヨナラ」の上映などが行われました。主催は同実行委員会で、約650人が来場しました。

 8月1日は、「今話しておきたい、あの『戦争』」と題し、戦争体験者が証言しました。

 横須賀海兵団に配属された男性(終戦時21歳)は特攻兵器の人間魚雷「回天」の搭乗員が、「白いメシを腹いっぱい食えるとすすめられて入隊したが、麦飯でも家にいたほうが良かった。家族とずっと暮らしたかった。私も終わりだ。最後の姿を家族に伝えてください」と告白。出撃の1ヵ月後、その家族が住む広島に原爆が投下され、約束は果たせなかったといいます。

 また、「海兵団の奉安殿を守るため歩哨にたたされた衛兵が、上官命令でその場から動けず、戦闘機から機銃で狙い撃ちされ、何人もが死んでいった」と、怒りをあらわに証言しました。

 疎開を体験した女性(同16歳)は、食糧を手に入れるために苦労した体験を語りました。
 母乳の出が悪く、やせ細る幼子を抱える姉のためにやっと手に入れた食糧を、検問で没収されたこともあるといいます。一方で、ある農民から、「トラックいっぱいの砂糖などの物資と食糧を交換してしまった。ここらにあなたらにやる食糧はない」といわれた。金の力で横暴をつくすヤミ業者が野放しで、わずかな食糧を没収する国家権力。「その理不尽に怒りが湧いた」と語りました。

 会場をおとずれた小学生は、「戦争が、こんなにおそろしいと初めて知りました」と、感想をよせたそうです。


 朝、散歩をしているとナワシロイチゴ(写真)が花盛りです。


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