伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

「美しい顔」を読んだ

2019年06月11日 | 読書
 東日本大震災で津波に遭遇しながら、何を逃れ生き残った女子高校生の「私」は、やはり生き残った弟と避難所で生活をすることになった。

 「私」は、現実に向き合うことにできないでいた。取材のカメラの前で被災した悲劇のヒロインを演じ注目を集めることによって現実から目をそらしていたのだ。

 「私」が確認するべき現実は、母親の安否を確認する事であり、弟とこれからどう生きていくかを考えることだった。しかし、その現実に目をふさいだ。ただただ可哀そうな被災者を演じ続けていたのだ。

 実は、「私」の母親がどうなっていたかは、すでに知れていた。彼女は知らなかったが、その確認に向き合うことを避けていたのだ。

 しかし、母の知人の女性が「私」の目を開かせる。「私」は現実に向き合い、現実を確認することによって、次に生きるべき道を見出し、足を踏み出していった。




 「美しい顔」は対面した母の顔だった。そして署名にふさわしくブックカバーの美しさも目をひいた。

 読み始めると、1センテンスの何と長いことか。1つの段落が4ページも続くことがある。読みにくい構成の文だ。しかし、ここには意味があるのだろう。物語は、「私」の独白によって展開していく。被災した現実の中で、混乱する思考、とめどもなくあふれてくる感情が、この長い段落で表現されているのだろう。


 作者自身は、被災地を取材したことはないと何かで読んだ。その中でも、「私」の心の揺れは良く理解をできる。参考文献をしっかり記載していれば、そんなに大きな問題にならなかったのだろうと思う。読みたくていたのだが、出会えた書店に感謝。


 


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