私が離党した件について、再びこんな問い合わせがありました。私が地区等の幹部の対話を拒否していたのは本当か、という内容です。今回の離党の判断について、地区党内では様々な反応があるでしょうから、そのことは構いません。しかし、中央委員会の担当者と最初のコンタクトで私が明らかにした「今度の事例から、何か導き出す教訓があるならば、今後の組織活動に活かしていただければ結構だと思っております」とした希望の点からいえば、少なくとも、誤解、間違い、あるいは嘘を前提に思い込まれるのは困ります。事実にもとづかない私への偏見を持たれても困りますし、同時に当該日本共産党地区委員会の行く末にとって、事実を踏まえて未来を展望することがなければ今回の経験が活きず、マイナスになるのではないかと、老婆心ながら考えるからです。そこで事実関係だけは明らかにしておきたいと思います。
■私から対話を拒否した事実はない
まず、私が幹部役員等との対話を拒否したという事実はありません。文書による対話を望んだということだということを明確にしておきたいと思います。実際、中央委員会の担当者からの問い合わせがあった際には、この担当者と文書の交換により対話を積み重ね、すでに離党の意思を固めていた現実からあまり気乗りはしなかったのですが、最終的には実際にあって口頭による対話を積み重ねたという現実がありました。
この過程で私は、担当者に、最初の文書(手紙と呼んでいたが)で34,000余字、次の文書で12,000余字、続いて2,500余字、2,100余字、5,719字、6,719字と、長文の文書交換だけで6回、他に短文のメールのやり取りも含めて対話を積み重ねていました。
文書による対話を求めていることは、市議団控室に出入りしていた常任委員会メンバーをはじめ、関係者に問われるたびに直接口頭で伝え続けていたはずです。それを「口頭が基本」という勝手な基準を設け対話を拒否続けていたのが、地区幹部の側であったことははっきりさせておきたいと思います。
地区幹部等ともメールによる対話はありました。バークがゴミだという主張の根拠を記したメールが届いた際には、その根拠となっていた国の文書を正しく読解できていないこと、その国の文書ではバークをゴミとはできないこと等を趣旨とする私の意見をまとめ当該幹部に送りました。これに対して、当該幹部から「遠野興産のバークが廃棄物であったらこまりますか?」と、「かけはしで、✕✕を『廃棄物処理施設の機能を持つ工場』としたのは遠野支部や地区常任委員会での論議を踏まえた県議団の見解です」という所見が届けられした。
この所見の内容が常任委員会で検討された結論だということから、私は幹部1人を相手にすることはやめ、地区事務所のメールアドレスで地区常任委員会にあてて所見に関するコメントを書き返信しています。そう思い起こせば、あの時には、ゴミとする見解の根拠があまりにも恥ずかしい内容だったので、集団による見解が本当かどうかを確かめる必要性も感じていたからだったことも思い出します。それはともかく、このように文書でも対話は十分に可能なのです。
ただ、この返信の指摘に対して、その後何の返事も返ってきていません。つまり、文書による対話は地区幹部の側から打ち切られた状況が続いています。
■この水準なら議論に意味はないは、水準が変われば議論ができるという意味
私の返信に、「この水準で議論をしても意味はないので、仮に反論があってももうこの問題を論じる気はありません。環境省等の文書をありのままに読む努力を重ねてお願いしておきます。」とする一文があります。これを根拠に私が対話を打ち切ったと主張する向きもあるようです。
しかし、丁寧に読んでいただけば分かるように、「論じる気」がないのは「この水準」での議論です。バークをゴミとする根拠とならない国の文書をゴミとする根拠だと言い張っている限りまともな議論にはなりません。何度やりとりしても、私からの回答は同じ。「文書を正しく読む努力をしてください」としかならないのです。必要なことは、文書を正しく理解すること。そしてその上に立ってバークをゴミと判断できる根拠があるのならば、議論を積み重ねる余地はいくらでもあったのです。
しかし、これに何の返答もよこさないところに、彼らから議論をやめた、すなわち対話を打ち切ったという証を見ることができるのです。
■選管と地区党の解釈の違いの正否に決着が対話の主題になるべきこと
また、バークが問題になる以前のタスキ等公職選挙法の解釈だけが問題になっていた段階で、私が求めたのはタスキの着用について「白黒」をつけることでした。ここで必要なことは、公職選挙法の解釈に関して提訴する、あるいは国会で法解釈について議論することなどでした。そして、タスキ等の問題についてはこのことが対話の主題となるものでした。ところが、この求めにまともに向き合おうともせず、タスキは合法という独自解釈の正当性を主張することが繰り返されました。
お分かりのように、地区党の幹部がタスキ着用の正当性をいくら主張しようとも、選管の解釈が変わることはありません。幹部が他のどこにも働きかけず正当性を主張したとしても、それは一人芝居です。国の解釈に影響を与えないからです。国の解釈が変わらなければ選管の解釈も変わりません。だから私が求めたのは、司法や国会議論で国の解釈の不当性を立証して選挙期間中以外のタスキ着用に問題がないと公式に明らかにすることでした。この不当性を明らかにできないのであればタスキの着用を私たちに求めることをやめる以外に選択肢はなかったのです。
ところがやられていたのは、幹部の一人芝居でした。この芝居を見せられても私が置かれた環境に何の変化も生まれないことは明らかです。自らの主張を押しつけることは対話とは言えないのです。つまりこの問題でも、対話の前提に必要な求めを無視し続け、対話の場を作ろうとしなかったのは地区党等の幹部の方でした。
■勝手なルールを作り事実上の対話拒否
タスキの問題に加え、根拠のないバークはゴミ問題が発生した後、私は文書による対話に応じるという意思を何度も明確にしていました。ところが、地区党の幹部は「口頭による対話が基本だと考えている」と一方的な基準を設定し対話を全く拒否し続けてきたというのが実態でした。
私が文書による対話を求めたのは、タスキの問題では着用の是非に「白黒」をつけることをせず自らの主張を繰り返すだけであったこと、また、ゴミの問題では文書のやりとりの段階ですでにゴミと立証する根拠がないにも関わらず、ゴミだという主張に固執していたことなどがあります。この状況で口頭による対話をしたとしても、話を聞くまでもなく結論が見えるので、対話が成り立たないことは想定できました。文書ならば、少なくとも相手の主張の論拠を把握してまともに議論ができますので、建設的かつ妥当な求めだったと思っています。
以上のように、私が地区党の幹部等との対話を拒んだという事実は全くないということを知っていただきたいと思います。
■自らの考えに真摯に向き合ってこそ今回の経験が活きる
私が対話に応じないという疑問が生じた一つの原因に、地区党幹部が、関係を改善したいのだが私が「対話に応じてくれない」と周囲に話していたということがあると思われます。私から見れば、私を落としめるための発言として思えないものですが、このような問題も含め、この間に起こったこと、これに対する幹部等の対応、また、その対応をした際の自ら考えに真摯に向き合い、反省・総括し、党内にしっかり説明することこそ、今後の党地区委員会等の活動に、今回の経験を生かすことになるでしょう。それがない限り、再び同じ過ちを犯すことになると考えています。
問題が起こった際の事実の掌握、反省、反省に基づく対応策の検討、そして公表。これは、市議会の場で、市政で何か問題が発生した際に、私が市に求めた対応の基本です。今回の地区党等の幹部の問題に対しても、この対応と違う姿勢をとれるはずはありません。彼らが、私の求めにまともにとり合わず、対話の機会をつぶしてきた。その事実を踏まえれば、前述の基本的な姿勢・考えを持つ私が行きつく先は、こうした幹部等との決別しかなかったということになります。
私は共産党を離れてはいますが、これからも、私の離党に至る問題に関して疑問があれば答えていくことが、市議会の場で取ってきた私の姿勢を貫くことになると考えています。これらかも、ご質問等があれば同様に答えていくことになると思っています。
長々とした説明になりました。最後までおつきあいいただきありがとうございます。
関連するブログ記事は以下の通りです。
■本日、会派名変更の届を市議会議長に提出しましたので、その事情等をお知らせします
■疑問がよせられた離党した私が謝罪を受け入れなかったということと実際とは違いがあります
■私から対話を拒否した事実はない
まず、私が幹部役員等との対話を拒否したという事実はありません。文書による対話を望んだということだということを明確にしておきたいと思います。実際、中央委員会の担当者からの問い合わせがあった際には、この担当者と文書の交換により対話を積み重ね、すでに離党の意思を固めていた現実からあまり気乗りはしなかったのですが、最終的には実際にあって口頭による対話を積み重ねたという現実がありました。
この過程で私は、担当者に、最初の文書(手紙と呼んでいたが)で34,000余字、次の文書で12,000余字、続いて2,500余字、2,100余字、5,719字、6,719字と、長文の文書交換だけで6回、他に短文のメールのやり取りも含めて対話を積み重ねていました。
文書による対話を求めていることは、市議団控室に出入りしていた常任委員会メンバーをはじめ、関係者に問われるたびに直接口頭で伝え続けていたはずです。それを「口頭が基本」という勝手な基準を設け対話を拒否続けていたのが、地区幹部の側であったことははっきりさせておきたいと思います。
地区幹部等ともメールによる対話はありました。バークがゴミだという主張の根拠を記したメールが届いた際には、その根拠となっていた国の文書を正しく読解できていないこと、その国の文書ではバークをゴミとはできないこと等を趣旨とする私の意見をまとめ当該幹部に送りました。これに対して、当該幹部から「遠野興産のバークが廃棄物であったらこまりますか?」と、「かけはしで、✕✕を『廃棄物処理施設の機能を持つ工場』としたのは遠野支部や地区常任委員会での論議を踏まえた県議団の見解です」という所見が届けられした。
この所見の内容が常任委員会で検討された結論だということから、私は幹部1人を相手にすることはやめ、地区事務所のメールアドレスで地区常任委員会にあてて所見に関するコメントを書き返信しています。そう思い起こせば、あの時には、ゴミとする見解の根拠があまりにも恥ずかしい内容だったので、集団による見解が本当かどうかを確かめる必要性も感じていたからだったことも思い出します。それはともかく、このように文書でも対話は十分に可能なのです。
ただ、この返信の指摘に対して、その後何の返事も返ってきていません。つまり、文書による対話は地区幹部の側から打ち切られた状況が続いています。
■この水準なら議論に意味はないは、水準が変われば議論ができるという意味
私の返信に、「この水準で議論をしても意味はないので、仮に反論があってももうこの問題を論じる気はありません。環境省等の文書をありのままに読む努力を重ねてお願いしておきます。」とする一文があります。これを根拠に私が対話を打ち切ったと主張する向きもあるようです。
しかし、丁寧に読んでいただけば分かるように、「論じる気」がないのは「この水準」での議論です。バークをゴミとする根拠とならない国の文書をゴミとする根拠だと言い張っている限りまともな議論にはなりません。何度やりとりしても、私からの回答は同じ。「文書を正しく読む努力をしてください」としかならないのです。必要なことは、文書を正しく理解すること。そしてその上に立ってバークをゴミと判断できる根拠があるのならば、議論を積み重ねる余地はいくらでもあったのです。
しかし、これに何の返答もよこさないところに、彼らから議論をやめた、すなわち対話を打ち切ったという証を見ることができるのです。
■選管と地区党の解釈の違いの正否に決着が対話の主題になるべきこと
また、バークが問題になる以前のタスキ等公職選挙法の解釈だけが問題になっていた段階で、私が求めたのはタスキの着用について「白黒」をつけることでした。ここで必要なことは、公職選挙法の解釈に関して提訴する、あるいは国会で法解釈について議論することなどでした。そして、タスキ等の問題についてはこのことが対話の主題となるものでした。ところが、この求めにまともに向き合おうともせず、タスキは合法という独自解釈の正当性を主張することが繰り返されました。
お分かりのように、地区党の幹部がタスキ着用の正当性をいくら主張しようとも、選管の解釈が変わることはありません。幹部が他のどこにも働きかけず正当性を主張したとしても、それは一人芝居です。国の解釈に影響を与えないからです。国の解釈が変わらなければ選管の解釈も変わりません。だから私が求めたのは、司法や国会議論で国の解釈の不当性を立証して選挙期間中以外のタスキ着用に問題がないと公式に明らかにすることでした。この不当性を明らかにできないのであればタスキの着用を私たちに求めることをやめる以外に選択肢はなかったのです。
ところがやられていたのは、幹部の一人芝居でした。この芝居を見せられても私が置かれた環境に何の変化も生まれないことは明らかです。自らの主張を押しつけることは対話とは言えないのです。つまりこの問題でも、対話の前提に必要な求めを無視し続け、対話の場を作ろうとしなかったのは地区党等の幹部の方でした。
■勝手なルールを作り事実上の対話拒否
タスキの問題に加え、根拠のないバークはゴミ問題が発生した後、私は文書による対話に応じるという意思を何度も明確にしていました。ところが、地区党の幹部は「口頭による対話が基本だと考えている」と一方的な基準を設定し対話を全く拒否し続けてきたというのが実態でした。
私が文書による対話を求めたのは、タスキの問題では着用の是非に「白黒」をつけることをせず自らの主張を繰り返すだけであったこと、また、ゴミの問題では文書のやりとりの段階ですでにゴミと立証する根拠がないにも関わらず、ゴミだという主張に固執していたことなどがあります。この状況で口頭による対話をしたとしても、話を聞くまでもなく結論が見えるので、対話が成り立たないことは想定できました。文書ならば、少なくとも相手の主張の論拠を把握してまともに議論ができますので、建設的かつ妥当な求めだったと思っています。
以上のように、私が地区党の幹部等との対話を拒んだという事実は全くないということを知っていただきたいと思います。
■自らの考えに真摯に向き合ってこそ今回の経験が活きる
私が対話に応じないという疑問が生じた一つの原因に、地区党幹部が、関係を改善したいのだが私が「対話に応じてくれない」と周囲に話していたということがあると思われます。私から見れば、私を落としめるための発言として思えないものですが、このような問題も含め、この間に起こったこと、これに対する幹部等の対応、また、その対応をした際の自ら考えに真摯に向き合い、反省・総括し、党内にしっかり説明することこそ、今後の党地区委員会等の活動に、今回の経験を生かすことになるでしょう。それがない限り、再び同じ過ちを犯すことになると考えています。
問題が起こった際の事実の掌握、反省、反省に基づく対応策の検討、そして公表。これは、市議会の場で、市政で何か問題が発生した際に、私が市に求めた対応の基本です。今回の地区党等の幹部の問題に対しても、この対応と違う姿勢をとれるはずはありません。彼らが、私の求めにまともにとり合わず、対話の機会をつぶしてきた。その事実を踏まえれば、前述の基本的な姿勢・考えを持つ私が行きつく先は、こうした幹部等との決別しかなかったということになります。
私は共産党を離れてはいますが、これからも、私の離党に至る問題に関して疑問があれば答えていくことが、市議会の場で取ってきた私の姿勢を貫くことになると考えています。これらかも、ご質問等があれば同様に答えていくことになると思っています。
長々とした説明になりました。最後までおつきあいいただきありがとうございます。
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■疑問がよせられた離党した私が謝罪を受け入れなかったということと実際とは違いがあります
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