雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

父の日

2014年06月24日 | エッセイ

 父の日


 6月15日の日曜日は父の日だったが、同級生のおっさん達3人で(私を除く2人にはもう孫がいるじいさん達)、前夜から南阿蘇の山小屋で飲み明かした。いや本当は飲み明かすつもりだったが0時前には皆早々に布団に入ってしまった。
 今年の父の日は、サッカーW杯の日本戦の初戦の日と重なり、母の日と比べてただでさえ影の薄い父の日は、ますます影が薄かった。おじさん達3人で一生懸命応援したが、逆転で日本は負けてしまった。勝っていたら日本中のおとうさんサポーターに何よりの父の日のプレゼントになっていただろうな。それでもフェイスブックには、父の日関係の投稿が多く、中にはなぜか奥さんからちょっとした贈り物をもらっている知人もいた。夫婦の中には子どもが出来た時からお互いのことを「パパ」「ママ」で呼ぶ人がいるが、「旦那さんは奥さんから見て父の日の対象ではないんでないかい」と思ってしまう私。うーん、この意見は多分にひがみが入っているなあ。
 私はどうなのかというと、私が感謝を表する相手の実の父も義父もすでに墓石の下。感謝を表される方の二人の子ども達からは、今年も娘からのお祝いメールがあっただけだ。記念のプレゼントといったら、子ども達が保育園に行っていた頃、「おとうさんありがとう」と書かれた私の肖像画をもらったことがある程度か。家人に奥さんから父の日のプレゼントをもらった人の話もしてみたが、「とんでもないわ。今も一緒に住んでもらっているだけで感謝してもらわないと」と、一蹴された。まあ確かにそれで充分だけど。
 父の日にちなんで親の呼称について考えてみた。
 私の子ども達二人は、親のことを通常「おとうさん」「おかあさん」と呼ぶ。幼い頃は「パパ」「ママ」も使っていたようで、あまり記憶は無いがビデオにしっかりと声が残っている。それとは別に、時々親のことをニックネームで呼ぶこともある。さすがに子ども達も成人してからは「おとうさん」「おかあさん」がほとんどだが、どうにかした機会にふとニックネームで呼ばれることがある。
 このニックネームは、家人の場合は名前を省略しちゃんをつけた「○ッコちゃん」だ。私が家人をそう呼ぶことが多いから子どもも使い始めたのだろう。長男は未だに「おかあさん」よりこちらが多いかもしれない。そして私の場合は私が小さい頃からの誰が言い出したかわからない「ボクチン」という家族親戚内の不思議なニックネームがあり、それを知った家人が結婚前から使い出し、生まれた子ども達も父親のことを「ボクチン、ボクチン」と呼ぶのだ。ちなみに「ボクチン」というニックネームは60歳近くになった未だに兄妹や親戚の人に使われているし、一部の友人まで使っているのだ。その他に長男などは、面と向かって言われたことは無いが、人に私のことを話す時は親父と言っているみたいだし、心の中では「クソじじい」と呼んだこともあるかもしれない。
 ところで、自分は親のことをどう呼んでいただろう。4年前に父が亡くなる以前は、横浜に住む姉が実家を頻繁に訪ねてくれていた。その時、姉が父のことを「パパ」と呼び掛けていたことに少し驚いた記憶がある。姉は小さい頃から「パパ」「ママ」と言っていたのだろうか?兄妹5人、「おとうさん」「おかあさん」で統一されていたように思うが、妹達など小さい頃は「パパ」「ママ」だったかもしれない。天草の田舎だったから、小さい頃の周りでは「とうちゃん」「かあちゃん」が主流だった。私は「おとうちゃん」「おかあちゃん」と呼んでいたような気もする。が、いつの間にか「おとうさん」「おかあさん」になっていた。でも私自身は「パパ」「ママ」と親を呼んだことは無いし、人との会話の中でも口に出したことが無い。だから何だという訳ではないが‥‥。
 父の日の前日の朝に、家人に誘われてショッピングモールに行った。花屋や酒屋、洋服店、パン屋、ケーキ屋、本屋。どこに行っても「父の日」の表示だらけのショッピングモールで服を買ってもらった。家人は何も言わないが子ども達に替わっての父の日の感謝の気持ちだったかもしれない。いやそうだったと思っておこう。
(2014.6.23)

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