雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

勘三郎が教えてくれたこと

2012年12月07日 | ポエム

 勘三郎が教えてくれたこと

あんなに楽しみにしていた新歌舞伎座の落成を前に、中村勘三郎が亡くなった。私と同じ昭和30年生まれ、57歳での早過ぎる逝去。本人が一番無念だったことだろう。
 癌の治療をしていたことも、その後予定されていた復帰が延期されたニュースも聞いていた。心配はしていたが、日本の宝のような大事な身体。念には念をいれてのことだと理解していた。
 昨日の早朝の突然の訃報には、驚きと嘆きが同時にわいて一人でいたのにもかかわらず「えーっ」と声が出てしまった。
 同じ年ということもあるが、好きな芸能人が亡くなったというだけでない、身近な悲しみが報を聞いてから私の胸の中で続いている。
 私が彼を初めて認識したのは、NHKの大河ドラマ「天と地と」で、石坂浩二が演じた上杉謙信の少年期の役をした時だ。以来、同年の彼の動向には、何かしら興味を持っていたし、心の中で応援もしていた。
 だんだん先代の勘三郎に似てきて、これから先の円熟した舞台も楽しみだった。そう言いながら、直に彼の舞台を見る機会が無く、テレビでも歌舞伎を熱心に見ることもなかった。でもいつか、生の舞台を見ることは、私の夢の一つだった。それは実現する可能性の大きい夢だった。
 やりたいことは、待っちゃいけないなあ。
 勘三郎の死は、私にそのことを改めて強烈に教えてくれた。
 ここ数年は、身近な人の死が続いて、「一期一会」という言葉が何かにつけ頭にある。何気ない普通の生活が出来ることは、当たり前のことではなく、有難いことだということも、震災とともに身近な死が私に教えてくれたことだ。
 水曜日の朝以来、勘三郎の言動をテレビの情報番組が取り上げている。様々な職種の人が、生前の彼との交流を語っている。
 思わず笑ってしまうエピソードや、エネルギーが溢れている彼の映像に励まされ、笑いながら涙が出てしまう。
 生前の勘三郎の自分の芸に対するきびしい姿勢のことを尋ねた質問に、
「きびしくなければ、夢は実現しない」
 と答えていたことが胸に響いた。
 そうだ。そこが私なんか、全然足りない。
 自分に対するきびしさも持って、やりたい夢を実現して行きたい。
 勘三郎の死が、まだ生かされている私に教えてくれたことだ。
 年末に新年の目標が出来ようだ。
(2012.12.7)
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