雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

還暦と夢

2015年12月13日 | エッセイ
> 還暦と夢


 小さい男の子が仮面ライダーになりきっている。
彼の目の前にいる敵はどうやら私らしい。真剣な顔で攻撃を仕掛けてくる。
なり切っているから油断すると痛い目に合いそうだ。ちょっと意地悪をしたくなって、こちらも手加減しないで相手をすると、仮面ライダーは負けるはずがないと信じているからか、涙を出しながらますます激しく攻撃してくる。
 先月、六十歳の誕生日を迎えた。
 還暦。仮面ライダーにもなりきれる子どもの歳にかえるのだそうだ。
 小さい頃、父が家族のために買った赤いソノシートレコードの童謡集をよく聞いていた。
 その中に「村の渡し」という題名の歌があって今も耳に残っている。
少女が独特の高音の唄声で歌う曲の出だしの歌詞が「村の渡しの船頭さんは今年六十のおじいさん」というものだった。
 その歌のおかげで私は「六十歳はおじいさんなのだ」と小さい頃から刷り込まれて成長してきた。
 四十歳の後半に、おそらく自分の人生の後半に入ったのだと意識し、五十歳の時にもそれなりに感慨と抵抗があった。さらに六十歳の誕生日となると「還暦」という人生の大きな節目であり、まわりや自分自身の内側でいろいろとそれまでとは違ってくるのだろうか。高齢の域に入ったことに自分なりに納得したのか、五十歳の時のような歳をとることへの抵抗が今は無い。
 六十五歳の定年制の採用も増えてきたが、多くの事業所では六十歳で定年となる。
 実は私の勤めていた事業所の定年は六十五歳というありがたい規定があり、うかつにも私は安心していたのだが、事業所側の経営上の都合で退職せざるを得ないこととなった。
 事業所は私の実家でもあり現在の代表は兄弟でもある。実家の事業所が悪く思われることも、そもそも四半世紀以上その事業所のために働いてきたことを争うことで無にしたくなかった。言いたいことはあったが事業所のこれからを一番に考えて身を引いた。
 それで今は無職である。
 還暦をもう一度次の人生のスタートだと考え、身体の動くうちはやりたいことをやってみたいと考えている。「六十歳から十年から十五年、まだまだ身体も動き、一番いい時だよ」という話も聞き、楽しみでもある。
 六十歳の誕生日の翌日だったかとんでもない夢をみた。
 どうも夢の中の自分は中世以前のヨーロッパらしい国の領主だか城主だか、つまり何とも恐れ多いことに王様らしいのである。
 見える風景や状況は映画「ロード・オブ・ザ・リング」の世界に近く、私は物語の中のアラゴルンのような王様になりきっているのだ。
ところがその国は、凶悪な隣国に攻められ苦境に立たされている。
最も信頼をし、武功も名高い三人の家臣も国境の戦いで戦死の伝令が届き、私自身も領国も暗雲に包まれている。
 夢はそこから始まる。
暗い思いで城壁に立ち思案していると、そこに戦死したはずの三人の家臣が汚れ傷ついた姿を見せるのだ。
 知らせを聞いて集まった跪く大勢の戦士たちを前に、私は感激して声を限りに演説をする。敗れて戻って来た三人の家臣をたたえ、感謝し、三人が生きて戻ったことに希望と力を得て、雲間に光を見出すのだ。
 目が覚めた私は仮面ライダーになりきっていた子ども達を思い出した。
 自分がそんな子ども達のように、夢の中でもヒーローになることができたのも還暦になったからだろうか。愉快な気分で朝を迎えた。

(2015.12.13)

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