日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

戦前戦後の良さと悪さ

2008-12-13 17:10:19 | 日月神示関連の情報
 船井幸雄.comに戦前と戦後の良さと悪さについて書かれています。船井氏が言われるように、戦前の良かった点と戦後の良くなった点を合わせて、いいとこ取りすればいいのだと思います。

------------------------------
『Made in Occupied Japan』

 私の愛読月刊誌に『ぺるそーな』((株)MD、TEL:03-3508-4522 発行)があります。私と親しい浜田麻記子さんが発行人です。
 この雑誌の記事は、私の知的関心を満足させてくれます。それゆえ時々、このHPでも紹介してきました。
 ところで先週『ぺるそーな』の2008年12月号を読んでいて、志村史夫さんの「被占領国日本」という文章に、びっくりしました。
 志村さんは、アメリカのノースカロライナ州立大学で教授をしながら、ノースカロライナ・ジャパンセンターの副所長だったことがあります。
 その時にジャパンセンターの応接室にあったノリタケ製の紅茶カップと受け皿にMade in Japanでなく、Made in Occupied Japanと書かれているのを見て、非常にびっくりした…と、この文章では記されています。
 1945年(昭和20年)8月15日から1950年(昭和25年)4月28日まで、まちがいなく日本は独立国でなく被占領国でした。これは当時、中学生から高校生であった私は、充分経験し、理解しています。当時の日本製品には、Made in Occupied Japanと書かれているはずです。
 1948年(昭和23年)生まれの志村さんは、「日本国生まれ」ではなく、厳密には「被占領国日本生まれ」で、これは多くの「団塊の世代の人たち」も同様です。
 この占領されていた5年間に、よくも悪くも日本は変えられました。
 志村さんは、つぎのように書いています。                           


 日本が聨合国軍、実質的にはアメリカ軍に占領されていたことは知っていたが、私は迂闊にも“occupied Japan”つまり「被占領国日本」という国が存在していたことを知らなかったのである。だから、ノリタケの紅茶カップの裏の“MADE IN OCCUPIED JAPAN”を見つけた時の衝撃はあまりにも大きかった。私は自分のことを、当然のことながら、ずっと「日本国生まれ」だと思っていたのであるが、実は「被占領国日本生まれ」だったわけである。
 少なくとも私は、学校で「被占領国日本という国が約7年間にわたって存在していたこと」を教えてもらった記憶は皆無である。また“国民的日本語辞典”といわれる『広辞苑』にも「被占領国日本」なる項目はない。独立国日本は「被占領国日本」という歴史的事実を意識的に隠蔽(いんぺい)して来たのではないか。
 およそ7年間の「被占領国日本」の時代に、アメリカから「民主主義」「人権主義」「合理主義」をたっぷり注入された日本は、日本の伝統的「美意識」や「価値観」をかなぐり捨てて、あたかもアメリカの51番目の州のごとく「商人国家」の道をひた走り、事実、金ピカの「経済大国」と呼ばれる国にまで「成長」した。
 かつて、司馬遼太郎は「日本をいちばんすばらしいと思うのは(中略)原理というややこしいものに煩わされることがなかったというところなんです。では、日本には何があるか、日本という島国があるだけだ。日本というお皿のようなものがあるだけだ。上に乗っかるものはいろいろある… (太字筆者)」(「日本人と日本文化」)と語ったが、いま日本人は、そのお皿の上に「カネ本位・もうけ主義」「経済的・物質的繁栄」をどっかりと乗せているのである。
 司馬がいうように、日本人に原理というややこしいものがないとすれば、そのような日本人の社会は絶対的規範、論理性あるいは倫理的思考を排除しがちである。つまり、日本人の善悪の規準には普遍性がなく、その時代、時代の支配的ムード、多数によって動かされることになるだろう。
 現在、日本社会のあらゆるレベルのいたる所に吹き出している偽装、欺瞞、汚職、不正という膿、まさに亡国の世紀末的現象の元凶は原理というややこしいものがないお皿のようなものの上に乗っかったカネだろうと思う。カネは人間の欲望をかなりの程度満たしてくれる便利なものである。人間の欲望のほとんどを満たすのに普通“原理というややこしいもの”は不要であるから、とりわけ現在の日本人にとって、カネはありがたいものである。
 しかし、「敗戦」前の日本人は、決してこのような日本人ではなかったのである。ほんの少し前まで、日本人はあまねく「恥の文化」を持っていたし、社会のリーダーたちはかつての「武士道」に根ざす規範と責任感を持っていた。
 現在の日本は、一応、外面は「独立国日本」の体を成しているようではあるが、その内面は依然として「被占領国日本」であるように思われてならない。哀しいことである(転載ここまで)。


 私も志村さんの意見と同じ意見を持っています。ただし「被占領国日本」は約7年でなく、約5年です。
 しかし1933年生れで、戦前と戦中の日本を知っている私は、戦前と戦中の良さも悪さも充分に体験しています。良さは志村さんのおっしゃるとおりです。悪さは「天皇を現人神とし、問答無用で論理というか合理性を無視して、人間の最大の欲求である国民の自由を抑圧する体制下にあった」ことです。これを解消してくれたのだから、私は被占領はそれなりによかったと思っています。われわれは、終戦前の良さと、被占領の良さ、そして再独立後の良さを、これから併せて一つのものとすればよいのです。その中で一番大事なのはやはり自由だと思います。
 最近、段々と自由が無くなっている日本に気がつき、先週は、よりびっくりしたのでした。ぜひ自由を大事にしましょう。法律や規制はない方がよいものです。そのことを、ぜひ、はっきり知りましょう。
--------------------------------                                          
 ●船井幸雄.com
  http://www.funaiyukio.com/funa_ima/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブタがいた教室がロングラン上映

2008-12-13 16:51:43 | 日月神示の実践
「ブタがいた教室」のロングラン上映が決まったそうです。
この映画が、命の大切さの議論を呼んでいるようです。
スーパーできれいにパッケージされた肉なら、みんな平気で食べてますが、自分で堵殺して食べろと言われれば、食べられる人はほとんどいないと思います。ましてや、ペットとして可愛がったブタを殺して食べられる人は、いないと言ってもいいと思います。そこまでして肉を食べる必要は全くないと思います。

-----------------------------
<以前の記事>
11月1日から「ブタがいた教室」という映画が上映されています。実話を元にして製作された映画とのことです。新任の教師が学級で豚を飼って、大きくなったらみんなで食べようということで子豚を育て始めました。Pちゃんと名づけられた子豚は子供たちみんなから、愛されて、可愛がられて育ちました。そして2年半が経ち、子供たちが卒業する段階になり、最初の約束通りに食べようということになりましたが、かわいそうだから食肉センターには連れていかないで欲しいという意見と、約束通り食べようという意見とが、真っ二つに分かれました。
 最初は子供たちも大きくなったら、みんなで食べようということで、始めましたが、実際育ててみれば、かわいくなりとても殺して、食べるなんてできないとなったわけです。家で飼っている犬や猫を食べるようなものですから、子供たちが殺さないで欲しいと言うのも当然のことだと思います。
 結局当初の約束通り、食肉センターで、肉になってしまうわけですが、実話での本人である先生が、テレビで語ったことには、食肉センターに連れて行ったことが、本当に正しかったかどうかは、今も悩んでいると言ってました。テレビで、一般の子供やその父母たちに、食肉センターに連れていったことは正しかったと思うか、間違っていると思うかをインタビューしました。すると、肉にしたのは間違っているという意見と、仕方ないという意見とが出ていました。どちらの意見が正しいかは誰も判定できないと思いますが、日月神示でははっきりされています。

 「四ツ足を食ってはならん。共食いとなるぞ。草木から動物生まれると申してあろう。臣民の食べ物は、五穀野菜の類であるぞ」

 ●ブタがいた教室
  http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=8782
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする