船井幸雄.com7月号にひふみ祝詞についての記載があります。
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「ひふみのりと」について
先月6月28日に東京で行われたヒューマンカレッジで、朝10時~12時まで2時間「いま大事なこと」という話しをしました。
その時、具体策として「ひふみのりと」を、一日3回くらい唱えるとよいと思います。日本人的な発想ができるようになるし、それが大事な時代です…と、ちょっと詳しく「ひふみのりと」について話しました。
そのことが、大きな話題になっているようです。主催者の船井メディアにも問い合せが多く来ているとのことなので、このHPで、少しふれたいと思います。
これについては、月刊『たまゆら』の7月号に中矢伸一さんが、たまたま『「ひふみ祝詞」を現代に復活させる意義』と題して9ページもの文章を書いていますので、これを読まれるとよく分ります。
そのポイントだけ、中矢さんの文章から引用します。
神道の淵源とされるこの原初的な祭祀形態は、「神籬磐境(ひもろぎいわさか)」と呼ばれる。
日月神示は、こうした祭祀を現代に復活させることを願っているようであり、その祀り方についても、ある程度詳しく書かれてある。
また、捧げる祝詞は「ひふみ(一二三)祝詞」である。日本語の四十七音(濁音、半濁音を除く)を祝詞にしたもので、「ひふみ神言」とも呼ばれる。
日月神示には、『水の巻』第二帖に、
「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ
そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ。
一ニ三(ヒフミ)祝詞であるぞ」
と記されてある。
この「ひふみ祝詞」こそが日月神示の核心的部分であり、極端に言えば、これだけ肚(はら)に入れればあとは要らないというくらい、大宇宙のすべての真理が含まれている究極の言霊と私は思っている。
いつ、誰によって「ひふみ祝詞」は作られたのか。弘法大師(空海)の作という説もあるが、それは違うようだ。詳細に調べていくと、超古代から連綿と伝承されてきている、秘伝的な霊威を持つ神言らしいことがわかってくる。
文献上では、物部(もののべ)氏の史書として知られる『旧事紀(くじき)(先代旧事本紀)』に、「ひふみ」十音の記述が見られる。
それは「天神本紀」に出て来るもので、ニギハヤヒ(天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト))がオシホミミ(正哉吾勝々速日天押穂耳尊(マサヤアカツカツハヤヒアメノオシホミミノミコト)の 勅命(ちょくめい)を受けて天孫降臨するくだりで、ニギハヤヒに「十種(とくさ)の神宝」を授け、
「もし痛むところあらば、この十宝(とくさのたから)をして、一(ひと)-二(ふた)-三(み)-四(よ)-五(いつ)-六(む)-七(なな)-八(や)-九(ここの)-十(たり)と言いて布瑠部(ふるへ)。ゆらゆらと布瑠部。かく為(な)せば、死(まか)れる人は返りて生きなむ」
と詔したことが記されてある。
このため、『旧事紀』を取り入れた神道家や神道流派では「ひふみ祝詞」をも重視したと考えられるが、江戸初期に、幕府の御用学者として絶大な権威のあった林羅山(はやしらざん)らにより偽書の恪印を押されて退けられて以来、『旧事紀』は神道の主流から外されてしまった。やがて明治維新が成り、急きょ「国民」としての意識を一つにまとめるため『古事記』『日本書紀』の二大官選史書をもとに国家神道の整備が始まると、「ひふみ祝詞」は完全に忘れられた。
その国家神道の流れを汲む現在の神社神道でも、「ひふみ祝詞」を教えない。だから、今の神主たちも、個人的に勉強している方を除いて、「ひふみ祝詞」の存在さえ知らないというのが実情である。
太古から伝わる「ヒフミ四十七文字」
「ひふみ祝詞」が、“超古代から連綿と伝承されてきている秘伝的な霊威を持つ神言”であることは、様々な面から裏付けられる。
『竹内文書』にも、「ひふみ祝詞」は出てくる。拙著『日本はなぜ神道なのか』(KKベストセラーズ)にも書いたことなので重複するが、「上古第二十代天皇」にあたる「惶根王身光天津日嗣天日天皇(カシコネオウミヒカルアマツヒツキアメノスメラミコト)」の項に、「即位五十億年、イヤヨ月円五日、詔(みことのり)して四十七音文字言歌を作らせ給う。ヒフミ伝の始めなり」とあり、「ヒフミヨイムナヤコトモチロラネ……」と解読できる神代文字による「ヒフミ神言」が記載されている(転載ここまで)。
ところで私は七沢賢治さんのコトダマの研究などから母音、父音、子音の日本語の特性を知り、日本古来の吉田神道や白川神道(神祇伯)が「ひふみのりと」を重視していたことも知りました。
日本人の特性は、つぎの10項目ぐらいにあると思いますが、これは日本語に原因があり、その集約をしたものとして「ひふみのりと」があると思えてならないのです。
それ故、ヒューマンカレッジで「ひふみのりと」の話しをしたのです。
読者の皆さんも、各自で少し研究してください。
では私の考えている「日本人の特性 10項目」を述べます。
1.争いがきらい。下手。和が好き。
2.残虐なことができない。思いやりがある。
3.いやなことは忘れるのがうまい。恨みを持たない。プラス発想型
4.策略は好きでない、下手。
5.「恥」の文化。「清」を大事にする。
6.「自然」と一体化するのが好き。自然を理解できる。
7.「直感力」は非常にするどい。
8.大衆は「我執」と「金銭欲」に無縁なのが多い。
9.よく学び、よく働く
10.他に干渉をしたがらない。包みこみできる。
いかがでしょうか?
=以上=
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「ひふみのりと」について
先月6月28日に東京で行われたヒューマンカレッジで、朝10時~12時まで2時間「いま大事なこと」という話しをしました。
その時、具体策として「ひふみのりと」を、一日3回くらい唱えるとよいと思います。日本人的な発想ができるようになるし、それが大事な時代です…と、ちょっと詳しく「ひふみのりと」について話しました。
そのことが、大きな話題になっているようです。主催者の船井メディアにも問い合せが多く来ているとのことなので、このHPで、少しふれたいと思います。
これについては、月刊『たまゆら』の7月号に中矢伸一さんが、たまたま『「ひふみ祝詞」を現代に復活させる意義』と題して9ページもの文章を書いていますので、これを読まれるとよく分ります。
そのポイントだけ、中矢さんの文章から引用します。
神道の淵源とされるこの原初的な祭祀形態は、「神籬磐境(ひもろぎいわさか)」と呼ばれる。
日月神示は、こうした祭祀を現代に復活させることを願っているようであり、その祀り方についても、ある程度詳しく書かれてある。
また、捧げる祝詞は「ひふみ(一二三)祝詞」である。日本語の四十七音(濁音、半濁音を除く)を祝詞にしたもので、「ひふみ神言」とも呼ばれる。
日月神示には、『水の巻』第二帖に、
「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ
そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ。
一ニ三(ヒフミ)祝詞であるぞ」
と記されてある。
この「ひふみ祝詞」こそが日月神示の核心的部分であり、極端に言えば、これだけ肚(はら)に入れればあとは要らないというくらい、大宇宙のすべての真理が含まれている究極の言霊と私は思っている。
いつ、誰によって「ひふみ祝詞」は作られたのか。弘法大師(空海)の作という説もあるが、それは違うようだ。詳細に調べていくと、超古代から連綿と伝承されてきている、秘伝的な霊威を持つ神言らしいことがわかってくる。
文献上では、物部(もののべ)氏の史書として知られる『旧事紀(くじき)(先代旧事本紀)』に、「ひふみ」十音の記述が見られる。
それは「天神本紀」に出て来るもので、ニギハヤヒ(天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト))がオシホミミ(正哉吾勝々速日天押穂耳尊(マサヤアカツカツハヤヒアメノオシホミミノミコト)の 勅命(ちょくめい)を受けて天孫降臨するくだりで、ニギハヤヒに「十種(とくさ)の神宝」を授け、
「もし痛むところあらば、この十宝(とくさのたから)をして、一(ひと)-二(ふた)-三(み)-四(よ)-五(いつ)-六(む)-七(なな)-八(や)-九(ここの)-十(たり)と言いて布瑠部(ふるへ)。ゆらゆらと布瑠部。かく為(な)せば、死(まか)れる人は返りて生きなむ」
と詔したことが記されてある。
このため、『旧事紀』を取り入れた神道家や神道流派では「ひふみ祝詞」をも重視したと考えられるが、江戸初期に、幕府の御用学者として絶大な権威のあった林羅山(はやしらざん)らにより偽書の恪印を押されて退けられて以来、『旧事紀』は神道の主流から外されてしまった。やがて明治維新が成り、急きょ「国民」としての意識を一つにまとめるため『古事記』『日本書紀』の二大官選史書をもとに国家神道の整備が始まると、「ひふみ祝詞」は完全に忘れられた。
その国家神道の流れを汲む現在の神社神道でも、「ひふみ祝詞」を教えない。だから、今の神主たちも、個人的に勉強している方を除いて、「ひふみ祝詞」の存在さえ知らないというのが実情である。
太古から伝わる「ヒフミ四十七文字」
「ひふみ祝詞」が、“超古代から連綿と伝承されてきている秘伝的な霊威を持つ神言”であることは、様々な面から裏付けられる。
『竹内文書』にも、「ひふみ祝詞」は出てくる。拙著『日本はなぜ神道なのか』(KKベストセラーズ)にも書いたことなので重複するが、「上古第二十代天皇」にあたる「惶根王身光天津日嗣天日天皇(カシコネオウミヒカルアマツヒツキアメノスメラミコト)」の項に、「即位五十億年、イヤヨ月円五日、詔(みことのり)して四十七音文字言歌を作らせ給う。ヒフミ伝の始めなり」とあり、「ヒフミヨイムナヤコトモチロラネ……」と解読できる神代文字による「ヒフミ神言」が記載されている(転載ここまで)。
ところで私は七沢賢治さんのコトダマの研究などから母音、父音、子音の日本語の特性を知り、日本古来の吉田神道や白川神道(神祇伯)が「ひふみのりと」を重視していたことも知りました。
日本人の特性は、つぎの10項目ぐらいにあると思いますが、これは日本語に原因があり、その集約をしたものとして「ひふみのりと」があると思えてならないのです。
それ故、ヒューマンカレッジで「ひふみのりと」の話しをしたのです。
読者の皆さんも、各自で少し研究してください。
では私の考えている「日本人の特性 10項目」を述べます。
1.争いがきらい。下手。和が好き。
2.残虐なことができない。思いやりがある。
3.いやなことは忘れるのがうまい。恨みを持たない。プラス発想型
4.策略は好きでない、下手。
5.「恥」の文化。「清」を大事にする。
6.「自然」と一体化するのが好き。自然を理解できる。
7.「直感力」は非常にするどい。
8.大衆は「我執」と「金銭欲」に無縁なのが多い。
9.よく学び、よく働く
10.他に干渉をしたがらない。包みこみできる。
いかがでしょうか?
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