日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

ドバイの落日 2

2009-02-03 08:05:04 | 船井幸雄氏
 船井幸雄氏推奨の朝倉 慶氏の記事にあるように、ドバイのバブルがはじけて外国人労働者が職を追われているそうです。

<朝日新聞記事転載>
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 「ドバイ熱 冷めた 開発中断…職失う外国人労働者」

 ペルシャ湾岸の商業都市として急速に発展し、開発ブームに沸いたドバイが金融危機の影響で「バブル崩壊」に陥っている。ビル建設の工事中断や規模縮小で、外国人労働者の解雇が続く。新しい高層ビルが立ち並ぶ街の中心部のすぐ近くの地区では、非正規・不法滞在の外国人労働者が集まりスラム化していた。

 朝6時、まだ薄暗いサトワ通りに労働者たちが姿を見せる。あちこちのレストランの前などに20人、30人と固まっている。工事現場に行く手配師の車を待っている。インド、パキスタン、バングラデシュ、フィリピンなど国籍は様々だ。

 「毎日、ここで待つ。昨日も、一昨日もだめだった。1カ月で仕事があったのは数日だ」と、インド人の塗装工モハンさん(33)は語る。「朝、仕事がなければアパートに戻って寝る。夕方、深夜の工事を探しに出てくる」

 サトワ通りに沿って1キロ南方に、高さが800メートルを超し、ドバイの発展を象徴する世界一の高層ビル、ブルジュ・ドバイやドバイ・ワールドトレードセンターが見える。この6、7年、次々と新たなビル建設が始まったが、昨秋に深刻化した国際的な金融危機が11月ごろからドバイにも波及し、銀行融資も投資も不動産開発から引き始めた。

 午後9時ごろ、労働者たちは肩を落として通りから姿を消す。彼らの一団についていく。狭い路地を入っていくと古い低層のアパート群がある。一つのドアの前でバングラデシュ人のカマルディンさん(25)が「ここで仲間たちと暮らしている」という。

 ドアを開けると、鉄製ベッドが視野をふさいだ。15平方メートルほどの広さの部屋の4面の壁にぐるりと3段ベッドが並ぶ。計18床。さらに中央の床に2人が寝て、計20人が寝泊まりする。市内各地にある大型ショッピングモールの華やかさからは想像もつかない光景だ。

<朝倉 慶氏の記事 yasaiの記事より>

5年くらい前に、売り上げ日本一のファミリレストランの情報システム部の責任者だった方から、銀座で接待していただいたことがありました。その方は自分でソフト開発会社を興して代表をされていましたが、別事業として、ドバイにコンビニエンスストアを立ち上げるために、何度かドバイに行って打ち合わせをしていると言っていたことを思い出しました。
 これからはドバイは世界一のリゾートになるから、今から投資をすれば絶対成功すると自信満々で話していました。自分の話しを色々と詳しく説明してくれる方でしたが、その後ドバイの話しは一切聞いていません。
 船井幸雄氏推奨の朝倉 慶氏が、落日のドバイについて書かれてます。日本のバブル崩壊より規模も大きく派手だったようです。1990年から2年間は私も日本のバブルの中にいました。小金井カントリークラブまで、自宅からタクシーで行ったり、川奈ゴルフ富士コースや旭川白金ゴルフクラブ、宮崎フェニックスなど、50回くらいリゾートホテルに会社の経費で連れていってもらったりと、バブリィな小市民でした。今思えばお恥ずかしい次第ですが、そんな自分のミニバブルから見れば、ドバイのバブルは桁が違うように感じます。その分、崩壊も桁外れです。

 <記事転載>
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 「ドバイの落日」
  2008.12
 
 <天まで届け!>子供たちの夢ではありません。<アル・ブルジュ>。このドバイで計画されている超々高層ビルの高さは、何と1400メートル。富士山の半分近くの高さになろうというのですから尋常ではありません。まさに<バベルの塔>であり、この行きすぎた人間の行為は、神の怒りを買いそうです。
 来年には、<ブルジェ・ドバイ>がいよいよ世界一の高層ビルとして完成します。その高さは818メートル。現在、もっとも高いと言われている台湾の台北101の約509メートルを、なんと310メートルも凌駕(りょうが)して、砂漠の真ん中にその雄姿を現すのです。
 ここ2~3年、中東のドバイは、すさまじい建設ラッシュに沸いていました。ドバイの面積は埼玉県と変わらない程度ですが、今や、世界中の建設用クレーンの3割が集結していると言われ、24時間休むことなく工事が続けられていたのです。100年前は、小さな港町だったドバイですが、現在は、不夜城となり、まさに真夜中でも、黄金のように輝く、<スター・ウォーズ>の世界となったのです。

 <パーム・ディエラ>。世界最大の人工島として、現在も建設中です。椰子の木の形に埋め立てられて、その幹の中心をモノレールが走ります。両側にはショッピングセンターやマンション群、そして椰子の葉の部分はリゾート風の別荘住宅が並ぶのです。一つではありません。<パーム・ジュメイラ>、<パーム・ジュベリアリ>、それぞれ、ホテルやオフィスビル、一戸建てのヴィラなど贅沢を尽くした、海の中に現れる椰子の木をかたどった、最高級リゾート、<地上の天国>です。
 <スキー・ドバイ>。砂漠のど真ん中、夏は摂氏50度になろうとする、この地に屋内スキー場ができました。雪を見たことのないドバイ住民は喜び、1年間に100万人が訪れたそうです。緑に囲まれた、水の尽きることのない、素晴らしいゴルフ場もあります。 
 そしてホテルも最高級、ついに7つ星ホテルの誕生です。<ブルジュ・アル・アラブ>は、海上の人工島に建てられた全室スイートという超高級ホテルなのです。
 <斬新なアイデア>。とにかく、世界一、人が想像もつかないこと、驚きを持って受け入れられること、石油バブルの受け皿として限りない贅沢を尽くしきることがドバイ発展のエネルギーでした。「お金があれば何でもできる」、それをとことん証明することが、人々の憧れを呼ぶのです。

行き場を失った膨大な資金
 2001年、9.11のテロのよって、中東から膨大な資金は、行き場を失いました。米国一辺倒だった投資は、激しく引き揚げられます。そして新しい行き場を探していたのです。そしてドバイは、しっかりと、その受け皿となったのです。イスラムの地に、ディズニーランドばりの観光地、大金持ちのための、飽きることなない一大観光地を作りあげたのです。
 お金を呼び込むには、アイデアだけでは足りません。税制面でのバックアップも重要でした。ドバイは企業から税金を取りません。<タックス・フリー>です。そのうえ関税もないのです。一連の政策はドバイの都市としての魅力を最大限に高めました。世界に誇る観光都市に変身したのです。ドバイの人口は約120万人と言われているのに、ホテルの宿泊客数は430万人、まさに超一流の観光地となりました。
 <ジュベル・アリ港>。自由貿易区となった港も活気に溢れています。大型コンテナが、所狭しと積まれ、大型トラックが走り回っているのです。このジュベル・アリ港と近くのラシィド港を合わせると、そのコンテナ取扱量は、何と世界7位、まさに中東の物流のハブなのです。

一日にして「砂上の楼閣」となった?
 日の出の勢いだったドバイですが、今年夏から変調になってきます。7月147ドルの高値をつけて、暴落状態に陥ったWTIの石油価格に合わせるかのように、まさに、つるべ落としの変化が訪れたのでした。まずは株価です。
 ご多分にもれず、世界の流れには抗(あらが)いがたく、年初から半分になりました。
 しかし、変調の最たるものは、その原動力となってきた高層ビルやリゾート、まさに<ドバイモデル>と言われた開発事業でした。ドバイでは不動産価格は過去5年で4倍にも膨れ上がり、新規売り出し物件は瞬時に完売、未完成でも転売を繰り返し、バブル期の日本のような状態だったのでした。まさに熱狂状態だったのです。
 それが10月に入ってからいきなりの異変が起きてきたということです。ある日、突然、値がつかなくなってしまった、という状態でしょうか。「砂上の楼閣」そのもののようにバブルが瞬時にはじけたとのことです。昨日まで、競うように買いついていたのに、朝起きてみたら、誰も買わなくなって、売り手で溢れてしまっている状況です。椰子の木の人工島を手掛けていたナキール、世界最高層のビルを建設するエマール、あっと言う間に金融不安が出てきたのですからたまりません。11月下旬のホテル開業のパーティーでは、2000万ドル、約20億円も使って、派手に催したものの、もはや周りの関心は、その開発続行と、資金に対しての懸念に変わっていました。
 周りの疑惑の目、急激な見方の変化に対して、ドバイ政府は慌てます。ナキールやエマールは、とどのつまりは、ドバイ政府と表裏一体です。2008年11月24日、ドバイ政府は政府と政府系企業が抱える債務が800億ドルであることを公表しました。同時に開発計画の見直しと、不動産金融大手2社への救済も発表したのです。この800億ドルはドバイのGDPの1.7倍、こんな無謀な投資が回収できるのか? 一気にデフォルトの懸念に晒(さら)されました。
 元々、ドバイからは、石油はほとんど出ません。手元資金の何倍ものお金を借りてプロジェクトを推進する、まさにレバレッジに立脚してきたのです。
 身の丈以上の破格のプロジェクトをぶち上げ、話題性と派手さで、石油バブルで溜まった資金を吸い上げてきたのでした。永遠に続く高い石油価格と、右上がりの経済成長を前提に成り立ってきた、借金にまみれた<ドバイ・モデル>だったのです。そして、石油価格の暴落と、世界経済の変調で、一夜にして状況は一変しました。あらゆるバブル崩壊の歴史にもれず、一気に夢から覚めたのでした。

 銀行は一斉に引き締めに入りました。UAE最大の住宅ローン会社、アムラック・ファイナンスは、新規住宅ローンの貸出を停止したのです。英ロイズTSBグループも、同じくドバイマンションのローン販売中止、高級別荘のローンも販売価格の50%までに切り下げたのでした。こんな高級なヴィラやマンションを現金で買え!というわけです。バブルはそのスケールが大きければ大きいほど、反動が膨大なものになります。たった今、この狂ったようなドバイのバブルは崩れ始めたのです。エジプト最大の投資銀行、EFGヘルメス・ホールディングスのレポートによれば、来年には7000もの新たな物件が完成します。それだけではありません、これはまだ計画の半分で、さらなる新しい物件が山のように出来上がってくるのです。そして今、それらの購入者は、ほとんどいないのです。

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 ●ドバイの落日
  http://www.funaiyukio.com/money2/

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「中谷巌(なかたにいわお)氏の転向のことをどう考えるか」 副島隆彦氏

2009-02-03 08:03:09 | 政治・社会
 新自由主義を主張してきた中谷巌氏が、その自分の思想を否定し転換したそうです。主義の方向転換自体はよいとしても、あまりに中身が無いと副島隆彦氏は言われてます。

<記事転載>
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副島隆彦です。 一橋大学の経済学の教授で、小泉改革までの20年間ぐらいずっと、日本の改革経済政策 の旗振り人のひとりだった、中谷巌(なかたに”がん”)が、転向して、懺悔(ざんげ)の本を書いた。と、聞いて、私は書店で買って、ぱらぱらと読んだ。2週間ぐらい前だ。『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社インターナショナル刊、2008年112月)。
 つまらない本だった。こんな甘いことを書いて、反省の書、自責の念に駆られて、懺悔(ざんげ)の書 というのか、と、私は、改めて、この中谷という学者を軽く見た。 自分が日産自動車の社員だったときに、ハーヴァード大学に留学するチャンスがあって、それで、向こうの大学のカリキュラムに合わせて、しっかり勉強すれば、4年間とかで、きちんと理論経済学の枠組みを習得できる(できた)ということを、得々とずっと書いている。

 彼も、このように、アメリカ帝国(属国群)洗脳教育のプログラムの一環で、計画的に育てられた人材だったのだろう。

 すでに、15年前に、「中谷巌の経済学の教科書を勉強しても、日本の現実とは合わない。中谷が言うことは、ハズレばかりだ」と、1995年ごろに、1990年日本バブルが崩壊したあとに、中谷は、日本の財界人たちから、捨てられていた。 中谷にしてみれば、アメリカ経済学を一所懸命に、勉強して、それを日本に応用して活用して、日本経済の建て直しに、役立てようとしたのだろう。

 そして、1992年からの、”ゴジラ”・ビル・クリントン・チームの日本上陸、と日本の金融叩(たた)きのめし計画が始まった。ロイド・ベンツエンと シュルツの二大キャリア官僚大御所 をさっさと降ろして、ロバート・ルービンと、ラリー・サマーズが出てきた。

 そして、それを、2000年からのブッシュ共和党 が引き継いで、さらに露骨に、アメリカ主導の官製不況(上からのクーデター・不況)を、日本に、まるで、焼き鏝(やきごて)を当てるようにして、実行した。「ゼロ金利、財政赤字、円高」の3本セットでの、日本脅し、日本たたきであった。

 そして、2007年4、5月ぐらいから、アメリカ自身がついに金融崩壊を開始した。 その前の2000年2月のネット(IT)バブル崩れも激しかったが、それは、2001年「9・11」の捏造の大進軍ラッパで、戦争経済(ウォー・エコニミー)への突入で、一旦は、乗り切った


 ”マエストロ(巨匠)グリーンスパン”と、皆で熱狂してグリーンスパンを褒め称えて、一本20万円(2千ドル)のブルゴーミュ・ワインを開けて、ニューヨークで金融人間たちが、毎日、乱痴気騒ぎをしていた。日本でも、ソロモン・スミスバーニー、モルスタ、リーマン、メリル、ゴールドマン、シティなどに勤める「外資の手先、年収4千万円から2億円」の、馬鹿どもが、30台ぐらいの感じだった、汐留(しおどめ)あたりの高級ホテルで、外資金融ユダヤ人どもの手先となって、日本企業を乗っ取るたびに、大盤振る舞いの大宴会をやっていた。それは、2006年中はやっていた。いや、2008年の夏までは、やっていた。

 さすがに、2008年の7月13日の、ポールソン財務長官の、自己暴露、のファニーメイ、フレディマックの合計530兆円の世界中への負債の公表、そして、2ヵ月後の、「9・15のリーマン・ショック」のあとでは、この大騒ぎは消えた。この男どもの周りに群がっていた、「外資大好き女(実態は、売春婦ども)」も消えていなくなった。

 私は、彼らの姿を、しっかりと目撃している。 今は、彼らが住む品川や汐富(しおどめ)の2億円のタワーマンションが、大暴落している。外資金融人間どもは、ほとんどが解雇されて、会社の実態は無くなった。上司だった金融ユダヤ人どもは、さっさと辞職してアメリカに消えていなくなった。

 日本の年金運用団体や、共済組合の幹部たちの、地獄が今から始まる。運用資産の元本(がんぽん)吹き飛ばしで、自殺する、では済まない。 外資の手先の金融人間どもは、転職もきかず、家の中でぶらぶらしているらしい。

 さて、そういう中で、2009年に入った。11月、12月、年末から、この1月は、オバマ当選のお祝いぐらいで、何もなかった。世界中の大金持ち(スーパー・リッチ)たちは皆、バカンスで帰ってくるはずがない。ようやく、今日からのダボス会議(ずっと山の上の、奥の方らしい。ふつうの人間たちは近寄れない)で、スイスに集まってスキーをするのだろう。 自分の会社が破綻したり、投資で大失敗したりした人間たちは、もう消えていない。ナスダックを作った詐欺師のハーバード・マドフが集めていた4兆円はもう一円(1ドル)も返ってこない。

そうやって、2009年の2月を迎える。副島隆彦は、そろそろ次の金融本を書く。

 中谷巌は、本気で反省しているのだろう。この本の中で、6箇所ぐらいで、本気で反省していた。あとは、自分だ、若い頃からどんなに経済学を勉強したかと、ブータン国は貧しいが国民は仕合せだ論を、ずっと書いているだけで、読む方は疲れる。 この男には生活の苦労がない。いい人なのだろうが。

 中谷が、転向すると、他の、馬鹿の一つ覚えの、日本でしか通用しない×新自由主義(ネオリベ)という愚かなコトバで動いた、小泉・竹中改革で、温度を取った、連中も逃げを打って、静かになって、奥に引っ込んで、出てこなくなるものか。

 竹中平蔵 だけが、今も、アメリカの全面後押しで、テレビに出て、田原総一郎のどす黒くなった顔の横に並んで、「日本は改革を進めないから景気回復しないのです」とまだ言っている。テレビ・新聞(すんわち、電通)に 洗脳されている日本馬鹿国民の方も、そろそろうんざりして来ている。

 もっともっと、大損して、自分で痛みを感じなければ、今の自分たちの愚かさを自覚するものか。もっともっと多くの金融人間が、崖から落ちればいいのだ。私、副島隆彦は、冷ややかに見つめ続ける。愚か者は、すべて自業自得で滅んでしまえ。

 以下の日経BPの記事には、中谷のことを、「変節」と見出しで書いている。変節と言うのは、日本語では、相当にきつい言葉だ。政治転向、思想転向、宗旨変え、変心、改心 などを、英語でも、 recantation リキャンテイション、とか、conversion コンヴァージョン と言う。他にも、10とおりぐらいある。転向して人間的に成長すれば、mature up マチュア・アップ とも言う。

 私は、思想転向の研究もやってきた人間だ。本多秋五(ほんだしゅうご)や、中野重治(なかのしげはる、優れた文学者、思想家だった)、吉本隆明(よしもとりゅうめい)たちを、追いかけて、日本左翼(社会主義者、共産主義者)たちの、政治警察による拷問にあう恐怖の中での凶暴な政治弾圧による転向と、敗戦後の日本右翼、民族主義者たちの、ハレンチな転向(世界反共人間への転進)の二通りの転向を、ずっと研究してきた知識人だ。

 人間が、時代の変更、流れの変化に合わせて、生き延びようと思えば、転向する。 このことの重さを、私は、ずっつ自分の研究課題として背負ってきた。本当の知識人、思想家というものの持つ重みを、ここに集まる皆さんに身をもって教えたい。 副島隆彦拝


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