船井幸雄氏推奨の副島隆彦氏が、久しぶりにコメントを出されています。自分が知らない事実ばかりを、今回も副島氏は書かれてます。
相変わらず、常識を覆す主張をされていますので、すぐには消化できません。特に印象に残ったビックリ主張は、下記です。
■ 信長、秀吉、家康 などという人間たちは、本当は、人殺しの大親分であり、川筋人足や漁労民の棟梁(とうりょう)であり、今で言えば、広域暴力団・山口組の最高幹部たち のような、おそろしい面構(つらがま)えの人間たちであり、敗軍の斬り殺されて、数千個の並んだ生首(なまくび)のひとつひとつに、扇子を当てて、恩賞金の値踏みをしていった者たちだ。それを、首実検(くびじっけん)という。
→なるほど、事実はそうだったかもしれませんね。その後、武士の生き方が純化して武士道となったのでしょうか?今後研究する価値はあると思います。
■これらはすべて破綻して潰れたから、もう実体はない。蛻(もぬけ)の殻だ。空っぽだ。 自分たちが、騙して巻き上げた、日本からの資金は、もう返す気はない。日本の年金運用団体と共済掛け金を積み立てきた共済組合から吸い上げた資金は、すべて「投資は、客様の判断と責任で行われなした」というコトバで、投資元本の一銭(1ドル)も返さないで逃げ切る気だ。これら米大証券(投資銀行)は、今も形だけ日本支店を残しているがすでに、95%の社員の首を斬っている。そのかわりに、日本国内への目くらましで、短大卒の英語ペラペラ女たちに取り替えて、社員たちがいる風を装って、それで形だけ経営を続けている。 ユダヤ鬼たちの直属だった、日本人の鬼たちは、年収2億円とかをもらっていただろうが、今は、再就職先など有りはしないから、汐留(しおどめ)のタワーマンションにひっそりと身を潜めている。
→既に95%も社員を解雇して、逃げる頃合いを見計らっているのでしょうか。
■野村證券や、三菱UFJ証券(昔の国際証券、野村系だった)は、2本売りつけるファンド(投資信託)のうちの一本は、始めから、「嵌(は)め込み」で、客に損をさせることが分かっている。そういうことを平気でやるのだ。それが、金融鬼たちの世界だ。鬼にならなければ、自分が、食べてゆけない。
「 自分は、上から命じられて、与えられた仕事をしているだけだ」と居直っている。
→これが本当なら今日も騙される人がたくさん出るわけですね。
■自分が、頭から、テレビ、新聞の言うことを聞いて、田原総一朗のヤラセ詐欺番組の、日曜の討論番組の、鬼どもの姿が透けて見える、番組を見て、悦に入って、「自分は、なかなか頭がいい」と思い込んでおるような連中だ。勝手に食い殺されて死んでしまうがいい。
→ヤラセ番組でしたか。植草一秀氏も、TVタックルとサンデープロジェクトが恣意的に真実を曲げていると言われています。
<記事転載>
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副島隆彦です。 今日は2009年2月11日です。
今日は、「この世は鬼ばかりだ。人間を騙して取って喰う、金融サギの鬼たちが横行している恐ろしい世界だ」という文章を書きます。この世の中は、本当に、人間の皮を被(かぶ)った鬼たちが、私たちのまわりを徘徊(はいかい)している怖(こわ)い世界だ。
私は、昨年、年末までずっと講演会の仕事に追われて、それと大学の仕事に追われて疲れ果てました。 1月になってからも、10回の講演会をやりました。 売れっ子でよかったね、という話ではない。 私は、怒っている。 この世の中は、本当に鬼たちが、「百鬼夜行(ひゃっきやこう)」しているのだ。
私は、多くの金融鬼(きんゆうおに)たちを、目の前にした。金融詐欺師たち、などというものではない。金融の鬼たちだ。人々から、着ている衣服を騙して剥ぎ取る鬼たちが住む世界だ。
講演会で行った先々で、私は、聴衆の中のあちこちに潜んでいる、鬼たちの存在に気づいて、私は彼らの姿を目(ま)の当たりして、人間のふりをした鬼たちを見つめて、それで、私はうめき声をあげた。金融の鬼たちでも、私、副島隆彦の言論と、金融予言がものすごく気になるらしくて、何食わぬ顔をして、有名な経済評論家やエコノミストの連中が潜り込んできていた。私の脳は、このことを察知して、私にその恐ろしさを、知らせてくれる。
私は、昨年の11月からこっちは、この鬼たちの中を、さ迷い歩いていたのだ。だから、私の脳がかなりおかしくなった。
この鬼たちが、この2年間で、(そのまえの、2004年の「景気回復」を囃した(はや)した時から、)どれほどの損害を人々に与えたことだろう。 自分たちの粗末な、いや、計略的な金融予測、アドヴァイス(助言)、勧誘を信じて、多くの人たちを食い殺したのだ。 金融投資をした人たちのほとんどは、大損をして今も泣いている。
しかし、数千万円も数億円も、大損をした自分は、みっともないから他の人たちには、とても言えない。激しい夫婦喧嘩の理由には十分になる。 愚か者であり、騙された自分の、投資家としての能力のない、己(おのれ)の馬鹿さ加減を、自ら認めて、「腹をくくる」、深く反省する、ということもしない。 鬼たちは、何食わぬ顔をして、今も、徘徊している。隙(すき)あらば、また、襲い掛かってやろうと思っている。
株や債券(ボンド)や投資信託(ファンド)が、こんなに値崩れするとは、誰も思わなかった。 自分の投資額は三分の一に減ってしまった。そして、それを今も黙って、鬱屈(うっくつ)したまま握りしめている。 「そのうち景気回復して、下がった値段が元に戻るだろう。それまでは、じっと待っていよう」と、これが愚かな人間がやることだ。黙ってじっと堪(た)えている。
鬼(おに)のことを、英語で、 Ogre 「オーガー」 という。 このオーガー(あるいはアーガーのことを、日本人は、まったく知らない。 この Ogre (ogre)
の 形容詞形 を、 ogerish オ-グリッシュ と言って、「鬼のような」という意味だ。
イギリス国内から発信しているサイトで、http://www.ogrish.com/ というのがあって、ここでは、今も、イラクで、2003年からの戦争で、生きたまま首を切り落とされる米兵たちや、その他の捕虜になった人々が、残酷に撃ち殺される情景の映像を、インターネット上で流している。
私たちの学問道場でも、4年前に、ここの 「617」番で、「これがイラクで起きている真実だ。正視できるなら正視せよ」 という内容で、米軍の特殊部隊(CIAの対ゲリラ、テロ対策の非正規部隊)によるイラク人捕虜たちへの拷問の写真の掲載と共に、リンク先(テンプレート)を載せました。 見たければ、見てください。今でも見れます。
(※「617 イラク戦争での、首切り動画のサイトのリンクをここに貼ります。お約束どおりです。人間(人類)は、これからも流血と戦乱の中を生きてゆかなければ済まない。 副島隆彦 2004.12.13」)
とても正視するに耐えない残酷な映像シーンをたくさん見ることができます。 それが、世界基準での言論の自由だ。 すべて、表現できる限り、すべての表現は、一切の規制や、統制や、差別言語狩りなどの反動勢力の、動きを打ち破って、自由であるべきだ。一切の規制を絶対に許さない、という人間(人類)の深い決意が重要だ。
言論の自由、報道の自由、表現の自由 という、freedom of expression フリーダム・オブ・エクスプレッション あるいは、free speech フリースピーチ というものの厳粛力を、私たちは片時も手放してはならない。悪辣(あくらつ)な統制官僚、政治官僚どもに奪い取られてはならない。 日本国憲法では、第21条である。
日本国憲法第21条 「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 第2項 検閲はこれをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
と厳格に定めている。 この最高法律の意味は、 日本の公務員は、日本国民の、集会、団体づくり、言論の自由、出版に自由、その他、一切の表現の自由を、侵害してはならない、という意味だ。日本国民は、公務員たちにこのように厳しく、命令しているのである。これを、破って、日本国民の思想表明、言論、報道の自由などを侵害した公務員は、徹底的に厳しく処罰されなければならない、という内容である。
言論の自由はどんな、被差別民団体や、病人の団体、権力者たち、あるいは宗教団体からの統制、自粛、「私たちの心が傷ついた」などという、差別摘発団体の、おぞましい鬼たちの攻撃を撃退する。一切の表現が守られなければならない。 私たちは、人類の無限の自由のために闘い続ける。
この英語の鬼の、 Ogre オーガー(あるいは、アーガー) は、西洋童話の「ジャックと豆の木」に、出てくるあの 化け物 のことだ。 恐ろしい鬼に追いかけられて、ジャックが豆の木につかまってどんどん天にのぼってゆくのを、さらに下から追いかけてくる、化け物の、妖怪の巨人の大男のことだ。
このオーガー(アーガー)の話を、日本人は、よく分かっていない。私たちの背後から襲いかかってくる鬼(怪物)たちのことに、何となく感づくが、それを正面から見据えることをしない。できない。
「渡る世間は鬼ばかり」という有名劇作家(シナリ・オライター)の橋田すがこ氏のチームが描き出す、テレビ・ドラマシリーズの東京の下町の蕎麦屋の人間関係には、もう、初めのころと違って、あまり、鬼(ような人間像) を、出さなくなった。
が、本当は、下町にも鬼はたいくさんいた。 室町時代(戦国時代)から、江戸時代にも、鬼がたくさん出てきた。 京の都大路(みやこおおじ)には、行き倒れの、貧民たちが、たくさん集まってきて、大通りの脇にずっと群れをなして、筵(むしろ)にくるまって、凝集(ぎょうしゅう)していた。女も子供も、たくさんいた。鴨川の河原も、多くの貧民の流浪民で満ちていた。
そこで、黒澤明監督の映画「羅生門」や、芥川龍之介が「藪の中」で描いた中のような、今昔物語(こんじゃくものがたり)の中の、死体から着物を剥ぎ取ったり、髪の毛を抜いたりすることを仕事(なりわい)にしている、奇怪な人間たちの姿が出てくる。
病人となって都大路や、加茂の河原(賽ノ河原)に粗末な小屋掛けをして横たわる極貧民の群れに、襲いかかる鬼たちの姿が、たくさんの屏風絵や風土記(ふどき)に記録に残っている。
10世紀から出現した武士階級 (本当は、「悪党」と呼ばれた) という、集団で人殺しを専門職とすることで、勃興してきた人間たちを、日本人は、きれいな錦絵(にしきえ)のような、嘘臭い、きらびやかな戦国時代の英雄物語などに仕立てなおして、今も、喜んで見ている。
信長、秀吉、家康 などという人間たちは、本当は、人殺しの大親分であり、川筋人足や漁労民の棟梁(とうりょう)であり、今で言えば、広域暴力団・山口組の最高幹部たち のような、おそろしい面構(つらがま)えの人間たちであり、敗軍の斬り殺されて、数千個の並んだ生首(なまくび)のひとちちひとつに、扇子を当てて、恩賞金の値踏みをしていった者たちだ。それを、首実検(くびじっけん)という。
戦国時代であれば、馬卒となって、戦場人足(せんじょうにんそく)となって、輜重兵(しちょうへい)となって、荷物運搬係で、危険手当込みで、一日あたり、10万円ぐらいの日当を貰わなければ、誰が一体、危険な戦場になんか喜んでゆくものか、としか、思われないような 一般大衆が、なぜ、自分を、信長とか、秀吉、家康などに、仮託して、NHKが流す、嘘八百の歴史ドラマに、のめり込んで、「これは、作り話ですから、という自覚も無くなって」 見入っている。いい歳をして、そういうのが多くなった。みな、脳をやられているのである。
日本国民洗脳は、アメリカの グローバリスト(地球支配主義者、金融ユダヤ人)どもだけがやるのではない。 NHKのような、公共放送を中立の立場で流している、と自分たちでも思い込んでいる者たちが、「史実だ。事実だ。あるいは、それの物語への作り直しだ」と居直って、流している映像作品自体が、大きなウソだ。 自分たち自身の脳もやられたまま、嘘話(うそばなし)をたくさん作っては流している。
武士階級は、野伏せり(野武士、山賊)、悪党(あくとう)と呼ばれた暴力団の元祖のような者たちから起こった。この武士階級(人殺しの戦闘集団)が、一番、愛好したのが、世阿弥、観阿弥みよって大成(たいせい)されたとする、能、能楽、お能の世界だ。
武士たちは、かがり火を炊いて、飽かず、能 (元は猿楽能 )に見入った。その舞台のて、シテ、ワキの舞い手に、多くの鬼の面を被った演者が登場する。 鬼がいたのだ。
自分たち、人殺しを職業にして、自分自身もいつ、生身を刺し殺されて、斬られて、戸板に担がれて運ばれる身になるか分からない者たちは、自分たちの運命を儚(はかな)んで、激しく、鬼の舞に魅入った。 このことは、私が最近書いて出した歴史の本の「歴史に学ぶ知恵 時代を見通す力」(PHP刊 2008年6月) に詳しく書いた。 本当に鬼(オーガー)は、この世にいるのだ。
私は、最近、人間の皮を被った、鬼たちとたくさん遭遇することがあって、霊能者である私には、集会している人々の中に、鬼たちの姿があるのを、勘付いて、そして見つめた。この小鬼(しょうき)たちは、ニューヨークの金融ユダヤ鬼たちの使い走りであり、今でもまだあまり罪悪感を感じていない。
本物の大鬼たちは、さっさと東京から、昨年の春までに逃げ去って、さらには、本拠地のNYからも逃げ去って、どこかに隠れてしまった。一番、上の巨悪の鬼たちは、この地球上をどこにも逃げることは出来ない。
私は、思い出すのだが、今から7年ぐらい前に、京都に連れて行ってもらって、電通という日本のメディアを操(あやつ)る鬼たちの会社のカネで連れて行ってもらった、京都の研究会、研修旅行 の一部として行った、さる高級料亭でのことだ。そこの座談の席で、私は、無遠慮に、不躾(ぶしつけ)に、聞いた。 そこには京料理の老舗(お茶屋ではない) 料亭の女将の他にも、京都銀行の幹部や地元の有力者たちもいた。その席で、生来のへそ曲がりの私は、ずけずけと聞いたのだ。
「お聞きしたいのですか、京都には、剥(は)ぎ取り、 という言葉があって、それは、相手が何も気づかないうちに、すーぅっと 着ている物を奪ってゆくのだ、そうですが。それは本当ですか」 と、私は聞いた。
京都のしつけのお師匠で、和服商の市田(いちだ)なんとかさんによく似たその女将は、フランス大使夫人と懇意で、よくお見えになりますと、言っていた人だが、私の話は、その場で完全に無視されて、京都人の誰も何も答えてくれなかった。質問はパス・スルーされた。それでも、私の 剥ぎ取り の 逸話への探究は続く。
私は、お金をもらって講演をしに行った先の、悪口は言いたくないで、あまり名指しはしたくないが、さる大手の投資銀行で、外国資本の大手に呼ばれて、「一度だけ行きます」と応じて、行った。そこは、金融外資の最大手のひとつではあるが、アメリカ合衆国の、5大証券(5大投資銀行)ではない。
さすがに、米5大投資銀行のユダヤ鬼たちは、幾らなんでも、私を呼ぶわけが無い。あいつを呼び出しておいて、取って食おう、とでも思わなければ、私は、呼ばれない。 メリルリンチ、モルガンスタンレー、リーマンブラザーズ、ソロモンスミスバーニー(日興コーディアル、ではなかった、今は日興シティ)の4つではない(ゴールドマンサックスだけが一人勝ちで残っているが、ここも今は東京でも身を潜めている)。
これらはすべて破綻して潰れたから、もう実体はない。蛻(もぬけ)の殻だ。空っぽだ。 自分たちが、騙して巻き上げた、日本からの資金は、もう返す気はない。日本の年金運用団体と共済掛け金を積み立てきた共済組合から吸い上げた資金は、すべて「投資は、客様の判断と責任で行われなした」というコトバで、投資元本の一銭(1ドル)も返さないで逃げ切る気だ。
これら米大証券(投資銀行)は、今も形だけ日本支店を残しているがすでに、95%の社員の首を斬っている。そのかわりに、日本国内への目くらましで、短大卒の英語ペラペラ女たちに取り替えて、社員たちがいる風を装って、それで形だけ経営を続けている。 ユダヤ鬼たちの直属だった、日本人の鬼たちは、年収2億円とかをもらっていただろうが、今は、再就職先など有りはしないから、汐留(しおどめ)のタワーマンションにひっそりと身を潜めている。
誰も、こういう真実を書かない。伝えない。責任者たちが、メディアに出てきて、事態の真実を語って、謝るということさえしない。 日本国民の積み立ててきた各種の年金と、掛けた保険金が、吹き飛ぶ劇は、今ら起きるのだ。
そして、誰も、あの「年金テロ」(厚生労働省次官=年金次官=たちへの、口封じの殺し と、仲間割れと、身代わり出頭 の警察、検察かでがグルの2008年11月18日、19日の事件)のことを語らない。私、副島隆彦が、今から攻勢をかける。鬼たちに、言論の自由の闘いの強靭さ を見せてやる。
私が、講演で行った先の、外資の大手金融法人の、聴衆(参加者)は、おそらく日本を代表する多くの、機関投資家(きかんとうしか、インスティチューショナル・インベスターズ)
であった。ほとんどは、40台、50台でさえない。 30台だ。この大手法人の、機関投資家と呼ばれる機関(きかん、agent イエジェント)の、そのまさしくファンドマネージャーたちが、私の顔を見に来ていたのだ。 私は、いつもとは調子が違うな、とすぐに勘付いた。
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●副島隆彦氏 ブログ
http://www.snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi
相変わらず、常識を覆す主張をされていますので、すぐには消化できません。特に印象に残ったビックリ主張は、下記です。
■ 信長、秀吉、家康 などという人間たちは、本当は、人殺しの大親分であり、川筋人足や漁労民の棟梁(とうりょう)であり、今で言えば、広域暴力団・山口組の最高幹部たち のような、おそろしい面構(つらがま)えの人間たちであり、敗軍の斬り殺されて、数千個の並んだ生首(なまくび)のひとつひとつに、扇子を当てて、恩賞金の値踏みをしていった者たちだ。それを、首実検(くびじっけん)という。
→なるほど、事実はそうだったかもしれませんね。その後、武士の生き方が純化して武士道となったのでしょうか?今後研究する価値はあると思います。
■これらはすべて破綻して潰れたから、もう実体はない。蛻(もぬけ)の殻だ。空っぽだ。 自分たちが、騙して巻き上げた、日本からの資金は、もう返す気はない。日本の年金運用団体と共済掛け金を積み立てきた共済組合から吸い上げた資金は、すべて「投資は、客様の判断と責任で行われなした」というコトバで、投資元本の一銭(1ドル)も返さないで逃げ切る気だ。これら米大証券(投資銀行)は、今も形だけ日本支店を残しているがすでに、95%の社員の首を斬っている。そのかわりに、日本国内への目くらましで、短大卒の英語ペラペラ女たちに取り替えて、社員たちがいる風を装って、それで形だけ経営を続けている。 ユダヤ鬼たちの直属だった、日本人の鬼たちは、年収2億円とかをもらっていただろうが、今は、再就職先など有りはしないから、汐留(しおどめ)のタワーマンションにひっそりと身を潜めている。
→既に95%も社員を解雇して、逃げる頃合いを見計らっているのでしょうか。
■野村證券や、三菱UFJ証券(昔の国際証券、野村系だった)は、2本売りつけるファンド(投資信託)のうちの一本は、始めから、「嵌(は)め込み」で、客に損をさせることが分かっている。そういうことを平気でやるのだ。それが、金融鬼たちの世界だ。鬼にならなければ、自分が、食べてゆけない。
「 自分は、上から命じられて、与えられた仕事をしているだけだ」と居直っている。
→これが本当なら今日も騙される人がたくさん出るわけですね。
■自分が、頭から、テレビ、新聞の言うことを聞いて、田原総一朗のヤラセ詐欺番組の、日曜の討論番組の、鬼どもの姿が透けて見える、番組を見て、悦に入って、「自分は、なかなか頭がいい」と思い込んでおるような連中だ。勝手に食い殺されて死んでしまうがいい。
→ヤラセ番組でしたか。植草一秀氏も、TVタックルとサンデープロジェクトが恣意的に真実を曲げていると言われています。
<記事転載>
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副島隆彦です。 今日は2009年2月11日です。
今日は、「この世は鬼ばかりだ。人間を騙して取って喰う、金融サギの鬼たちが横行している恐ろしい世界だ」という文章を書きます。この世の中は、本当に、人間の皮を被(かぶ)った鬼たちが、私たちのまわりを徘徊(はいかい)している怖(こわ)い世界だ。
私は、昨年、年末までずっと講演会の仕事に追われて、それと大学の仕事に追われて疲れ果てました。 1月になってからも、10回の講演会をやりました。 売れっ子でよかったね、という話ではない。 私は、怒っている。 この世の中は、本当に鬼たちが、「百鬼夜行(ひゃっきやこう)」しているのだ。
私は、多くの金融鬼(きんゆうおに)たちを、目の前にした。金融詐欺師たち、などというものではない。金融の鬼たちだ。人々から、着ている衣服を騙して剥ぎ取る鬼たちが住む世界だ。
講演会で行った先々で、私は、聴衆の中のあちこちに潜んでいる、鬼たちの存在に気づいて、私は彼らの姿を目(ま)の当たりして、人間のふりをした鬼たちを見つめて、それで、私はうめき声をあげた。金融の鬼たちでも、私、副島隆彦の言論と、金融予言がものすごく気になるらしくて、何食わぬ顔をして、有名な経済評論家やエコノミストの連中が潜り込んできていた。私の脳は、このことを察知して、私にその恐ろしさを、知らせてくれる。
私は、昨年の11月からこっちは、この鬼たちの中を、さ迷い歩いていたのだ。だから、私の脳がかなりおかしくなった。
この鬼たちが、この2年間で、(そのまえの、2004年の「景気回復」を囃した(はや)した時から、)どれほどの損害を人々に与えたことだろう。 自分たちの粗末な、いや、計略的な金融予測、アドヴァイス(助言)、勧誘を信じて、多くの人たちを食い殺したのだ。 金融投資をした人たちのほとんどは、大損をして今も泣いている。
しかし、数千万円も数億円も、大損をした自分は、みっともないから他の人たちには、とても言えない。激しい夫婦喧嘩の理由には十分になる。 愚か者であり、騙された自分の、投資家としての能力のない、己(おのれ)の馬鹿さ加減を、自ら認めて、「腹をくくる」、深く反省する、ということもしない。 鬼たちは、何食わぬ顔をして、今も、徘徊している。隙(すき)あらば、また、襲い掛かってやろうと思っている。
株や債券(ボンド)や投資信託(ファンド)が、こんなに値崩れするとは、誰も思わなかった。 自分の投資額は三分の一に減ってしまった。そして、それを今も黙って、鬱屈(うっくつ)したまま握りしめている。 「そのうち景気回復して、下がった値段が元に戻るだろう。それまでは、じっと待っていよう」と、これが愚かな人間がやることだ。黙ってじっと堪(た)えている。
鬼(おに)のことを、英語で、 Ogre 「オーガー」 という。 このオーガー(あるいはアーガーのことを、日本人は、まったく知らない。 この Ogre (ogre)
の 形容詞形 を、 ogerish オ-グリッシュ と言って、「鬼のような」という意味だ。
イギリス国内から発信しているサイトで、http://www.ogrish.com/ というのがあって、ここでは、今も、イラクで、2003年からの戦争で、生きたまま首を切り落とされる米兵たちや、その他の捕虜になった人々が、残酷に撃ち殺される情景の映像を、インターネット上で流している。
私たちの学問道場でも、4年前に、ここの 「617」番で、「これがイラクで起きている真実だ。正視できるなら正視せよ」 という内容で、米軍の特殊部隊(CIAの対ゲリラ、テロ対策の非正規部隊)によるイラク人捕虜たちへの拷問の写真の掲載と共に、リンク先(テンプレート)を載せました。 見たければ、見てください。今でも見れます。
(※「617 イラク戦争での、首切り動画のサイトのリンクをここに貼ります。お約束どおりです。人間(人類)は、これからも流血と戦乱の中を生きてゆかなければ済まない。 副島隆彦 2004.12.13」)
とても正視するに耐えない残酷な映像シーンをたくさん見ることができます。 それが、世界基準での言論の自由だ。 すべて、表現できる限り、すべての表現は、一切の規制や、統制や、差別言語狩りなどの反動勢力の、動きを打ち破って、自由であるべきだ。一切の規制を絶対に許さない、という人間(人類)の深い決意が重要だ。
言論の自由、報道の自由、表現の自由 という、freedom of expression フリーダム・オブ・エクスプレッション あるいは、free speech フリースピーチ というものの厳粛力を、私たちは片時も手放してはならない。悪辣(あくらつ)な統制官僚、政治官僚どもに奪い取られてはならない。 日本国憲法では、第21条である。
日本国憲法第21条 「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 第2項 検閲はこれをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
と厳格に定めている。 この最高法律の意味は、 日本の公務員は、日本国民の、集会、団体づくり、言論の自由、出版に自由、その他、一切の表現の自由を、侵害してはならない、という意味だ。日本国民は、公務員たちにこのように厳しく、命令しているのである。これを、破って、日本国民の思想表明、言論、報道の自由などを侵害した公務員は、徹底的に厳しく処罰されなければならない、という内容である。
言論の自由はどんな、被差別民団体や、病人の団体、権力者たち、あるいは宗教団体からの統制、自粛、「私たちの心が傷ついた」などという、差別摘発団体の、おぞましい鬼たちの攻撃を撃退する。一切の表現が守られなければならない。 私たちは、人類の無限の自由のために闘い続ける。
この英語の鬼の、 Ogre オーガー(あるいは、アーガー) は、西洋童話の「ジャックと豆の木」に、出てくるあの 化け物 のことだ。 恐ろしい鬼に追いかけられて、ジャックが豆の木につかまってどんどん天にのぼってゆくのを、さらに下から追いかけてくる、化け物の、妖怪の巨人の大男のことだ。
このオーガー(アーガー)の話を、日本人は、よく分かっていない。私たちの背後から襲いかかってくる鬼(怪物)たちのことに、何となく感づくが、それを正面から見据えることをしない。できない。
「渡る世間は鬼ばかり」という有名劇作家(シナリ・オライター)の橋田すがこ氏のチームが描き出す、テレビ・ドラマシリーズの東京の下町の蕎麦屋の人間関係には、もう、初めのころと違って、あまり、鬼(ような人間像) を、出さなくなった。
が、本当は、下町にも鬼はたいくさんいた。 室町時代(戦国時代)から、江戸時代にも、鬼がたくさん出てきた。 京の都大路(みやこおおじ)には、行き倒れの、貧民たちが、たくさん集まってきて、大通りの脇にずっと群れをなして、筵(むしろ)にくるまって、凝集(ぎょうしゅう)していた。女も子供も、たくさんいた。鴨川の河原も、多くの貧民の流浪民で満ちていた。
そこで、黒澤明監督の映画「羅生門」や、芥川龍之介が「藪の中」で描いた中のような、今昔物語(こんじゃくものがたり)の中の、死体から着物を剥ぎ取ったり、髪の毛を抜いたりすることを仕事(なりわい)にしている、奇怪な人間たちの姿が出てくる。
病人となって都大路や、加茂の河原(賽ノ河原)に粗末な小屋掛けをして横たわる極貧民の群れに、襲いかかる鬼たちの姿が、たくさんの屏風絵や風土記(ふどき)に記録に残っている。
10世紀から出現した武士階級 (本当は、「悪党」と呼ばれた) という、集団で人殺しを専門職とすることで、勃興してきた人間たちを、日本人は、きれいな錦絵(にしきえ)のような、嘘臭い、きらびやかな戦国時代の英雄物語などに仕立てなおして、今も、喜んで見ている。
信長、秀吉、家康 などという人間たちは、本当は、人殺しの大親分であり、川筋人足や漁労民の棟梁(とうりょう)であり、今で言えば、広域暴力団・山口組の最高幹部たち のような、おそろしい面構(つらがま)えの人間たちであり、敗軍の斬り殺されて、数千個の並んだ生首(なまくび)のひとちちひとつに、扇子を当てて、恩賞金の値踏みをしていった者たちだ。それを、首実検(くびじっけん)という。
戦国時代であれば、馬卒となって、戦場人足(せんじょうにんそく)となって、輜重兵(しちょうへい)となって、荷物運搬係で、危険手当込みで、一日あたり、10万円ぐらいの日当を貰わなければ、誰が一体、危険な戦場になんか喜んでゆくものか、としか、思われないような 一般大衆が、なぜ、自分を、信長とか、秀吉、家康などに、仮託して、NHKが流す、嘘八百の歴史ドラマに、のめり込んで、「これは、作り話ですから、という自覚も無くなって」 見入っている。いい歳をして、そういうのが多くなった。みな、脳をやられているのである。
日本国民洗脳は、アメリカの グローバリスト(地球支配主義者、金融ユダヤ人)どもだけがやるのではない。 NHKのような、公共放送を中立の立場で流している、と自分たちでも思い込んでいる者たちが、「史実だ。事実だ。あるいは、それの物語への作り直しだ」と居直って、流している映像作品自体が、大きなウソだ。 自分たち自身の脳もやられたまま、嘘話(うそばなし)をたくさん作っては流している。
武士階級は、野伏せり(野武士、山賊)、悪党(あくとう)と呼ばれた暴力団の元祖のような者たちから起こった。この武士階級(人殺しの戦闘集団)が、一番、愛好したのが、世阿弥、観阿弥みよって大成(たいせい)されたとする、能、能楽、お能の世界だ。
武士たちは、かがり火を炊いて、飽かず、能 (元は猿楽能 )に見入った。その舞台のて、シテ、ワキの舞い手に、多くの鬼の面を被った演者が登場する。 鬼がいたのだ。
自分たち、人殺しを職業にして、自分自身もいつ、生身を刺し殺されて、斬られて、戸板に担がれて運ばれる身になるか分からない者たちは、自分たちの運命を儚(はかな)んで、激しく、鬼の舞に魅入った。 このことは、私が最近書いて出した歴史の本の「歴史に学ぶ知恵 時代を見通す力」(PHP刊 2008年6月) に詳しく書いた。 本当に鬼(オーガー)は、この世にいるのだ。
私は、最近、人間の皮を被った、鬼たちとたくさん遭遇することがあって、霊能者である私には、集会している人々の中に、鬼たちの姿があるのを、勘付いて、そして見つめた。この小鬼(しょうき)たちは、ニューヨークの金融ユダヤ鬼たちの使い走りであり、今でもまだあまり罪悪感を感じていない。
本物の大鬼たちは、さっさと東京から、昨年の春までに逃げ去って、さらには、本拠地のNYからも逃げ去って、どこかに隠れてしまった。一番、上の巨悪の鬼たちは、この地球上をどこにも逃げることは出来ない。
私は、思い出すのだが、今から7年ぐらい前に、京都に連れて行ってもらって、電通という日本のメディアを操(あやつ)る鬼たちの会社のカネで連れて行ってもらった、京都の研究会、研修旅行 の一部として行った、さる高級料亭でのことだ。そこの座談の席で、私は、無遠慮に、不躾(ぶしつけ)に、聞いた。 そこには京料理の老舗(お茶屋ではない) 料亭の女将の他にも、京都銀行の幹部や地元の有力者たちもいた。その席で、生来のへそ曲がりの私は、ずけずけと聞いたのだ。
「お聞きしたいのですか、京都には、剥(は)ぎ取り、 という言葉があって、それは、相手が何も気づかないうちに、すーぅっと 着ている物を奪ってゆくのだ、そうですが。それは本当ですか」 と、私は聞いた。
京都のしつけのお師匠で、和服商の市田(いちだ)なんとかさんによく似たその女将は、フランス大使夫人と懇意で、よくお見えになりますと、言っていた人だが、私の話は、その場で完全に無視されて、京都人の誰も何も答えてくれなかった。質問はパス・スルーされた。それでも、私の 剥ぎ取り の 逸話への探究は続く。
私は、お金をもらって講演をしに行った先の、悪口は言いたくないで、あまり名指しはしたくないが、さる大手の投資銀行で、外国資本の大手に呼ばれて、「一度だけ行きます」と応じて、行った。そこは、金融外資の最大手のひとつではあるが、アメリカ合衆国の、5大証券(5大投資銀行)ではない。
さすがに、米5大投資銀行のユダヤ鬼たちは、幾らなんでも、私を呼ぶわけが無い。あいつを呼び出しておいて、取って食おう、とでも思わなければ、私は、呼ばれない。 メリルリンチ、モルガンスタンレー、リーマンブラザーズ、ソロモンスミスバーニー(日興コーディアル、ではなかった、今は日興シティ)の4つではない(ゴールドマンサックスだけが一人勝ちで残っているが、ここも今は東京でも身を潜めている)。
これらはすべて破綻して潰れたから、もう実体はない。蛻(もぬけ)の殻だ。空っぽだ。 自分たちが、騙して巻き上げた、日本からの資金は、もう返す気はない。日本の年金運用団体と共済掛け金を積み立てきた共済組合から吸い上げた資金は、すべて「投資は、客様の判断と責任で行われなした」というコトバで、投資元本の一銭(1ドル)も返さないで逃げ切る気だ。
これら米大証券(投資銀行)は、今も形だけ日本支店を残しているがすでに、95%の社員の首を斬っている。そのかわりに、日本国内への目くらましで、短大卒の英語ペラペラ女たちに取り替えて、社員たちがいる風を装って、それで形だけ経営を続けている。 ユダヤ鬼たちの直属だった、日本人の鬼たちは、年収2億円とかをもらっていただろうが、今は、再就職先など有りはしないから、汐留(しおどめ)のタワーマンションにひっそりと身を潜めている。
誰も、こういう真実を書かない。伝えない。責任者たちが、メディアに出てきて、事態の真実を語って、謝るということさえしない。 日本国民の積み立ててきた各種の年金と、掛けた保険金が、吹き飛ぶ劇は、今ら起きるのだ。
そして、誰も、あの「年金テロ」(厚生労働省次官=年金次官=たちへの、口封じの殺し と、仲間割れと、身代わり出頭 の警察、検察かでがグルの2008年11月18日、19日の事件)のことを語らない。私、副島隆彦が、今から攻勢をかける。鬼たちに、言論の自由の闘いの強靭さ を見せてやる。
私が、講演で行った先の、外資の大手金融法人の、聴衆(参加者)は、おそらく日本を代表する多くの、機関投資家(きかんとうしか、インスティチューショナル・インベスターズ)
であった。ほとんどは、40台、50台でさえない。 30台だ。この大手法人の、機関投資家と呼ばれる機関(きかん、agent イエジェント)の、そのまさしくファンドマネージャーたちが、私の顔を見に来ていたのだ。 私は、いつもとは調子が違うな、とすぐに勘付いた。
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●副島隆彦氏 ブログ
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