日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

それはNG!「江戸しぐさ」に学ぶ、嫌われる言葉遣い

2013-02-14 05:07:36 | 日月神示の実践

 <暮らしの歳時記より転載>

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■江戸しぐさの会話術
会話は大事なコミュニケーションですが、同じ話をしていても、会話が弾む人とそうでない人がいませんか? 話題がどうのというよりも、会話が弾む人は聞き上手、そうでない人は話の腰を折りやすい傾向があるようです。会話はキャッチボールのようなもの。返す言葉で話の行方が変わってしまうのも当然です。

そこで、会話のヒントとなる「江戸しぐさ」をご紹介します。
今からおよそ200年前、世界最大の都市といわれた江戸の町で、互いに気持ちよく暮らすために生まれた「江戸しぐさ」は、言葉遣いをとても大事にしていました。もともとが商人のしぐさなので、どんな身分の方にも失礼がなく快い言葉遣いを大切にし、感情を逆なでするような言葉遣いは、心を乱し、いじめや争いごとをまねくため、やってはいけないしぐさとされていたのです。

江戸しぐさは生活哲学。
その会話術も、今の時代に通用するものばかりです。

■戸閉め言葉
「でも」「だって」「しかし」「べつに」「そうは言っても」などと否定して、人の話を途中で遮ったり無視するような言葉で相手をシャットアウトしてしまうことから「戸閉め言葉」といいます。

人の話を最後まで聞かないことは失礼にあたり、謙虚さを大事にする江戸しぐさでは、自己中心的な人とみなされたそうです。
また、自分の話を聞いてくれない人を本能的に避けてしまうため、「戸締め言葉」は相手の言葉を受け入れないばかりか、相手の心を閉ざしてしまう言葉なのです。

■水かけ言葉
人が気持ちよく話をしているのに、「それがどうした?」と冷や水をかけるような冷たい言葉や、「そんなこと知ってるよ」と小馬鹿にしたり、けなすような言葉を「水かけ言葉」といいます。

誰とも付き合わずに暮らしていくことはできませんから、話の腰を折り、人間関係を壊すようなことは慎むべきで、たとえ自分とは縁遠い話題であっても、その場の雰囲気を壊さず聞いているのが、江戸の人々の心得とされていました。

■刺し言葉
「刺し言葉」とは、「だから?」「はーっ?」「それがどうした」など、会話を断ち切ってしまうような言い方で人の感情を逆なでしたり、とげとげしい言葉遣いのことで、「胸刺し言葉」ともいいます。こうした言葉が出てくると、会話を続けたいという気持ちも失せてしまうでしょう。

また、「あなたが悪い!」「どうせ他人」のような、反論の余地もないような断定的な言い方も「刺し言葉」とされ、その場の雰囲気だけではなく、人間関係もこわしかねません。

■手斧言葉
手斧(ちょうな)とは、木材を粗削りするための斧のこと。「うるさい」「馬鹿野郎」「殴る」「殺す」といった乱暴な言葉遣いを「手斧言葉」といい、言ってはならない言葉の凶器とされていました。

ただし、江戸の人たちは、そんな乱暴な返答をされるようなことを自分がしたから、そのつけがまわってきたんだと捉え、「手斧言葉」は言われたほうにも非があると考えていたそうです。

もしかして口癖? 日頃から気をつけて 
このように、感情を逆なでしたり、話の腰を折るようなことを言われると、もう話をしたく無くなってしまうでしょう。

言葉遣いは日頃の癖が出やすいので、言っている方は意外と無意識なことも多いようですが、言われた方はあまり気分がいいものではありません。もし口癖になっていると、その人と心を開いて話をすることもできないでしょう。

江戸しぐさの根底にあるのは、思いやりや気配りです。
言葉ひとつで気持ちが離れてしまわないよう、日頃から注意しておきたいものです。

<転載終わり>

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 江戸の人たちは「閉め言葉」、「水かけ言葉」、「刺し言葉」、「手斧言葉」などに注意していたそうです。「傘かしげ」は知っていましたが、江戸しぐさは言葉遣いまでも大事にしていたとは知りませんでした。江戸の人たちは長屋で暮らす人が多かったようですから、隣人とうまくやっていくために、言葉にも気を遣っていたようです。

 現代人も言葉遣いにはそれなりに気を遣っていますので、「水かけ言葉」や「刺し言葉」、「手斧言葉」などを発する人はあまりいませんが、「でも」、「だって」、「いや」などはよく耳にする言葉です。親友であれば、「でも」や「だって」は少しなら遣っても問題ないと思いますが、近所付き合いの中で頻繁に遣うと関係がギクシャクするかも知れません。

 逆に友だち付き合いや会社仲間の間で、あまりよそ行きの言葉を遣うのもヘンなものです。その場に合った言葉遣いでいいと思います。

 また、家族だとあまり気を遣わないので、「でも」や「だって」を遣うことは多くなるように思います。家族に「閉め言葉」を遣われても気になりませんので、言葉は人間関係により、ずいぶん変わるということになります。弥栄の会にも「閉め言葉」や「刺し言葉」ばかり遣っている東京のYさんという人がいるのですが、最初はヘンな人だなと思っていました。ところが、正直な人だということが分るにつれて、面白い人だという認識に変わって行きました。先日の伊勢ツアーでもYさんは、閉め言葉や刺し言葉を連発していたので、みんな爆笑でした。一種のヒール役みたいになってますので、みんなもYさんの「閉め言葉」を待っています。最近では人気者になってしまい、閉め言葉を言わないと、「体調悪いの?」と言われるようになりました。面白いものですね。

 

 

・暮らしの歳時記


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タラサ志摩 ホテル&リゾート 

2013-02-13 21:20:51 | 日月神示の実践

 

 2月1日から3日まで日本弥栄の会主催の伊勢志摩ツアーに行きました。天気予報では雨ということでしたが、快晴に恵まれました。しかも20度と春のような暖かさで最高のツアーになりました。

 2日目は鳥羽のタラサ志摩というホテルに宿泊しましたが、外国のリゾートのような雰囲気でした。プライベートビーチもあるので、夏は気楽に海で遊べます。なかなか素晴らしいリゾートです。

 

 

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*タラサ志摩はゴージャスなリゾートで最高の雰囲気でした。何より気温が20度もあったので、沖縄にいるようでした。
 今朝の赤城は一面雪でびっくりしました。それでも昼ころには全て消えてしまいました。お湿りになって助かりました。今日はセルポットにキャベツの種を蒔きました。6月くらいには収穫できると思います。
 
 
 
 

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2月10日は旧暦の元旦

2013-02-12 04:44:14 | 日月神示の実践

 

 

旧正月について

旧正月とは、月の満ち欠けを基準にして作った暦、いわゆる陰暦の正月をいい、春節ともいいます。


旧正月は中華圏ではもっとも大切な祝祭日で、数日間の祝日が設定され、新暦の正月に比べ盛大にお祝いされます。


日本でもかつては旧正月を祝う地域が結構ありました。しかし、明治5年(1872年)に太陽暦(グレゴリオ暦)が採用され、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)としてから、旧正月を行う地域は徐々に減り、現在はほとんどありません。


ちなみに2011年の旧正月は2月3日、2012年は1月23日、2013年は2月10日です。


旧正月は春節ともいい、中華圏でもっとも重要な祝日とされています。


旧正月を祝うようになったのは、4千年以上前の中国から。古代中国の王であった舜が、臣下を率いて天を祭祀した記録があり、これが旧正月の起源とされています。


前漢武帝の時代以前は、元旦の日付が統一されていませんでしたが、武帝により正月が定められ、それは清滅亡まで続きました。


清滅亡後の中華民国では、太陽暦(グレゴリオ暦)が採用され、1912年の1月1日が民国元年1月1日となりました。その後成立した中華人民共和国でも太陽暦を採用、太陽暦の1月1日を元旦、旧暦の正月を旧正月とすることが決定され現在に至っています。


一方、日本においては、明治5年(1872年)に太陽暦が採用されるまでは、旧正月を祝う地域が多かったのですが、現在は、ごく一部の地域を除き旧正月を祝うところはほとんどないようです。
 
<転載終わり>
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 2月10日は旧暦の元旦になるそうです。旧暦の元旦は固定ではなく毎年変わります。2011年の旧暦の元旦は2月3日、2012年は1月23日、2013年は2月10日です。1月だったり2月だったりします。
 
 旧暦は太陰暦ですから月の満ち欠けを基にしています。ひふみ農園では新月の期間に種蒔きすることが多いので、旧暦をいつも使っています。新月の時に種蒔きをしているのは私たちだけですので、周りの農家は太陽暦で種蒔きをしています。ですから周りの農家は毎年ほぼ同じ日に各種の種蒔きをやっています。ひふみ農園では毎年種蒔きの時期が10日から15日くらいずれていますので、周りの農家がいつも不思議がっています(笑)。旧暦をベースに農作業をしている農家は、無農薬・無化学肥料の自然栽培や自然農のグループでもほとんどいませんね。今まで誰にも会ったことはありません。私たちがヘンなのかも知れません。
 
 2月10日が新月なので、昨日はナスとピーマン、キャベツの種蒔きをしました。セルポットという小さなポットに種蒔きをします。この時期は発芽に2週間以上かかります。まだまだ寒いので種はなかなか起きてはくれません。じっくり待ちます。今種を蒔くと、6月中旬にはナスとピーマンが収穫できます。今年も夏野菜の準備の時期になりました。毎日があっと言う間に過ぎて行きますので、気が付いたらナスやピーマンの花が咲いている頃かも知れません。今年も暑くなるでしょうね。冬が懐かしくなるので、今の寒さを味わっておきたいと思います。
 
 
 
 
 

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ほころび始めた伊豆 河津桜

2013-02-11 05:58:01 | その他の情報

<河津桜まつりHPより>

 

 伊豆の河津桜がほころび始めたそうです。まだ5%くらいしか咲いていないようですので、時期は早いですが、その分混雑はしていないようです。以前一度行ったことがありますが、満開の時期だったので、かなり混んでいました。通りにはたこ焼きやおでんなどの屋台が100くらいずらりと出ていました。

 寒いとは言っても自然は春の準備をしています。昨日は旧暦の元旦だったそうです。江戸時代なら、明けましておめでとうと言ってましたね(笑)。いよいよ2013年が始まりました。

 

    

    2月10日の桜の様子。まだあまり咲いていませんね。

 

 

    

      この1本だけ咲いているそうです。河津桜はソメイヨシノよりピンクが濃いです。

 

    

      ふくらんで来ましたね。もうすぐ開花です。

  

            

          夜はライトアップされます。

 

          

          ウグイスではなくて、メジロと河津桜です。

  

 

 

 

 

・河津桜まつりHP


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500年のサイクルで世界を見てみる

2013-02-10 05:58:07 | 政治・社会

<船井幸雄.comより転載>

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500年のサイクルで世界を見てみる

●世界のどこかで何かが秘かに変わりつつある
 2012年の冬至の日をもって、マヤ暦が終わりました。地球規模でのアセンションが起こったのかどうかは、いまのところ私にはよく分かりません。しかし、日本を含めた世界は大きな曲がり角を回ったのではないかという感じが強くするのです。変化はまだ目には見えないけれど、確実に何かが変わっている。人々はまだそれとは気づかないところで、大きな変動がすでに起こっているのではないか。今回は、歴史の大きな転換期にある世界について書いてみようと思います。

●アメリカから中国に覇権が移るのか
 21世紀に入ってからの世界におけるひとつの大きな変化は中国という国の勃興です。90年代に入ってから改革開放路線をとった中国は、またたくうちに驚異的な経済成長を遂げて、2010年には日本を抜いて世界第2位の経済大国になりました。経済の発展は、軍事力の増強をも可能にして、核ミサイルを含む中国軍の軍備は強大なものとなりつつあります。海洋戦略にも積極的で、日本列島の琉球弧の延長線上にある第1列島線は中国の制海圏であり、さらにその外側の伊豆諸島からグアム・サイパンを通る第2列島線までも諸外国の影響を排除していこうというのが中国の戦略のようです。
 尖閣諸島の帰属問題で、日本が尖閣諸島を国の所有としたことで大規模な反日デモが起こったのは、記憶に新しいところです。島嶼の領有権問題では、日本のみならずベトナム、フィリピンなどとも紛争を起こしているのがいまの中国なのです。
 経済と軍事の両面で中国の影響力が増大する一方、アメリカの衰退がはっきりと目に見えるかたちで露呈してきました。この2013年に2期目を迎えたオバマ大統領は、「財政の崖」問題をはじめとする経済問題で追いつめられています。2008年9月のリーマンショックで明らかとなったのは、6京円とも8京円ともいわれる巨大な金融バブルがアメリカで破裂したということでした。かつてない規模での金融崩壊は、経済的にも政治的にもアメリカを弱体化させつつあります。
 昨年9月11日にリビアの米領事館が襲撃され、大使が殺害される事件が起こりましたが、アメリカが世界最強国家だった時代にはとても考えられない前代未聞の事件です。ヒラリー・クリントン国務長官はこの事件の責任をとってこの春にも辞任する予定ですが、「アラブの春」を強力に推進してきた彼女が辞職するということは、これからアメリカは積極的な対外政策をとれなくなるだろうことを意味します。それは後任の国務長官に穏健派のケリー上院議員、国防長官にはヘーゲル上院議員が指名されたことでも明らかです。第2次世界大戦以降、世界の警察官であったアメリカは、その任務を果たす意志も能力も失いつつあるのです。
 では、世界秩序の支配者だったアメリカに変わって、今度は中国がその役割を担っていくのでしょうか。世界の覇権がアメリカから中国に移るのではないかとよく言われます。普遍的な価値(とりわけ人権)を振りかざして、他国に介入するアメリカの覇権から、中国古来からの華夷秩序に基づく中国の覇権に世界は移行することになるのか。それは今後の世界秩序を考えるうえで重要な問題であることは論をまちません。しかし、私がここで言いたいのは、もう少し長いスパンで歴史を考える必要があるのではないかということです。

●500年サイクルで起こる歴史のダイナミズム
 覇権の交替のサイクルはおよそ120年~200年程度と考えられています。しかし文明の大きな転換はさらに長く500年くらいのサイクルで変化していくものだと思うのです。そこで500年前の世界史を見てみると、オスマン朝トルコが西洋世界を大きく浸食していく歴史のダイナミズムに気づきます。
 1453年に東ローマ帝国がオスマン・トルコのメフメト2世の侵略によって陥落します。この衝撃はまさしくヨーロッパ世界を震撼させるものでした。その後もオスマン・トルコの西洋への圧迫は続き、最終的にヨーロッパからオスマン・トルコの影響力が消えるのは1683年に第2次ウィーン包囲でトルコが破れるまで待たねばならないのです。200年以上もの長期間、ヨーロッパはイスラムの脅威にさらされ続けたのです。
 大きな変化はヨーロッパ大陸だけでなく地中海に出現しました。オスマン・トルコは基本的に陸軍の力によって勢力を拡大した王朝です。海軍力は当時隆盛を極めたベネチアなどに比べればはるかに弱体でした。しかしその弱点をオスマン・トルコは海賊たちを使うことで補ったのです。その結果、地中海が海賊たちの海になったことは、塩野七生さんの『ローマ亡き後の地中海世界』に詳しく述べられています。
 フィレンチェのルネッサンスに代表されるヨーロッパ近代文明の勃興は、地中海の交易による富によるところが大きかったのです。その地中海が海賊たちの跋扈する海に変わったとき、ヨーロッパ経済の中心は北方へと大きく移動していきます。いまのベルギーのブリュージュ、アントワープ、そしてオランダのアムステルダムへと繁栄の中心が移っていくのです。
 そして1492年に、グラナダが陥落しイスラム勢力がスペインから排除されるレコンキスタが起こります。同じ1492年にコロンブスがアメリカを発見します。ここから大航海時代がその幕を開けるのです。
 では、オスマン・トルコの東側はどうなっていたのでしょうか。元という世界帝国が滅んだあと中国は明の時代を迎えています。その初期には「鄭和の艦隊」を諸国に派遣するなど海洋に積極的に進出しようとした明は、その後なぜか内陸に閉じこもります。おそらく「鄭和の艦隊」の目的が明朝による華夷秩序復活のお披露目としてのデモンストレーションでしかなく、ヨーロッパのような海外交易を目指したものではなかったために効果が費用に見合わなかったためではないかと思います。そして、同時にシルクロードという陸の巨大な交易路は閉ざされるのです。
 つまり、海賊の海となった地中海交易から世界の富をヨーロッパが独り占めにする大航海時代へと世界覇権の構造が変化していったということは、陸の時代から海の時代への大転換でもあったのです。

●海の時代から陸の時代への大転換が起こる
 そこで問題になってくるのが、現在の中国の発展が、将来どのようなものになっていくのかということです。先ほども述べたように中国は海洋進出にも意欲的です。まるで明の時代の「鄭和の艦隊」を彷彿とさせます。しかし、内陸部の交通網を見ると明らかに中国は大陸国家としての性格をより多く持った国だということがいえます。
 中国は全土に「五縦七横」(5本の南北幹線と7本の東西幹線の整備)といわれる高速道路網を築きあげ、青海道路など西に延びる道路も整備済みです。鉄道網も同様で、「八縦八横」と呼ばれる幹線を整備し、国内の走行キロ数は約10万キロと日本のそれをはるかに凌駕するまでになっています。西に境を接するカザフスタンとの国境では入国審査等で荷物の積み替えが必要ですが、線路はすでに通じていて国境での扱いが簡素化されれば一気にヨーロッパ、トルコ、中近東へとアクセスが可能なところまできているのです。これはシルクロードの再来と言っていいでしょう。
 このように中国による交通インフラの整備のあり方を見てくると、おそらく中国の指導者たちが未来に思い描いている中国という国のかたちは、地域大国としてのそれではないかと思われるのです。ユーラシア大陸の下半分に交通網をめぐらせ、中国のヒトとモノをいきわたらせることでこれらの地域を管理していくという構想です。ということは、中国は陸の大国になっていくということを意味します。
 500年続いた海の時代はまだ続いていますが、中国の発展とともに陸の時代がいままた復活しようとしているのです。海の時代から陸の時代への大転換です。

●これから新潟が日本の中心になっていく
 ユーラシア大陸の中国を中心とするこの動きは、地政学的な変化と言っていいでしょう。では、この大きな地政学の変動によって日本はどうなっていくのでしょうか。
 明治の初めに日本で最大の人口だった都市は、東京でも、大阪でもなく、実は新潟でした。当時の新潟は100万人の人口をかかえる大都会だったのです。江戸時代には北前船など交易の中心は日本海側にありました。鎖国政策がとられていたとはいえ、おそらく中国、ロシアとの密貿易もこの日本海航路を通じて行われていたのだと思います。その中心的な港が新潟だったのです。
 戦後の日本は、アメリカとの貿易によって経済を発展させてきました。対米貿易が日本経済にとって死活的な位置を占めるようになったのです。そこで太平洋側に工場や港湾施設が整備され、メイド・イン・ジャパンの製品が次々に輸出されていきました。しかし、すでに対米貿易は大幅に縮小しています。対中貿易の割合は対米貿易のそれを凌駕し、ますます増大するでしょう。
 そうなるとどうなるか。これまで太平洋側にあった工場や港は、しだいに日本海側へと移動していくに違いありません。なぜなら、中国の経済発展の恩恵を受けるためには、なるべく地理的な距離を縮める必要があるからです。地政学的な引力が働くのです。
 すでに中国は北朝鮮との間で羅先地区の港湾施設の利用権を獲得して港の整備が進行中です。中国が新潟に5000坪の土地を購入したというニュースも報道されました。中国東北地方の工場で製造された製品が北朝鮮の羅先港から船荷され、新潟港に着くということがすでに現実味をおびてきているのです。日中貿易のみならずロシアとの関係も強化されていくはずです。その時、環日本海の貿易の中心は新潟になっていくでしょう。
 海の時代から陸の時代への変化は、おそらくそうしたかたちで日本を変えていくのだと私はいま夢想しているのです。

<転載終わり>

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 明治の初めは新潟が日本で一番人口が多かったとは知りませんでした。中国やロシアとの貿易が盛んだったため人口が多くなったそうです。現在の新潟市の人口は81万人ですので、当時より少し減ったようです。それでも全国で15位の人口ですから大都市です。

 現在は尖閣諸島の問題で中国とは揉めていますし、ロシアとも領空侵犯など色々と問題は尽きません。ただ力石氏の言われるように500年というスパンで見れば、いずれにしても仲良くしていかなければならない相手だと思います。グローバル経済は廃れますので、日本は地域ごとに自立していくように思います。それでも近隣の中国やロシアとの関係は続くと思います。

 今でも新潟空港からロシアのウラジオストクまでは約1時間半で着きますから、最も近いヨーロッパと言われています。一度新潟からロシアに行ってみたいと思っています。なかなか実現できませんがそのうち行きたいですね。

*新潟は好きで10回くらいは行きました。新幹線で東京から1時間40分で着きますので、近いです。何度か新潟港のすし屋で南蛮海老を食べましたが、甘エビより濃厚で美味しかったです。時期によって捕れないときがありましたが、冷凍ならありました。越後湯沢にも20回以上は行ってますが、温泉がいいですね。新潟は海も山もあり、いいところです。カニも山菜も旨いですね。


 

・船井幸雄.com

 


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「デフレなのに…生活費世界1位は東京、2位大阪」 読売新聞

2013-02-09 22:41:14 | 政治・社会

<読売新聞より>

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デフレなのに…生活費世界1位は東京、2位大阪

 

 【ロンドン支局】英経済誌エコノミストの調査部門EIUは4日、毎年実施している世界主要都市の生活費調査の最新版を発表した。

 それによると、前回調査では最も生活費が高い都市だったスイスのチューリヒは7位に下がり、2位だった東京が1位となった。2位には前回3位の大阪が入り、デフレが続いていた中でも日本の大都市での生活費が高い実態が目立った。

 3位は豪州のシドニー、4位はノルウェーのオスロ、5位は豪メルボルンだった。上位20位には、アジアと豪州の11都市、欧州の8都市が入ったが、北米の都市は入っていない。調査は、世界の約140都市で、食料や衣料、家賃など160以上の製品やサービスの価格を比較して行われた。

最終更新:2月5日(火)11時43分

読売新聞

 <転載終わり>
 
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 調査によると、昨年は東京が世界一生活費の高い都市だったそうです。大阪が2位でした。特に食料品やガソリン、灯油などが高いようです。デフレでも世界一物価が高いということは、これからインフレになってくれば更に高くなるわけです。生活するのもなかなか大変になりますね。
 
 CoCo壱番屋やバーミヤン、イトーヨーカ堂などのチェーン店では、赤城でも東京と価格はほぼ同じですから、赤城が大きく安くは感じられません。ガソリンや灯油も東京とほぼ同じですが、アパートやマンションの賃料は東京の半分くらいなので、とても安いと思います。今は東京と赤城に4対6くらいの割合で居ますが、物価だけでなく総合的に考えて、赤城の方が住みやすいと感じます。もっとも感じ方は人によって違うと思いますが。
 
 
 
順位(昨年比) 都市名(国名) ポイント
1位(+1) 東京(日本) 152
2位(+1) 大阪(日本) 146
3位(+4) シドニー(オーストラリア) 137
4位(+1) オスロ(ノルウェー) 136
4位(+4) メルボルン(オーストラリア) 136
6位(+3) シンガポール(シンガポール) 135
7位(-6) チューリッヒ(スイス) 131
8位(-2) パリ(フランス) 128
9位(+25) カラカス(ベネズエラ) 126
10位(-7) ジュネーヴ(スイス) 124
 
 
 

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演歌は右脳?左脳?音楽家・声楽家は?

2013-02-08 05:24:20 | 政治・社会

<健康百科事典ブログより転載>

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演歌は右脳?左脳?音楽家・声楽家は?

音楽や芸術、情緒的な感情を処理するのは右脳、言葉や計算、分析的な考えを処理するのは左脳というのは知られています。

日本人もクラシック音楽は右脳で聴きますが、演歌は左脳で聴くそうです。
情緒的なイメージと違い、演歌は言語的、分析的な音楽ということでしょうか?


また、音楽家や声楽家といった音楽を専門に扱う人たちは、音楽を聴くと左脳が刺激されるそうです。


また日本人は西洋楽器による音楽は右脳で聴き、邦楽器による音楽は左脳で聴くという研究結果もあります。


演歌についてふと気になったのは、年齢による感じ方の違いです。


若い間は、演歌を好きになる、あるいは演歌に興味を持つ人はかなり少数派です。
しかしある程度年齢が進んでくると演歌を好む人が非常に増えてきます。


この場合、演歌によって刺激を受ける脳の部分が年齢によって変化しているのでないかと思えるのです。

右脳、左脳、情緒、分析といった要素も含めて、何らかの研究が行われると面白いのではないでしょうか。


ちなみに医学博士の周東寛さんは「演歌を歌うと若返る」として「演歌療法」を提唱しています。
カラオケが健康に良いことは良く言われることですが、中でも演歌が良いのは日本人の心になじみやすいからだそうです。


演歌だと感情移入しやすく、歌の世界に入り込むことができるのだとか。

<転載終わり>

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 今月号の『玉響』で鶴見先生がクラシックは右脳、演歌は左脳で聴くと書かれていますが、音楽家や声楽家などの音楽のプロは、何と左脳が刺激されるそうです。アマチュアはクラシックを右脳で聴き、 プロは左脳で聴くということのようです。プロはクラシックを聴きながら、分析をしたり、計算をしているので左脳が刺激されるのかも知れません。アマチュアは分析や計算をしながら聴くということもないので、右脳が刺激されると考えることもできます。

 また、年齢が進むと演歌を好む人が多くなるというのも面白いと思いました。確かに40代までの人とカラオケに行くと、演歌を歌う人は少ないですが、70代くらいになるとほとんど演歌になります。60代はビートルズの世代なので、Let it BeやHey judeなどを歌う人もいますが、演歌の方が多いです。もっとも人によって違いますので、一概には言えませんが。カラオケボックスでは人の歌は基本的にはあまり聴いていませんので、自分の好きな歌を歌うのがいいですね。

 黒人演歌歌手のジェロさんは歌が上手いと思います。心が籠もっているので、響きますね。また、ポップスでデビューして、演歌で花開いた長山洋子さんもいいですね。子供の頃から三味線の稽古をしていたので、じょんがら女節での三味線はプロです。さすがは名取です。そして何度かご紹介していますが、本田美奈子さんの演歌も最高ですね。演歌っぽくないですが心が伝わります。

 

・ジェロ 海雪

・長山洋子 じょんがら女節  アイドル時代の曲 ヴィーナス

・本田美奈子 北の宿から

・必殺仕事人 原曲 「さよなら さざんか」(関係ないですが)

 

 ・健康百科事典ブログ


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生活習慣病に克つ新常識 まずは朝食を抜く!

2013-02-07 06:46:18 | 菜食・正食

 

<新潮社より転載>

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生活習慣病に克つ新常識 まずは朝食を抜く!

 

 一日三食という食習慣の誤り
 一日三食という食習慣も、肥満に一役買っています。
 今では一日三食を摂るのが常識となっていますが、そもそも三食という食習慣はいつ頃から、どういう経過を辿って定着したのでしょうか。簡単に歴史をふり返ってみましょう。
 その昔、日本でも人が自然の狩猟者に近い暮らしをしていた時代は、空腹になったら食物を求めて狩猟・採集するという生活をしていたに違いありません。おそらく奈良時代あたりまでは、狩猟と農耕を兼ねていたでしょうから、食事は一日一食、一日の労働が終わった最後に摂るのが普通でした。二食になったのは、栽培農耕が可能になり、食糧が保存できるようになってからと思われます。
 その時代、農民は夜明けと同時に起きて、野良で仕事をします。日本の夏は熱帯のように暑くなりますから、暑くなる前の一〇時頃には仕事を止めて、その日初めての食事を摂ります。食事のあとは「親が死んでも食休み」で、昼寝をします。二時間ほどたつと起き出して仕事をして、暗くなる前に晩の食事をして寝てしまう、というような生活スタイルでした。このような習慣はかなりあとまで、農家に残っていたところもあるようです。
 富裕階級も昔は二食でした。後醍醐天皇(在位一三一八~一三三九年)の勅撰『日中行事』には、
「朝の御膳は、午の刻なり、(中略)申の刻に夕の御膳まゐる」
 と記されています。午の刻は、今の午前一一時から午後一時までの間をさしますから、昼頃にその日初めての食事を摂り、夕方暗くなる前に食事を摂って休んだのでしょう。
 三度の食事を摂るようになったのは、鎌倉時代、永平寺の開祖道元が、中国からその習慣を持ち帰ってからとされています。それが次第に支配階級や僧侶たちの間に伝わって、武士階級がすべて朝・昼・晩の三食を摂るようになったのは、江戸時代中期以降のことです。
 それが町民の間にも普及し、明治維新によって武士階級が崩壊して新政府が平民を集めて軍隊を作り、彼らに武士階級と同じ食事方式を採用したので、一日三食の習慣が全国的に普及するに至ったのです。
 明治政府は、軍隊に農家の二男、三男を募り、食べるものもままならなかった時代に三食を用意して、嫁ももらって暮らしていける条件をつくったという、貧しい中での食事情があったのです。
 こうしてみると、一日三食という食習慣が日本人全体に普及したのは、明治の軍隊がはじめたことで、わずか一〇〇年ちょっと前であり、とにかく腹いっぱい食べられるということで三食が制度化されたことから定着したとみて間違いないでしょう。
 どうやら私たちは、食うや食わずの時代に生まれた食習慣を大切に持ち続け、いつの間にか健康の源であるかのように思い込んできてしまったようです。食物が不足していた時代のやり方で食物が余っている時代を過ごせば、からだに矛盾が生じるのは当然です。
 今では一日三食の習慣はしっかり生活に組み込まれ、病院をはじめ社会全体が三食摂取ということで成り立っていますが、そろそろ見直してもいい時期に来ているのではないでしょうか。

<転載終わり>

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 奈良時代くらいまでは一日一食だったとは知りませんでした。ということは縄文人も一日一食だったということでしょうね。一日一食だと少ないように感じますが、一日三食では食べすぎだと感じます。以前は昼と夜の二食でしたが、最近は朝と夜の二食と昼と夜の二食のどちらでも大丈夫なようになりました。忙しい時は昼食も摂らずに、夕飯だけの一食です。人間は慣れればどのようにでも対応できますね。人間はよくできています。私の両親にも二食にした方が身体にいいと言ってますが、長年三食なので今更ムリと言われました。確かにそれは言えると思います。気合散は気に入って毎日飲んでるので、それでいいかなと思ってます。ひふみ野菜も食べてますし。

 現代人の身体は奈良時代当時とそれほど変わっていないようですので、少ない食事で丁度よいのかも知れません。ところが一日三食が普通になっているため、どうしても現代人は食べ過ぎになっているようです。人間というものはそもそも食べることが好きですので、どうしても食べ過ぎの傾向になってしまいます。それも仕方ないのかも知れません。

 人間の思い込みと習慣というのはすごいもので、それを変えるのは難しいようです。ただ思いきってやってみると、朝と晩の二食でも朝と昼の二食でも、夕飯の一食でもどのようにでも対応できることがよく判りました。しかも毎日その日の都合で変更しても身体はほとんど問題なく対応できますので、身体はよくできています。それでも毎日快食、快眠、快便ですので、人間の身体は素晴らしいと思いました。ただ、食品添加物や大気中の化学物質などをデトックスするために、P-マリンソルトやP-ストーンなどのπの力は借りています。中国からPM2.5という大気汚染物質が日本に飛来しているようですが、誰でも毎日何らかの毒素を身体に取り込んでいますので、デトックスするツールを使うしか今は方法がないように思います。また、πは免疫力をアップしてくれますので、毎日発生するガン細胞なども消滅させてくれるそうです。更に食べる前の料理に、P-マリンソルトをほんの少し振り掛けると、添加物などが不活性になります。

*先日の伊勢ツアーでは20代、30代の若手の皆さんが多く参加してくれました。いつもは埼玉県川口市のFさん他数名くらいの参加ですが、今回はFさんとその友だちが参加してくれ、大変ツアーを楽しくしてくれました。昨年のひふみ農園福島での田植えや草取り、稲刈りや、赤城の実習会に参加してくれたメンバーです。今年も福島のWさんのご指導の下、田植えや草取り、稲刈りをやらせていただきますので、若手の皆さんが中心となって楽しくやってくれると思います。頼もしいことです。

 また、神社巡りサークルチーム関東は、今まで中心となり引張ってくださった世話役のSさんから、川口のFさんと春日部のWさんにバトンタッチされました。ここでも若手の皆さんが活躍されています。今年は2月が伊勢ツアー、4月が出雲ツアーなので、3月2日に神社巡りを予定しているそうです(まだ決定ではありません)。今回は赤城神社を予定されているようです。もう少ししたら神社巡りのメンバーには案内が届くと思います。弥栄の会も若手の皆さんの活躍で、益々楽しい会になると思います。

 

 

・新潮社


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関東甲信は大雪になりました

2013-02-06 06:34:05 | 日常

<Yahooニュースより>

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東京23区、積雪5センチと予想=午前ピーク、交通乱れ注意―気象庁

 気象庁は6日朝、関東甲信や東北地方の太平洋側では同日夕にかけて雪が降り、平地でも雪が積もって大雪になる所があると発表した。東京都では午前がピークとなり、23区と多摩北部・南部の7日午前6時までの24時間降雪量は多い所で5センチ、多摩西部10センチの見込み。交通の乱れに注意が必要という。
 四国沖に前線を伴う低気圧があり、6日昼ごろに伊豆諸島付近を通過し、夜に関東の東海上に進む見通し。西日本では大雪の恐れがなくなった。24時間降雪量は関東甲信の多い所で30センチ、東北太平洋側20センチ、中国と近畿5センチと予想される。

<転載終わり>

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 朝起きて外を見ると、一面銀世界でした。まだあまり明るくありませんが、綺麗な雪景色です。先月も関東は大雪でしたが、二度めの雪になりました。今年は雪の当たり年のようです。先月は東京は大雪で、3日間ほど車での移動が不自由でしたが、赤城はあまり降らなかったので、翌日にはほとんど雪は融けてなくなりました。今回は赤城の方が東京よりも積もっているようです。今は3cmくらいですが、まだ降ってますので、どれくらい積もるかですね。

 ひふみ農園では、朝野菜を収穫して、土を落として梱包し、午後2時には宅配で発送しますので、東北の一部から関西までなら翌日に新鮮なままお届けしています。今日の大雪を予測して、昨日の内に大根と白菜などは収穫しておきましたので、これからほうれん草や小松菜などの葉物を収穫します。農園としては出荷はできるのですが、ヤマト運輸さんの方が集荷に来てくれるかどうかが問題です。雪が降ってしまうと、ヤマトさんも通常の動きができなくなるそうです。

 東京ではそろそろ通勤ラッシュが始まりますので、多少の混乱があるかも知れません。焦ると思わぬトラブルになりますので、こういう時は少しゆっくりがいいと思います。最近は私もなるべくゆっくりを心がけています。4年前までは仕事柄、時間との戦いでしたが、今は何事もなるべくゆっくりやるようにしています。その方が気持ちも落ち着いて、いい仕事ができるように感じます。野菜を相手にしていますので、機械的な作業はしないようにしています。野菜や虫にも心はありますので、今日の作業も心を込めてやりたいと思います。

 今もまだ雪は降っています。午後まで降り続くそうですので、早めに畑仕事は切り上げて、屋内の作業をしたいと思います。今日は15時に終えて、皆で野菜鍋を囲んで雪を楽しみたいと思います。

 

 

・Yahooニュース 


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伊勢神宮に行ってきました

2013-02-05 05:42:04 | 日月神示の実践

<日本弥栄の会より転載>

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伊勢神宮に行ってきました

2月1日~3日の二泊三日で、伊勢志摩を巡るバスツアーを開催しました。

参加された総勢50名の皆さん、大変お疲れさまでした。

この三日間は、天気の具合が心配されましたが、雨が降ったのは1日の夜から明け方にかけてで、三日間を通じて好天に恵まれました。

 

私たちで主催したバスツアーはこれで6回目ですが、いずれも天候には恵まれ、前日まで悪天でも当日は「最高の天気」という状態になるので不思議です。

今回もそうでした。

1日の外宮での正式参拝もよかったですが、やはり印象に残るのは内宮での正式参拝です。

未明まで続いた雨もほぼ止み、やや霧がかかったような神宮の森は、神秘的かつ荘厳な雰囲気で、皆さん感激されたようです。

神職の方によると、伊勢神宮はこのような雰囲気の時がまた最高に美しいとのことでした。

 

とくに、2日から3日にかけて滞在したタラサ志摩ホテル&リゾートは、前日まで雨が降るなどして眺望が良くなかったにもかかわらず、当日は「冬でもこんなに綺麗に晴れることは珍しい」という天気となり、まるで外国のリゾート地を訪れたような、素晴らしいオーシャンビューを堪能できました。

また、最終日には御薗治療院の中村秀一先生をお招きし、皆さんの前で「氣の診断」についての興味深いお話とデモンストレーションを披露して頂きました。

同ホテル総支配人の井上武さんがこの模様を写真入りでレポートしてくださっていますのでご覧ください。

私は、中村先生という方は一種の天才と思っているのですが、先生の治療法を一言で説明するのは至難の業(本当は実際に治療を受けるのが一番!)なので、一度ぜひ先生の著書『姿勢を正せば、痛みが消える』をお読み頂ければと思います。

医療従事者の間でもかなりの好評価を得ている本です。

 

伊勢神宮の神職の方々や、タラサ志摩ホテル&リゾートの井上武さん、御薗治療院の中村秀一先生など、本当に素晴らしい方々にご協力頂いたお蔭で、今回のツアーも大成功に終わりました。

成功の鍵は、やはり「ご縁」だと思います。

波長の合う人と人とが縁を結び、「和」をつくっていく。

これが、何よりの財産となります。

本当に大切なのは、人と人との「縁」づくりなんです。

エネルギーの高い人たちが集まると、相乗効果が起きて、よりエネルギーの高い、相当良いものが出来るものです。

 

初めての方は、やはり「バスツアーってどんなものなんだろう」「どういう人たちが来るんだろう」などと心配になるみたいなのですが、一度参加してしまうと、良さがわかりますし、お友達もできますので、「こういうツアーならまたぜひ参加したい!」となるようです。

それで、常連さんが増えてきて競争率が高くなるのですが(一回のバスツアーではせいぜい50人がMAX)、私の方が多忙のため、なかなかそう頻繁にはできません。

次は、出雲大社をはじめ主要な神社を巡るバスツアーが4月にあるのですが、こちらはすでにキャンセル待ちで40人(!)という状態です。

出雲大社のご遷宮は5月なのですが、遷宮後になってしまってもよければ、もう一回、神無月(旧暦の10月。出雲では神在月となる)の頃にやってもいいかもしれません。

 

バスツアーへの参加は、『玉響』会員(年間購読者)が対象です。

さらに、「ひふみ友の会」に入って頂きますと、こうしたイベントでは優先的に参加できるようになります。

その『玉響』ですが、今月号の独占手記「私と中国」は、一人でも多くの方にお読み頂きたい内容です。

中国で幼少期を過ごした瀬戸駿介さんの、壮絶な体験記です。

今後、日本が中国と付き合っていく上での参考にもなると思います。

年間購読されていない方は、どうぞ、完売してしまう前にお求めください。

<転載終わり>

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 2月1日~3日まで、日本弥栄の会さんのツアーで伊勢志摩に行って来ました。今回のツアーも大変な人気であっと言う間に満席になってしまったそうです。私はひふみ友の会に入会していますので、優先的に参加することができました。

 今回は天気予報では雨模様とのことでしたが、たぶん大丈夫と思っていました。案の定、初日の夜に少し降ったくらいで、ツアーの行程には全く問題ありませんでした。それどころか、2日目以降は気温も20度くらいまで上がり、4月並みの陽気で最高の天気になりました。いつもながら天気は100%恵まれます。不思議ですね。

 以前に外宮と内宮は参拝したことはありましたが、今回は両方とも正式参拝をすることができました。正式参拝する際に、拝殿の中まで入ることができます。さすがに神社の中の神社、圧倒的なものを感じました。式年遷宮という記念すべき時に参拝をすることができ、一生の宝となりました。中矢代表を中心として素晴らしい仲間と共に参拝させていただけたことは、永遠の思い出です。

 その後内宮を後にし、バスで伊雑宮に向かいました。それほど大きくはない神社でした。各自で参拝しましたが、何となく懐かしく、温かいものを感じました。一緒に居た横浜のNさんと福岡のTさんがずっとここに居たいと言ってましたが、私もそう感じました。帰りたくないと感じたことは初めてでした。今まで数多くの神社に参拝しましたが、これほど温かいものを感じた神社はありませんでした。概観はどこにでもある普通の神社ですが、ここは違うと思いました。特別な能力のあるWさんに尋ねたところ、この神社に居られるお方は、私たちの母のような存在だと言われました。ここはすごいです。

 今回のツアーは内面で感じる旅になりました。単に楽しいだけでなく、自分の中の何かが変わったように思います。自分の奥に居られる神を少しだけ意識できた旅でした。

 

・日本弥栄の会


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