「せっかく出掛けたんだから」とか、「だって生えていたんだから」みたいなことを言いわけにして必要以上に大量に採ってくる人間を、山形では『欲たがり』と呼ぶ。この季節になると、マタギも『欲たがり』になってしまう。
で、その結果として採集物を食べきれなくて無駄にしてしまっては、山の神様に対して申し訳が立たない。なんとか美味しく戴いて、自然の恵みに対する感謝の気持ちを示さなければならないのだ。これは、自然と共存しながら生きている者の務めだと考えている(失敗したことも多々あるんですけどね)。
さて、ちょっと採りすぎてしまったフキノトウ、どうしましょう。
ポクポクポクポク チ~ン
≪フキノトウ味噌の冷凍保存≫
このレシピは、前回紹介したものとあまり違いはありません。でも、『欲たがり』になってしまったとき、山の神様に申し訳が立つので、時々やってしまいます。
手順は、ほぼ前回(3/6)と同じなので、あっさりと。
湯がいて
みじん切りにして
味噌とみりんと砂糖と一緒に煮詰めて
※ここまでは、いつもと同じです。弱火にして、なるべく水分を飛ばします。
・固さがもともとの味噌に近い所まできたら、火を止めてあら熱を取ります
・広げたラップに、1回分のフキノトウ味噌を乗せます。
こんな感じです(これでお玉1杯分)
・できるだけ空気が残らないように密封していきます
これを冷凍庫に入れておけば、いつでも早春の香りを楽しむことができるはず。
今、我が家で使っている分がなくなったら、徐々に解凍して使います。その頃には、次の収穫物が食卓に登場して、新たなコラボレーションを楽しめるんじゃないかな。
多分ですよ。この楽しみ方は、現代のマタギができるようになった新しい方法。フキノトウは、雪が消えるとともに芽吹く山菜だから、採集場所も徐々に高度を上げながら夏の始めまでは楽しめるはず。だから、昔のマタギも、初夏まではこの味を楽しめたと思うんだけど、それ以上となると、テクノロジーの力が必要だと思うんですね。
自然からの恵み。それを長く楽しむために生み出された昔ながらの技術。これを忘れてはいけません。でも、新しい生活技術を活かした新しい方法を工夫していくことも令和のマタギには大切なのではないかな。
そうすることで、人と自然とが乖離せず、ともに生存していく礎が保たれていきそうな気がするのですよ。
ちょっと採りすぎたかな?
で、その結果として採集物を食べきれなくて無駄にしてしまっては、山の神様に対して申し訳が立たない。なんとか美味しく戴いて、自然の恵みに対する感謝の気持ちを示さなければならないのだ。これは、自然と共存しながら生きている者の務めだと考えている(失敗したことも多々あるんですけどね)。
さて、ちょっと採りすぎてしまったフキノトウ、どうしましょう。
ポクポクポクポク チ~ン
≪フキノトウ味噌の冷凍保存≫
このレシピは、前回紹介したものとあまり違いはありません。でも、『欲たがり』になってしまったとき、山の神様に申し訳が立つので、時々やってしまいます。
手順は、ほぼ前回(3/6)と同じなので、あっさりと。
湯がいて
みじん切りにして
味噌とみりんと砂糖と一緒に煮詰めて
※ここまでは、いつもと同じです。弱火にして、なるべく水分を飛ばします。
・固さがもともとの味噌に近い所まできたら、火を止めてあら熱を取ります
・広げたラップに、1回分のフキノトウ味噌を乗せます。
こんな感じです(これでお玉1杯分)
・できるだけ空気が残らないように密封していきます
出来上がり
これを冷凍庫に入れておけば、いつでも早春の香りを楽しむことができるはず。
今、我が家で使っている分がなくなったら、徐々に解凍して使います。その頃には、次の収穫物が食卓に登場して、新たなコラボレーションを楽しめるんじゃないかな。
多分ですよ。この楽しみ方は、現代のマタギができるようになった新しい方法。フキノトウは、雪が消えるとともに芽吹く山菜だから、採集場所も徐々に高度を上げながら夏の始めまでは楽しめるはず。だから、昔のマタギも、初夏まではこの味を楽しめたと思うんだけど、それ以上となると、テクノロジーの力が必要だと思うんですね。
自然からの恵み。それを長く楽しむために生み出された昔ながらの技術。これを忘れてはいけません。でも、新しい生活技術を活かした新しい方法を工夫していくことも令和のマタギには大切なのではないかな。
そうすることで、人と自然とが乖離せず、ともに生存していく礎が保たれていきそうな気がするのですよ。