本日は結果的に彫刻美術館の1か所である。
途中、浄国寺の「蓮華HASU展」を見に立ち寄ったのだが、ちょうど法要の時間帯とぶつかり、見ることができなかった。敷地内に「蓮の池」というのがあったので、そこの写真を掲載しておく。
■札幌市彫刻美術館「舟越桂展~言葉の森~」。
「山を立てる」:人物の頭に鉄針が2本立ち、その間をワイヤーが貼ってある。作品タイトルを見て、何となく、手稲山を思い浮かべるね。
私は正直な所、舟越桂の作品が好きではない。なぜか考えながら坂を下りて来たのだが、一言で言うと「人体改変」という事に尽きるのだろうか。SF小説においても「人体改変テーマ」というのはあるのだが、大体において不愉快になることが多い。過酷な他星系の環境で生きていくために体を改変するという、やむを得ない事情がある場合には多少緩和されるケースもあるのだが、ファッションや単なる趣味で外科的、または遺伝子の改造をするものはおおむね不愉快だ。
但し、この不愉快というのも微妙な感情であって、それなら今の人間におけるメガネ、入れ歯、カツラ、美容整形も不愉快なのかと聞かれると、慣れのせいもあってそうでもない(美容整形は自分がすることを想像すると不愉快かも)。実際私もメガネにはお世話になっているし、美容整形がダメで、盲腸の切除がOKというのも筋が通らない気もする。
芸術において、何らかのイメージを表現するために人体をデフォルメして表現することは多い。私の場合、それが2次元であればあまり違和感を覚えないのだが、3次元になると、ことに明確な人型であるとどうも途端に愉快でなくなるらしい。これは人体のパーツを表現のために弄ぶように見えるのが嫌なのか。いや、リアリズムに基づいたパーツを使った結果が、いわゆる「不気味の谷」に達して見えるから嫌なのか。
と、色々思ったが、結論は無いのであった。その他の舟越作品でも人間+動物のシリーズ(人種差別が確実に起きるであろうことを思わせるからかな?)、2人の人間がくっついて見えるシリーズ(精神的依存を思わせるのが嫌なんだろうな)も、好きではない(というか嫌いだ)ので、ほとんどの作品が好きではないのであった。
ということで、手短に観覧終了。
帰りに家で大量に消費する炭酸を買って帰宅。
途中、浄国寺の「蓮華HASU展」を見に立ち寄ったのだが、ちょうど法要の時間帯とぶつかり、見ることができなかった。敷地内に「蓮の池」というのがあったので、そこの写真を掲載しておく。
■札幌市彫刻美術館「舟越桂展~言葉の森~」。
「山を立てる」:人物の頭に鉄針が2本立ち、その間をワイヤーが貼ってある。作品タイトルを見て、何となく、手稲山を思い浮かべるね。
私は正直な所、舟越桂の作品が好きではない。なぜか考えながら坂を下りて来たのだが、一言で言うと「人体改変」という事に尽きるのだろうか。SF小説においても「人体改変テーマ」というのはあるのだが、大体において不愉快になることが多い。過酷な他星系の環境で生きていくために体を改変するという、やむを得ない事情がある場合には多少緩和されるケースもあるのだが、ファッションや単なる趣味で外科的、または遺伝子の改造をするものはおおむね不愉快だ。
但し、この不愉快というのも微妙な感情であって、それなら今の人間におけるメガネ、入れ歯、カツラ、美容整形も不愉快なのかと聞かれると、慣れのせいもあってそうでもない(美容整形は自分がすることを想像すると不愉快かも)。実際私もメガネにはお世話になっているし、美容整形がダメで、盲腸の切除がOKというのも筋が通らない気もする。
芸術において、何らかのイメージを表現するために人体をデフォルメして表現することは多い。私の場合、それが2次元であればあまり違和感を覚えないのだが、3次元になると、ことに明確な人型であるとどうも途端に愉快でなくなるらしい。これは人体のパーツを表現のために弄ぶように見えるのが嫌なのか。いや、リアリズムに基づいたパーツを使った結果が、いわゆる「不気味の谷」に達して見えるから嫌なのか。
と、色々思ったが、結論は無いのであった。その他の舟越作品でも人間+動物のシリーズ(人種差別が確実に起きるであろうことを思わせるからかな?)、2人の人間がくっついて見えるシリーズ(精神的依存を思わせるのが嫌なんだろうな)も、好きではない(というか嫌いだ)ので、ほとんどの作品が好きではないのであった。
ということで、手短に観覧終了。
帰りに家で大量に消費する炭酸を買って帰宅。