NHKのドラマ「おひさま」の大ファンである。 丁度私の母が主人公の陽子先生と同じ年代だからかもしれない。 私は終戦1年後に生まれた。母は萩の商家の娘でおそらく田んぼなどに入ったことなどなく、農作業など全く経験がなかったと思う。そんな母が当時としては大百姓の長男のもとに、どんな心境で嫁いできたのか。若い頃聞いた話で当時は「軍人の妻」になることがとても憧れだったそうである。父は満州事変勃発当時に志願兵(召集兵と異なり2年で下士官になることが約束されている制度)で入隊した。小倉の部隊に入り、その後の終戦までは関東軍司令部での下士官、准尉として勤務し命からがら(という表現が正しいのか、運が強いと言うのが正しいのか)終戦を迎え、昭和20年10月に復員し、母と実家継いだようである。父はその後自衛隊の前身の「警察予備隊」を熱望していたようであるが、敗戦ということで厭戦、軍隊は悪という当時の感情から農家の長男としての道を継がざるを得なかったようだ。その父の絶望感が私を自衛官として進ませたのかもしれない。今でも56歳で病死した父には大変感謝している。話は逸脱したが、ドラマを見るたびに「陽子先生」と私が教わった小学1年「山田先生」、2年「谷村先生」などの先生を懐かしく思い出すのである。戦争には負けても、日本人としての誇りと復興への心意気は当時の大人の皆さんは持っていたような気がする。みんな貧しかったが、心はとても温かかった。楽しい思い出ばかりである。 国策とは言いながらも戦争は絶対に悪だと思うが、人間の「性(さが)」として、自己・民族欲の主張、争うことは避けることができないのかもしれないと思った。 なお、今日初めて「明治神宮」の中、神宮の杜を1時間くらい散策した。こんな素晴らしい荘厳な静寂な杜が都心にあるとは思わなかった。