ゆめ未来     

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戦場のアリス

2020年05月25日 | もう一冊読んでみた
戦場のアリス/ケイト・クイン    2020.5.25  

戦場のアリス』 を、楽しく読みました。

女スパイの話だが、男と女の愛憎の物語でもある。
イブとキャメロン、ルネ・ボルデロンの三つ巴の関係、シャーリーとフィンの人物像が面白い。
それにしても、リリーとフィンは何とも魅力的な人物ですね。
フィンのポンコツ車も見事な描写です。

教養豊で趣味人。しかし、悪魔的で不気味なルネ・ボルデロン。
このような人物は、現実のこの世界をどのように生き抜いているのか、と考え込んでしまった。

  北上次郎のこれが面白極上本だ!

1915年と1947年を行ったり来たり。
次のディオールについては、ココシャネルの登場を思い出してしまいました。

ディオール

 「こんなに締めつけられたんじゃ、猫背になりようがないわ」コルセットが鉄の帯となってウェストを締め付けていた。小枝みたいに細い体にコルセットは必要ないのに、それがないと泡立つスカートがきれいに流れないのだから仕方がない。ディオールのせいだ。ニュールックだかなんだか知らないけれど、ディオールと一緒に地獄で腐ってしまえ。

キャメロン

 「果たして要職と言えるかどうか疑問だがね。戦時だからおかしな連中も入ってくる。総力戦だからな。脛に傷を持つ連中も迎え入れるってわけだ。キャメロンは恩赦になって復職を果たしたが、わたしだったら娘を彼と二人きりで浜辺に行かせたりはしない。一度は塀の中にいた男だから----」

 「全力を尽くします」イヴは食い入るように彼を見つめた。「あなたの誇りになりたい」
 「きみたちみんな、わたしの誇りだ」キャメロンが言った。「与えられた任務を引き受けてくれたときから、わたしはきみたちを誇りに思っている。これは危険な仕事というだけではない。汚れた仕事、嫌な仕事だ。胸を張れる仕事とはけっして言えない。盗み聞きしたり、人の手紙----敵の手紙をこっそり開封したり。いかに戦時であろうと、紳士がやるべきことだとは誰も思わない。淑女は言うにおよばず」


イヴ

 「猫になりたい」イヴは虎猫を抱き上げた。
 「猫はしゃ、しゃ----しゃべる必要ないものね。童話の世界以外では。それより男になりたいと願うべきかしら」男に生まれていたら、吃音を揶揄する相手を殴れるのに。女はなにを言われても、失礼にならないようほほえんで許すしかない。


 イヴ・ガードナーは手袋をはずしてグロテスクな手をあらわにすると、バッグから煙草を取り出した。片時も手放せないのだろう。「人間なんて愚かなもの。鼻先にもっともらしい話しといいかげんな書類をぶらさげておけば、騙すなんてかんたんなのさ。こっちが冷静さを失いさえしなけりゃね」

 イヴがテーブル越しに身を乗り出し、灰色の目をギラギラさせた。「善人は生き延びられないもんなのよ。自分が犯してもいない罪のために、野垂れ死にするか、銃殺されるか、刑務所の汚いベッドで息絶えるもんなの。善人はいつだって死ぬ。愉快に生きつづけるのは邪な人間ばかり」

リリー

 「リリー」イヴは衝動的に尋ねていた。「怖いと思ったことはないんですか?」
 「あるわよ。誰だってそうでしょ。でも怖いと思うのは、危険が去ったあと----危険が迫っているときに怖いと思うのは、自分を甘やかすこと」彼女がイヴの肘に手を絡ませた。
 「アリス・ネットワークにようこそ」


 リリーが亡くなる前は、いろいろな感情が交錯していた。いま感じるのは悲しみと怒り、それに罪の意識だけで、己の尻尾を食おうとするヘビのように、それらがたがいを呑み込もうとしていた。それに血が絶え間なくささやく。裏切り者、と。

ルネ・ボルデロン

 戦争のおかげで、男は小麦粉より手に入れるのが難しくなった。ルネ・ボルデロンのような暴利商人でも無理は無理なのよ。言っておくけど、彼は獣だから。儲けるためなら実の母親だってドイツに売り飛ばす。彼に母親がいればの話しだけど。悪魔がユダと酒盛りした晩に、彼をひねり出したのよ。きっと」リリーはイヴのバゲットの最後のひとかけまで平らげた。

 最後の客が引き揚げたあとも、ルネ・ボルデロンが店でぐずぐずしていた。店のスタッフが黙々と後片付けをするそばで、葉巻をのんびりと燻らせている。ドイツの将校に囲まれているときは、美食家のホストを演じているが、一人になるとまるでサメのように単独で泳ぎ回る。一人暮らしをして、たまに給仕長に仕事を任せて芝居やコンサートに出掛ける。優雅なカシミヤのコートに午後の空気をまとわせ、銀の握りのステッキを振りながら、店を閉めたあと、暗い窓の前に立ってほほえむ彼を見ていると、この人はなにを考えているのだろう、とイヴは思わずにいられなかった。店が儲かっていることが単純に嬉しいだけかもしれない。

 「なにが彼を変えたのか? 先の戦争が終わるころになにかがあった。彼を耽美家の暴利商人から----」----老婆の言葉を思い出す----「優雅な殺し屋に変えたなにかが」
 イヴが苦い笑みを浮かべた。「原因はあたしだったと思う」


“彼はあなたになにをしたの、イヴ? そして、あなたは彼になにをしたの?”

シャーリー

 「あなたの戦争はどんなだったの?」人にはそれぞれの戦争がある。わたしの戦争は、代数の宿題、たまに男子学生とデート、ローズやジェイムズから手紙を待つ日々。両親の戦争は、食糧不足を補うための家庭菜園と鉄屑回収。靴下がないので脚に線を描かなきゃならない、と母は文句たらたらだった。
 「負傷することはなかった。すてきな時間を過ごしたよ。そりゃもう輝かしい時間をね」
 フィンは誰かさんを真似ているつもりらしいが、......


 リリー。イヴにはリリーがいて、わたしにはローズがいた。
「みんな花の名前」
「それが女の名前の場合は二種類あるのよ」イヴが言った。「きれいな花瓶に活けられて安閑としている花と、どんな状況でも生き延びる花……悪に根を張ってでも。リリーは後者だった。あんたはどっち?」


人生を生きることが、大変な人もいる。

 「軍事功労賞、戦功十字賞、レジオン・ドヌール勲章……」 フィンが低く口笛を吹いた。
 「それから、大英帝国勲章」


 “弾か退屈か、あるいはブランデー----わたしたちのような人間の行きつく先だ。平和を生きることができない人間なんだから”


     『 戦場のアリス/ケイト・クイン/加藤洋子訳/ハーパーBOOKS 』



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