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パソコン教室アイラブハイパークラブです。
教室に流れるBGMなどを紹介します。

マジェスティック

2007-10-18 23:58:17 | 映画
マジェスティック 特別版マジェスティック 特別版
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2003-12-06

 記憶喪失というシチュエーション、漫画やドラマでしか知らないが現実ではどうなんだろう。ぼくの周りでそういった事態に至った人っていない…と思う。

 実際、記憶を失うと一口に言うが、英会話に堪能な人はその会話力まで喪失するのだろうか。また、ピアノを弾ける人がキオクソーシツと同時に弾けなくなってしまうのだろうか。どこからどこまで、いつからいつまで記憶がなくなるものなんだろう。単純な疑問がいくつも沸いてくる。

「ここはどこ、わたしはだれ?」

といった理解だけでは済まない複雑な「?」がありそうだ。

 第2次大戦直後のこと、ヨーロッパ戦線で戦士したはずの青年が海岸に漂着したところを散歩中の老人に発見される。その青年とは町のヒーロー、幼少からみんなのリーダーで誰からも慕われ尊敬を集めていたから、町全体が歓びに沸いたが、実は、その青年、記憶を失くしていたのだ。息子の戦死の報にすっかり萎れていた父親は元気を取り戻し、自ら所有する映画館(荒れるに任せていた)を復興させようと決意する。町の有志の協力を得て立派に立ち上がったシアターの名が「マジェスティック(威風堂々)」。そう今お話している映画のタイトルである。

「な~んだ、映画の話かぁ」

と、白けないで最後まで読んで欲しい。町のひとびとのなかには率直に喜ぶ人が大半だが、キオクソーシツなんて聞いたことないと疑問を覚える人だっている。折りしも彼の恋人(復員後の結婚を約束していた)が彼の生還を聞き帰省したばかり、彼女に本物か確かめさせようと画策する。

 まあ、このあたりがハラハラドキドキ。観客は既に彼の存在を知っているのだが、それでもドキドキ感が高まるのは何故なんだろう。それはきっと共犯意識? だって、町の人たちみんな好い人ばかりでとても素敵なんだ。だから、がっかりさせたくない気持ちが強まる。

 映画館の売店を担当する老嬢、昔、小学校の先生だった人で復員して来た彼、ルークを教えたこともある。歓迎のセレモニーの席で、

「あなたにピアノを教えたのは私よ、あなたは優秀な生徒でリストを上手に弾いたじゃない。」

こんな空気を読めないオバちゃんっているもんだが、スリル満点だ。

「果たして彼ってピアノを弾けるの?」

自分自身が弾けたらどうってことないんだろうが、自分が弾けないだけに、さらにドキドキが激しくなる。

 ネタバレは禁じ手だと思うのでここらで切り上げる。ぼくが面白かったのはまさにこの当たりだ。もっとも「ショーシャンクの空に」、「グリーンマイル」とぼくたちにいろんな「希望」の形を見せてくれたフランク・ダラボン監督とくれば、「赤狩り」としてハリウッドを大きく揺さぶったマッカーシー旋風、いわゆる非米活動委員会が舞台の背景にあり、この証人喚問から無実を主張できるのかが見どころなんだと思うし、メッセージはさらに深いところにある。それでも映画的な楽しみに充分浸れるのは、伏線が縦横無尽に散りばめられ、しかも地雷のように適切に効果を上げる脚本が素晴らしいからだ。何度観ても飽きない。これを一度っきりで、

「観たよ」

とは言わせない。息子たちよ、もう一回観なさい。


ゲド戦記、観るべし

2006-08-02 23:28:05 | 映画

 2時間ほどの上映時間、我を忘れてスクリーンに引き込まれてしまった。終ってもしばらく席を立てないほど、快い余韻に包まれた。ゲド戦記、ぼくは素晴らしいと思う。

 姉姫様(★アカネのひとりごと2006★)からもらったコメントには、

『結構酷評を聞くので映画館検討中・・・。』

とあり、一瞬躊躇した。彼女の映画評は信頼でき、また半端ではない情報通でもある。果たして評判は正しいのか、

「確かめたろうじゃん!」

の気負いも半分ぐらいあった。

 で、ブログや映画評を一切読まないことに決め、まったく先入観を抱かない真っ白な状態でこの映画に挑んだ。結果、これが良かったようだ。

  • 冒頭から迫力のシーンの連続で息をつかせない
  • 背景など密度の濃い描写と彩色に魅せられる
  • ストーリーに破綻はなく、メッセージ性も充分伝わる
  • 当初主人公アレンの行動に戸惑うものの次第に同化できる
  • 少女テルーの純粋さに共感(歌が素晴らしい効果)し、一体化できる
  • 悪役クモの見事な敵キャラぶり
  • 終盤、ゲーム「トゥーム・レイダー」を操作しているゲーム感覚にも似た臨場感
  • ハイタカとテナー、脇を固める人物の抑制の効いたサポートぶり

と、闇雲に数え上げたが、こんなところか。いや、まだあるかもしれない。もう一度観たくなっている。

 とにかく、ファンタジーの世界に思い切り身を任せ、翻弄されることに快感を覚える2時間である。「ゲド戦記」のゲドとはハイタカのことであり、「アレン戦記」じゃないのは不思議だが、原作の第3巻を取り上げているということで納得すればよいし、原作を読んでみたいという気持ちも強くなる。逆に、本を読んでから映画を観たひとはどう思うのだろう。

 よもや今までのジブリの系譜を引き摺ってこの映画を観る人はいないだろうが、猫バスは出ないことは確かだ。異なる系譜というより、フィルターを外し、独立した作品であるという意識が強い。というより、ジブリが進化しているという印象を強くした。各シーンの色調が渋めで、ダルだが、今まで以上にきめ細かい画風だと思う。「ゲド戦記」は子ども向けではない。大人向けの作品だと思う。ストーリーを追いきれない小学生などには苦しく、逆に絵だけを追う幼児には受けそうな気がする。確かに、ジブリはディズニーではない。久々にビターなチョコレートを味わった余韻がある。

 今回、末っ子とぼくの誕生祝ということで、長男には、チケットから食事まで、すっかりゴチになった。その大散財させたスポンサーもご機嫌で、手放しでこの映画を褒めている。何よりである。

 印象に残る誕生日プレゼントだった。


誕生日には『ゲド戦記』

2006-07-31 23:59:00 | 映画

 同じ誕生日を共有する末っ子から、

「明日の誕生日には一緒に『ゲド戦記』を観よう」

と、メールが入った。誘ってくれる気持ちが嬉しく、余計な突込みを入れずに快諾した。ちょうど休講願いが入ったばかり。折りしも、明日、長男も夜勤明けで翌日が休みとなる。同行するよう誘いのメールを入れさせた。

「チケット代がプレゼントやなぁ。」

 明日は1日、ファーストデイである。誕生日の贈り物としては安過ぎて、プライドを傷つけそうなのが気がかりだ。そうだ、ポテトも付けさせよう。

 しかし、ええ大人の、男3人、一緒に映画なんである。そんなものかぁ…。そんなものなのだ、我が家は。


ハウルの動く城…限定とか、特典とか

2005-09-09 23:48:12 | 映画
 方々からメールが届いて気づいたのだが、今日あたりからハウルの動く城の予約が可能だ。発売予定日が11月16日となっている。

 ジブリの作品は個人で所蔵しても惜しくない。どうせ購入するのであれば、予約可能なこの時期にお薦めしたい。なぜなら、「限定」とか「特典」とかのキーワードが付くのは今だからこそ。特典ディスクはもとより、実際に上映されたフィルムを1コマ、24分の1秒分を、透明キューブの中に密封なんていうお楽しみは、待つ苦痛を上まわる歓びがあるだろう。
「ただなぁ、Boxは価格が高すぎるかなぁ」
とぼやいたら、T君が言った。
「それによって貧窮したなら、そのときはオークションに出品する手もありまさぁ。ショップによっては20~25%引きで買えるでしょ。自分用のは安いのでけっこう。仕込みと考えて10セットほどいっときましょうか、後から特典付が欲しいと騒ぎ出す人って入るもんですよ」
ぼくが商人(あきんど)として大成できないのがよ~く分るお言葉である。

「え~い。一本、いっとく!」
しっかし、ショボイなぁ。


生まれたときは別々だが

2005-06-25 23:53:00 | 映画
 今夜は南勢町の田曽浦に行ってきた。この町には兄のような存在の人がいて、年に数えるほどだが訪問するのを楽しみにしている。漁師町独特のさっぱりした男気に接するたび心が洗われる。竹を割ったような気性と果てしのない優しさに満ちたまなざしに触れ、帰り道はいつも高倉健主演の「昭和残侠伝」を見終わった後のようなカタルシスを抱いている。

 思えば二人の結びつきも映画から始まった。パソコンの授業そっちのけで、「鉄道員」から黒沢明、フェリーニまで、それこそ古い昔の映画を語り合った。互いに忙しくて滅多に逢えないが、逢えば尽きない話で止め処がなくなってしまう。年齢も違い、生まれも育ちも異なっていても共感という通奏低音で結ばれる不思議な縁に感謝するばかりだ。

 田曽という町はイタリアのシチリアに似ていると思う。特に夕暮れ、夜に近い時間帯、ハーバーライトに浮かぶ佇まいは、ぼくには「ニューシネマパラダイス」を想起させる。港の灯りを、風を、匂いを感じるとき、懐かしい気持ちで優しくなれる。そんな町でどうして迷子になるのか、自分でも不思議なのだが、今夜も迷ってしまった。ぼくにとって幻想の世界なのかも知れない。

 昔、この町に一軒の銭湯があった頃、海水浴の帰りに入ったことがある。明かりとりの窓から筋を引いて昼の光が差し込む時間帯、男湯にぼくひとり、壁を隔てて若い女性がひとり。仕切りを越えて洗い桶のタイルに跳ねる音がカラーンと響いて、そのたび心がざわめいた。その女性が、今、家人として我が家にいる。