hyperclub

パソコン教室アイラブハイパークラブです。
教室に流れるBGMなどを紹介します。

私財を投げ打って…

2006-02-28 23:59:00 | 音楽

 大正の終りから昭和の初めの頃のこと。当時、この地域の住民の脅威のひとつに、疫病があった。もちろん津波を含む天災を除いてのことであるが、それ以上に深刻だった。衛生状態は現代からは想像もできないほど劣悪で、予防処置もほとんど進んでおらず、第一、医療機関と呼べるものがなかった。おそらく国中が伝染病の温床のような時代、罹れば間違いなく死に至り、しかも瞬く間に多くの人に感染する。大正8年にはスペイン風邪が蔓延したが、この地域とも無縁でなく、地域差はあるものの多くの犠牲者が出た。

 その記憶も生々しい頃、町の有志たちが病院設立に動き出した。志摩の人々の悲願が込められていた。

  • 大正13年10月…発起人会開催
  • 大正14年4月…創立総会開催
  • 大正15年8月病床数30の病舎完成
  • 同10月開院

 こうして作られたのが、「株式会社高砂病院」である。

 年表に起こせば淡々と書けるが、並々ならぬ苦労があったことは想像に難くない。まず資金調達の問題。今ほど豊かではない。私財を投げ打って、という表現が正しかっただろう。さらに敷地買い上げから病舎建設までのハ-ド面の工面、また、関係機関との折衝、医療スタッフの招聘などのソフト面においても、地道で粘り強い活動があっての成果である。

 特筆すべきは、開院後まもなくの昭和2年9月に結核隔離病棟を完成させるなど、病舎を滞ることなく着々と建設し、総合病院としての歩みを続けていることである。また、昭和5年4月に三重県指定看護婦養成所を併設したことも興味深い。同じ年10月にレントゲン室完成、間をおくものの昭和11年3月産婦人科診療室および手術室完成と、狙いを外さず的確な戦略を貫いている。これが民間人の仕事なのだから驚かされる。

 疫病対策に戻るが、昭和年代に入って鵜方村ほか11ヶ村が伝染病隔離病舎を共同処理するために「志摩郡南部伝染病院組合」を設立し、病舎を高砂病院に併設するよう決めているが、これも既存の総合病院があればこそである。

 戦後、県立の志摩病院となり、県都から遠くへだった僻地においては未曾有の公立総合病院として存続しているのはご存知のとおりである。その礎として役割を担った高砂病院の存在は大きいものがあった。先人の辛苦に対し顕彰する機会は薄れ、その名は院内の食堂に残るだけとなったが、志摩病院は地域医療における貢献度をますます高めつつある。

 病院の存在は、医療の安心ばかりでなく、雇用の促進、、町への集客力と、地域住民はもとより町にも、もたらしてくれた恩恵は計り知れない。しかも、現代に継続しているのである。

 有志の、私財を投げ打った尊い行為が連綿と繋がった例である。だが、大いなる恵みを受けつつも、このこと知る人は少なく、わずかに旧町の町史に記されているのみである。

 最近のニュースは暗い。ライブドア騒動、耐震偽装問題、東横インの問題など、究極、お金にまつわる事件のいやらしさはどうだろう。甲斐性のないぼくが言っても何の説得力もないが、お金持ちへの道は遠く、難しい。そして、お金持ちであることもこれまた遥かに難しいと感じたのも、これらの事件を耳にしたときだ。なりふり構わず、余裕のない稼ぎからは他人を幸せにするゆとりは生まれない。他者のために、身銭を切る、身代を投げ打つことが希少になった時代が、果たしてよい時代なのだろうか。富者の質が問われている気がしてならない。

 さて、富も何もないぼくがひとのためにできること。笑いをさしあげようと思う。笑わせる余裕のないとき…は、せめて微笑みだけでも贈ってさしあげたいものである。

 ボビー・ソロの「君に涙と微笑みを」が流れる教室。あたかも60年代に戻った自分がいる。


A Love That Will Never Grow Old

2006-02-27 23:13:39 | 音楽

 ゴールデングローブ賞の話題は続く。

 授賞式がひとつの番組としてぼくを魅せる要素はいくつかある。スターたちの存在、衣裳の華麗さ、演出の妙…、すべてが華やかで、あくまでうわべだけのものだとしても絢爛である。微熱も忘れ、うっとり見蕩れてしまうしかない。

 プレゼンターとして驚くほどのビッグ・スターが登場したりと、その顔ぶれの豪華さもさりながら、彼らが客席で見せる表情に、演技以前の「素」を見つけたようで得した気分にさせられる。とにかく、次々と登壇するウィナー、プレゼンター、そして、豪勢な観客と、サプライズには事欠かない。

 わけても受賞者たちのコメントは興味深く、それ自体、上質なエンターテインメントである。トークはウィットに富み、ユーモアにみちている。日本のテレビが喪失してしまった質を意識せざるを得ない。まず主催者に謝辞を述べ、次にスタッフを顕彰し、最後に家族に感謝するというパターンはお定まりだが、そこに個性があり、芸風がほの見える。それは役者だけに限らない。受けを狙うというより、人を楽しませる配慮を忘れないお国柄か。

 夜、テレビをつけると決まってバラエティ番組なのだが、そこにある笑いとは明らかに異なる。ぼくたちは不幸である。頭のいい者しか入れない、立派な大学を出た者どもが制作してこのテイタラクだから、ぼくらの程度ってこんなものなのだろう。

 さて、本題に入る。というのも、今回、最高に仰け反ったのが、「最優秀オリジナルソング賞」である。ノミネート作の中に見つけてしまった。

  • “A Love That Will Never Grow Old”…『ブロークバック・マウンテン』…エミルー・ハリス
  • “Travelin Thru”…『Transamerica/トランスアメリカ』…ドリー・パートン

 これには盆と正月がいっぺんに来たようで、ジンと来た。コーエン兄弟の『オー! ブラザー』から、『コールド・マウンテン』へと続く系譜には、911以後、建国以来の「何か」を取り戻そうとする動きが感じられる。フォーク・ソング、マウンテン・ミュージック、ブルーグラス・ミュージックへの回帰…しばらくハリウッドから視線を反らせない。

 さっそくiTunesでショップに飛びサンプル曲を聴いてみた。とりわけ、エミルーの“A Love That Will Never Grow Old”が素晴らしい。期待を裏切らない彼女ならではのグレート・ジョブである。エミルーといえば、ぼくにとって年越し儀式に欠かせないとても大切なアーティストである。さっそく150円也でダウンロードした。サントラ盤には、ウィリー・ネルソン、リンダ・ロンシュタットも入っている。賞の獲得は納得できる。

 ぼくは判官びいきであるから、大枚1,500円をはたいてダウンロードしたのが、『Transamerica/トランスアメリカ』の方である。ニッティ・グリティ・ダート・バンドが2曲、そして以前来日したこともあるヘザー・マイルスなど注目だが、フラットマンドリンが印象的に奏でられるスコアがいくつかあった。また、HYMN(教会で歌われる)が目立つのも最近の傾向で、味わい深い。買ってよかったと後悔させない。

 俄然、3月のアカデミー賞の発表が楽しみになって来る。『ウォーク・ザ・ライン 君につづく道』、『ブロークバック・マウンテン』、『Transamerica』の3本が、しかも複数の部門にノミネートされているとあっては、ビデオ撮りの準備にかからねばなるまい。

 さて、こうなると映画も観てみたいところであるが、アン・リー監督とはいえ、『ブロークバック・マウンテン』はゲイのカウボーイ、『Transamerica』は性転換の話とあってはためらうものがある。誘えば、息子たちは引くだろうが、娘だったら面白がるかも知れない。このあたり不思議な父娘だと思う。


ウォーク・ザ・ライン 君につづく道

2006-02-25 21:14:39 | 音楽

 風邪で苦しんでいた頃、「ゴールデングローブ賞」の授賞式の模様がテレビに流れていた。よくアカデミー賞の前哨戦と目されるこのアワード、今年は突出した作品がなくて、こじんまりとした印象だったが、秀作・佳作が粒ぞろいのようである。ベッドに横たわる身ではそれどころではなく、関心も薄く、うつらうつらしていた。

 この賞の興味深いのは、作品賞が、「ドラマ部門作品賞」と「ミュージカル・コメディ部門作品賞」の、二つあること。これはアイデアであるな、といつも感心するが、なんと、その「ミュージカル・コメディ部門」で受賞したのが、「ウォーク・ザ・ライン」。これって、ジョニー・キャッシュのヒット曲名と同じではないかい。思わず身を乗り出すと、まさに、まさに彼の伝記のような作品である。奥さんが、彼よりも有名というか格上の「カーター・ファミリー」のジューン・カーターであり、夫婦愛の物語となるのか(、違うのか?)、いかにも地味そうであるが興をそそる。また、彼の娘があのロザンヌ・キャッシュとくれば、これはもうぼくの縄張り(シマウチ)である。

「ヘロー・アイム・ジョニー・キャッシュ…」

ステージでお決まりの第一声、泣くだろうな、映画観たら。

 遥か昔、くせもの女優、シシー・スペイセクが、伝説的なカントリー歌手(まだ現役だ…)、ロレッタ・リンを演じた、「歌え!ロレッタ愛のために」でオスカーを獲得した例もある。3月のアカデミー賞では、残念なことに作品賞には挙げられなかったが、それでも主演男優賞、 主演女優賞、衣裳デザイン賞、編集賞、音響賞にノミネートされている。俄然、肩入れしてあげようじゃないか。すかさず娘が言いそうだ、
「屁のつっぱりにもならん」
と。

 少数派にとって嬉しいことに、この手の映画に珍しく日本でも上映されるようだ。奇特な配給会社もあるものだ。邦題は、「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」。とはいえ、県内では四日市かぁ…。おや、「PG-12指定」って、なんだぁ? 暖かくなったら、蠢きそうな予感がする。

 この後、風邪をも吹き飛ばす、いや、さらにぶり返させるサプライズが、このゴールデングローブ賞では待っていた。というのも…、

 明日に続く。

 最近、映画づいている。というのも、昔の映画会の仲間が密かに集まって、あるプロジェクトを起ち上げようとしている。夜の教室はさながら梁山泊になる。詳細についてお伝え出来る日が来ると思う。これもお楽しみに。


モーツァルトの「ツァ」はTSA

2006-02-22 22:46:56 | 音楽

 昨夜、見つからなかったさっとんのブログ、コメントをもらったのでお知らせする。

 彼がコメントに記す、

バレンタインにチョコを一つももらえなかったのがきっかけで、またブログを書いて自分を見直してみようと思いました。
眞鍋かをりと渡りあえるように続けてみます。(^^ゞ

 はネタであろう、と小一時間。でも、眞鍋かをりのブログ、眞鍋かをりのココだけの話 powered by ココログのヒット数は凄いらしい。で、

「眞鍋かをりって誰よ?」
とmogeさんに訊いたら、
「知らんのですかぁ…?」
と呆れられた。
「これでアイドル?」
とぼくの感想…。温厚なmogeさん、時代に取り残されたぼくに向かって、
「鵜方ではこんな綺麗なのに滅多にお目にかかれませんよぁ!」

 そうかなぁ、彼は世間が狭いのんと違うやろうか。ぼくなんか教室でショッチュウ逢ってるが…。

 まだ、他にもブログ発信者はいるだが、諸般の事情で全てをお伝えできない。公開前提のものをお知らせできない…、これも不思議であるが、オタッキー姫の「お疲れちゃん」の例もある。色々あるわさぁ。

 モーツァルトのヴァイオリン協奏曲っていっぱいあるんやね。安らぐ、というか惹きこまれる。それで思った。今晩から枕元で流そう。いや、お日さんが明るいうちの居眠りなんか…、してないはずだ。


みんなのブログ

2006-02-21 23:41:10 | 音楽

 今日、オタッキー姫からメールもらって気づいた。彼女のブログ、一日のアクセス数って、100~200どころじゃない。昨日なんか、紹介前のことである、軽く200を超えているではないか。大変失礼した。

 引き出しがあるって素敵なことだと思うし、それを教えてまでもらえるメディアは面白い。姉姫も、

いろんなところにいる人の近況がわかるとか友達の今日思ってることがわかったりするのはとてもいい…

と、コメントに残してくれているが、まさに同感である。世代が違おうと共感するところは同じであり、たとえ住む場所が異なろうと感性は同じであろう。もしあるとすれば、それがタッキーであったり、美咲タンであったりと、些末な差異でしかない。自分のジャンルに拘泥することなく、他者を受け止め、面白がるという小粋な自分でありたいものである。

 クラブの仲間が続々とブログを発信しておられる。

バアバのエプロン」…1月からお孫さんの子守りをされているY(やんちゃの頭文字?)さんは退職前は栄養士さん。お婆ちゃんの知恵袋以上の英知で子育てに奮闘されている。育児ノイローゼという言葉が社会現象化しているヤな時代であるが、一歩引いた距離で一才児と真向かっておられる彼女の姿からはベテランの余裕と風格が伺え、読むたびに教えられることが多い。今後、お得意の分野である離乳食のあれやこれやも楽しみであるが、もっと深く「食育」についての取り組みが垣間みられるのではないかと期待大である。

 「Ohgi」…音楽講師は表の看板、実はセレモニー・コーディネーターとして活躍中のO嬢は、自らMC(司会)も務めるのみか、ぼくのみぞ知る他の業務においても大人気のタレント性を持った人妻である。また、春から大学に編入することが決まり、ただいま青雲の志に燃えておられる。自分の確かなキャリアをものにしながら、さらに上のステージを目指される姿勢からは学ぶことが多い。何せ絶対音階の持ち主でもある。マイファミリーがアカペラでハモれるように「涙のリクエスト(ドゥワップ版)」を編曲してもらおうとは、ぼくの甘い考えであるが、ギャラの安いうちにと焦っている、と、これは蛇足。

他に、うちのエルメス(身びいき?)、H夫妻も準備中であるが、こんな機会だから、今、現在発信中の仲間のブログを一覧にしておきたい。クリックして、新しい窓が開くのでごゆっくりお読みいただきたい。

 最後に、忘れてならないさっとんのを…。あれっ? さっとんのが見つからない。おーいっ! レ、レ、レッ、ハートのエースが出てこない!


チャングムテーマパーク

2006-02-20 22:41:14 | 音楽

 日曜日の未明、身体に異変を覚え目覚めた。なんとかトイレに走り、土曜午後から口にしたものを全て戻し、そのまま床につく。意識はあるもののやや朦朧として、眠気が抜け切れない。幸いというべきか、予定の変更があり、午後からT君のみの授業。直前まで教室へ行く気でいたが、結局起きられない。ヤル気満々の彼に断りをいれる。そのまま今日の午後まで、一杯の珈琲も、一本の煙草も口にせず、休養に務める。

 風邪は治ったばかりだから、自分でも不思議である。息子たちの手厚い看護を受け、胸を熱くするものの、
「手足に痺れがないか、鼻血は出てないか?」
とこちらがビビルような質問が矢のように刺さる。この頃の電子手帳って便利なのか、どうだか…。生活習慣病との闘いの日々を予感するぼくはすっかり萎縮している。

 で、午後から辛うじていつもの自分に戻り、いつものように日常が始まる。
「何やったん?」
風邪でおよそ1月間のメールが未整理のまま溜まっている。これらの整理をと念じつつ、なかなか捗らない。3千通もあって、これじゃ不義理をかける人も少なくないはずと急ぐのであるが、正直、苦しい。

 メールで思い出した。今日のメール、2月15日発のブログで、空飛ぶやんちゃ姫のブログを紹介したが、その妹姫から届いている。実は、数あるブログの中でいちばん楽しみにしているのが、彼女のもの。人柄を知るゆえにぼくは大ファンなのである。一言で言えば、彼女は「ジャニオタ」。就職活動もそこのけに「義経」に嬌声を張り上げる様は、返って小気味よかった。突き抜ける明るさと言おうか。内定までこちらのほうが一喜一憂させられ、ハラハラしたものである。また、1日のアクセス数が100~200というからおみそれする。

 紹介が最後になったのは他でもない。母親にバレルと困ると、口止めされていたからだ。ところが、姉姫様からのコメントによれば、とっくにバレテいたとのこと。ここらの顛末も大ウケなのだが、これで遠慮なくおおっぴらにできることになった。

 その彼女のブログ、「お疲れちゃん」によると、韓国旅行に出向いていたとのこと。ぼくたちの共通項は、「宮廷女官チャングムの誓い」である(タッキーではないよ)。もちろん教室でも共有できる関心事でもある。どうか彼女の韓国旅行、メインはチャングムテーマパークである、読んで欲しい。彼女のキャラにハマることウケアイである。

 久々に「オナラ」の歌声が頭の中を駆け抜ける。微熱のせいではあるまい。


世界はそれを愛と呼ぶのだぜ

2006-02-17 23:30:41 | 音楽

 マイブームとなっている「電車男」であるが、伊藤美咲が演じるエルメスの雰囲気、実は身近にいる誰かに似ている気がしてならず、さりとて、それが誰だったかがなかなか思い浮かない。ここんとこずっとそんなもどかしい思いが拭いきれなかった。

 いや、あなたのことでない。いえ、あの~、さらーっと聞き流して欲しい。

 今日の午後のことである。姪っ子から電話があった。
「あの~もしもし…」
 この一言で、喉もとにつかえていたものが取れた。彼女のおっとりした口調と、一歩引いたテンポは、まさにエルメスそのものである。

 思わず身を乗り出す向きもあろうが、君はオタではないはずである、冷静に。抑制を乞う。また、猜疑心の強い向きは、
「ネタでつか?」
と斜に構えずに聴いて欲しい。

 いつも控えめで、軽い微笑とともに会釈するだけの彼女だから、ぼく自身、気づくのが遅れたのも無理はない。美術を専攻し、黙々と陶芸に励み、生徒たちに寄り添うようにして授業をしているはずであるが、それすら信じられないような女性である。

 で、(電話で)その話を切り出した途端、
「うわ~っ、ほんとぉ!?」
と素直に歓んでくれている。

 その電話というのが、Wordの作業中にテキストボックスを挿入すると決まって強制終了してしまうというものだ。そこで、Officeのパッケージを用意して、アプリケーションの修復をしてみるよう勧めた。

「ついては、なんやけどさぁ…(志摩の喋り方)」
「…。」
と、ぼく。何か、錯覚だった…ような…気が…しないでも…。

 まあ、世界はそれを愛と呼ぶのだぜぇ。


「Romanticが止まらない」の訳

2006-02-15 23:16:57 | 音楽

 空飛ぶやんちゃ姫、アカネ姫からコメントを戴いているのに気づいた。彼女はブログでは先輩であり、その「アカネのひとりごと2006」は発信してからもう一年になる。食通であるばかりか、料理上手として達人の域にある彼女の日記からは、旬の食べ物が写真付きで紹介され、毎回のように山海の珍味、お洒落なメニューが登場する。小腹の空いた時には罪作りなページである。

 最近の記事で、「今さらシリーズ」というのを発見し思わず噴き出してしまったが、ぼくにも「今さらシリーズ」として紹介したい事柄があることに気づいた。

 先のブログで紹介したように、ここんとこ、ぼくの頭ん中で頻繁にC-C-Bの「Romanticが止まらない」が流れるのだが、テレビドラマの方の「電車男」のDVD(目下、マイブームである)を見た途端、納得した。寝正月を決め込んでいた枕元で、「電車男」の総集編が流れていたっけ。見ることなく、眠ってしまったはずだが、時おり挿入歌として流れるその曲が睡眠学習だったのか、すっかりインプットされていた訳である。

恐るべしサブリミナル効果

 リアルタイムでは見れなかったが、噂は火曜夜の淑女コンビ(火曜サスペンスとは無関係)からしっかり聞いていた。批評眼の確かな彼女たちに随分と評価が高く、好意的に受け止められていたと記憶する。今回、末っ子に馬鹿にされるほど全巻一気に見入ってしまったが、ぼくもすっかり取り込まれてしまった。まさに「今さら」である。

 「めし、どこか、たのむ」で始まった掲示板だが、テレビドラマとなると放送時間が長くとれるためか、ストーリーが膨らむ、膨らむ。あざといほどにである。特にネットの住人たちが面白く、脇役のキャラが見事に立っている。それと、美咲タン、素敵、とぼくの人格も壊れそうなのだが、彼女のエルメス、気品というか、風格がしっくりと滲みでている。それゆえ、電車男とのコントラストが際立つ。不器用であるが、誠実にあろうとするオタクをしっかり受け止めている。クライマックス近く、掲示板に目を通し涙を流すシーンなどは、台詞はないものの、かなりの演技力が要求されるはずで、下手打つとドラマ全体が壊れるところを、骨太でありながらさり気に見せ、清楚で、純な、お姉系が温かく表現されている…。そう思うのはぼくだけではあるまい。「ちゃんと掴んでますから…」に萌える五十男が、

男たるもの、見かけよりも誠実さがいちばんさぁ…
と、机の上のチョコを数えながら独りごちている。


コンテンツ

2006-02-10 23:46:53 | 音楽
 ネットの世界でよく使われる用語に、「コンテンツ(contents)」がある。辞書を引けば、「内容物。中身」とある。ひと頃、「ホリエモンはライブドアの歩くコンテンツ。彼が行動を起こせば株価が上がる」といった具合に使われた。

  人は誰も自分の中にいくつか引き出しを持っている。数多く持つ人もいれば、一つだけでも深いのを有する人もいる。その引き出しとは、教養だけではない。文化であったり、特技であったり、卓抜した技であったりと様々である。それらをコンテンツと定義する。

 ネットの発達に連れ、そのコンテンツを表現する場も進化して来た。その典型がホームページである。さらにメルマガであり、掲示板であった。ネット社会とはコンテンツ発信の場なのである。

 今、もっと旬な表現媒体がブログである。ウェブ上のログ(記録)ということで知られるが、日記のようなものという概念からさらにアグレッシブな進化を遂げている。検索エンジンとの相性がよいことから、ビジネスに有効なメディアとして注目されている。WEBページを発信する人にとってSEO対策(いずれ詳しく触れたい)に優れたブログは放っておく手はあるまい。

 ぼくごときが駄文をまき散らしてよいのだろうか、と当初は戸惑ったのが嘘のように続けられている。もちろん自分にコンテンツのようなものがあるのかと迷った末である。実際、ぼくの身近には、("ど"がつくと過大にぼくを評価してくれる)K氏やH氏(そのK氏が媒酌人となった本業行政マンのライター)のように教養豊かで深い知識と洞察を泉のようにたたえる豪傑がごろごろしている。しかも書き手として手練である。彼らの前では悄然とするばかりだが、彼らの参入前こそ草狩り場と、小物なりの浅知恵で飛び込んだというのが正直なところである。

 今、教室ではブログを発信する人が増えて来たが、この程度でよいのか、と書く勇気を奮い立たせたという意味では随分貢献したと自負(?)している。

 suzuriinの「トロントより風の便り☆☆」を読んでもらえれば一目瞭然であるが、異国での生活の模様が文章で読めるばかりか、フォトアルバムによって彼の地の文化や風土がリアルタイムで視界に飛び込んでくる。こんなエキサイトなお道具を使わない手がない。また、ぼくの発信が滞れば、事実、最近さぼりがちだったが、叱られか、励まされるか、逆に納得されるだけだが、もし彼女のが停滞するようなことがあったら、大変! 皆が案じることになる。これも別な意味での効用である。

 この度、コンテンツをふんだんに詰め込んだお二人が、ブログ・デビューを果たされ、瞬く間に裏も返されたようである。三度目からやっとお馴染みさんになるという花柳界の風習に則り(…?)、追ってご紹介させていただくはずである。

 サンザご心配をおかけして不埒なことをいって恐縮であるが、煙草がうまいと思えるほど回復してきた。もし、奇矯な振る舞いが見られるとすれば、微熱のせいである。風邪はうつせば治ると聞いていたのに、 だぁれもうつってくれなかった…。そこまで力が落ちたのか、と塩凡。T氏からお借りしたモーツァルトに癒されている。


Romanticが止まらない

2006-02-08 23:52:34 | 音楽

 峠を越えると海が見える。晴れた空、定規で引いたかの如く水平線が際立って眩しい。得した気分で、今年度最後の小学校講師の仕事に就く。

 5年生の授業。自分でも手応えを感じるのは、全員がローマ字入力に取り組み、タッチタイピングに挑戦してくれている。中には、中級の域に達し、積極果敢にブラインドタッチに励んでくれる子もいる。パソコン上達の秘訣は何よりキーボードを克服することである。ぼくの危惧を吹き飛ばして、ひたすら単調な基本練習を嫌がらずに努めてくれた彼らの底力はハナマルである。最上級生となる来年度に期待が持てるし、今までと異なる責任感も覚える。

 で、今日は文節(言葉の区切り)を意識してもらう。子どもたちの癖と言えば、細切れ変換である。それも「今日は晴れです」を、「きょう」+「は」+「はれ」+「です」のように、変な箇所で区切って変換してしまう。だから、「は」は「歯」や「葉」となって苦しんでいる。そこで、「助詞」を含んで打ち込んでから変換するようアドバイスする。最近の日本語入力システム(IME)はAIを備えているので、主語と述語を含んだ一文を入力してから変換する方法がベストである。しかし、児童のテンポは早く、なかなかセッカチのようで、独特のリズム感からそうはならない。

 「きしゃのきしゃがきしゃできしゃする」を入力し変換すると、一発で「貴社の記者が汽車で帰社する」になる感動を味わってもらう…、はずだったが、言葉の意味が難しかったようで、外してしまった。今どき、「汽車」はないかぁ。 

 さらに、文節の伸び縮みである。日本語は難しい。「きょうはいしゃにいく」が、「今日は医者に行く」にも、「今日歯医者に行く」にもなってしまう。それが面白いのでもあるが。自在に伸び縮みできるようレッスンに余念がない。例題は、「朝が楽しみだ」と「朝方のシミだ」ほかいくつか。普段の教室の感覚で思わず、「ブラシ忘れた」を口にしてしまったが、場所柄、これはNGである。すかさず話題を逸らしたが、耳聡い女子が聞きつけたものとみえ、しばらくしてから笑い出す子がいて冷や汗とともに反省する。

 進む子と苦手な子の格差を埋めるのが本来の務めと思いつつ、これがなかなかに難しい。せめてパソコンの楽しみを感じてもらえたらと頑張ったが、やはり悔いが残る。毎年の感慨、この学校で4年生になるというのに…。それでも帰り道、5年生みんなの覇気をもらって、C-C-Bの、「ROMANTICが止まらない」を口ずさんでいた。