hyperclub

パソコン教室アイラブハイパークラブです。
教室に流れるBGMなどを紹介します。

沢野夏穂氏

2016-10-24 00:52:21 | 日記
作曲活動におけるペンネームである。女性名をイメージさせる名は、当時現役の高校・地学教諭であった氏の身元をぼかすための煙幕みたいだ。

横輪の郷恋歌」が代表曲として知られる。

教師時代から作曲家として創作活動を続けてこられた楽曲を、このたび「YOUTUBE」にアップされた。

沢野夏穂の楽曲YOUTUBE

氏は、宇治山田高校の2学年先輩である。3年とは別の校舎であったため、在学中、直接の面識の機会は皆無だった。でも、先輩は「剣道部の創設者」で、しかも、創部早々、インターハイ出場という快挙を成し遂げられたため、剣道部は強豪として有名で、知り合いの同級生たちが多く入部した。稽古の厳しい部と評判だったから、ぼくには近寄りがたく、なおさら縁遠かったと思われる。

ご本人は「バンカラ」だったと仰ってみえるが、ぼくには、折り目正しい姿勢の良い人、育ちの良い「お坊ちゃま」という印象である。小学館の「小学○年生」を定期購読し、さらに「ボーイズライフ」などという少年誌まで買ってもらえた境遇なのでは、と拝察している。で、ないと、こういう人材は輩出されないだろう。

不勉強だったぼくにとって、地学というと、「どこを掘ったらお宝があるの」とか、「温泉は近くに湧いてないかな」とか、頓珍漢な認識で、執拗に先輩に食い下がり尋ねたものだが、氏のホームページ、

伊勢志摩おもしろワールド

で、埋蔵金とか、宝石の埋まっている可能性のある場所に言及されておられる。

また、先輩のブログ「伊勢すずめのすずろある記」は、地学愛好家のみならずマニアに至るまで、貴重な資料の「宝庫」となっている。

先輩とぼく教室との出逢いは、2009年のこと。ブログで詳細に語っておられるが、つい昨日のような気がしてならない。

故大瀧詠一氏と同い年の先輩方

2016-10-23 00:32:15 | 日記


コラージュというのだろうか、撮り溜めた画像をPICASAで加工して遊んでみる。あの日あの時の記憶、確かに、以前は、デジタル感覚でくっきり認識できていたはずだが、今や「アバウト」もいいところで、ぼんやり「そんなこともあったっけ?」と頼りない。

ファジー、曖昧もこ、あやふや…、忘却によって救われることもあるのは確かで、コラージュは記憶にタグをつけるような感覚でありがたいなと思う。

写真は同じ日のこと。10月20日だ。
教室の真下、台湾料理の「台北」さんがリタイアされ、同じ台湾料理の「久香亭」に代った。

台北さん、閉店後の鍋などの調理道具をピカピカに磨き陰干ししている光景、それを心地よく眺める度、ぼくの「中華の概念」が覆されたものだ。

当社比(というか、学生時代のぼくのバイト先がいかにひどかったか…)、もしくは自分比、あくまでぼくの主観である。

ASUS(見えないマザーボードにGOD BRESS JAPAN刻印、震災直後)だけではない、台湾の人の心意気には惹かれるものがある。

閑話休題。
実は、ぼくの2つ上の先輩たちの話を書こうと思ったのだが、野暮用ができたので後日にさせていただこう。

中学の先輩、中北幸久氏の「facebook」(左)と、高校の南平先輩の「YOUTUBE」(右)である。お二人は亡くなられた大瀧詠一氏と同い年である。ぼくの思いをじっくり語りたいと思う。

2016年、秋に思う

2016-10-01 23:12:17 | 日記


秋。カレンダーの残すところ、あと3枚だ。
mogeさんから黒鯛をいただいた。塩焼きにしていただく。ほくほくと身がふくよかで美味すぎっ。娘と囲む食卓には魚料理が希少なので嬉しい。
山田氏からいただいたスダチがたまらない。ヤミツキの美味しさ。
「アンすだちチャブル!!」

で、ウェルター級(63.50~66.68kg)に手が届くようで、届かない。茄子の生姜焼き、茄子のパスタと、プール仲間から贈られる新鮮な野菜が、まさに「多彩」。
「70キロは切ったけど…」と、これだけで好しとしようか。リバウンドしないだけ、頑張っている。

頑張っている、といえば小学6年生。星飛雄馬なみの大リーグ・ギブスではないが、hyperclubならではの、「ブラインド・タッチ」装置を中級で楽々こなすようになった。あとは集中力とのたたかい。小学生の成長は目を見張るほど早い。ぼくの老化のスピード並みだ。

空高く、自転車の季節だ。錆を落すなど整備に余念がない。雨上がりから始めよう。