今夜は「求愛」の話である。そう聞けば何かときめくものがあるのだが、実は、恋愛の相談にのった。プロポーズをすると言うのである。普通、
「勝手にすればぁ」
という問題であり、今どき考えられない天然記念物的存在の男いたものだ。まぁ、これも春?
そこで思い出したのが、「錦木の千束」のことである。
昔々にも彼のようなシャイな男性がいたかどうかは知らないが、平安頃の恋模様は随分儀式ばっておったようだ。思う人を得ようと思えば手順を踏まなければならない。実に面倒な気もするが、その代わり、そのしきたりに則ってさえいれば、周りから認知されるという訳である。親といえども反対はできない。その小道具として錦木が登場する。
想う女の門に男は錦木を立てる。女性から見て逢いたい男の立てたものは七日のう ちに取り入れ、逢いたくない男の立てたものはそのままさし置く。
ある意味、極めて分かりやすい。
7日が過ぎても諦められない男がいた。百夜立てても取り入れられず、なおも3年近く立てたが叶わなかった。そこまで思われた娘、男の心を哀れと思うものの父母の許しがないので朝夕憂いに沈むばかり。さらに男は毎夜通ったが逢うことが出来ず、やがて若い男女二人とも思い煩い、恋焦がれて、ともに果ててしまった。こうなって初めて両親は深く悲しみ、二人とともに錦木を同じ塚に埋め、錦木塚とした…。3年だから千の束、千束(ちづか)という訳である。
今の時代がいかに開かれていることか。それでもぼくが学生の頃だって、もどかしいカップル(未満)が少なからずいたものだ。
友人の話である。好きになった女性がまことに古風な美女で、おまけに神官の娘、母親は教師、さらに女性自身も度が過ぎるほどの文学少女。家の玄関さえ跨がせない難攻不落の物々しさだ。
彼女は彼に申し渡した。つまり、錦木の由来から語り、彼に百夜通って欲しい、と。
乙女のロマンかも知れんが、恐るべき教条主義者、形式主義者だから止めとけと熱く語ったのは、ぼく。そりゃあ、彼女の綺麗さといったらぼくだってうっとりするぐらいだが、心からの忠告だった。
男って哀しいものだ。彼は決意した。
「やる」
と。この件(くだり)、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の三時間バージョンを観た時、アルフレードが青年トトに語るシーン、ほら兵士の話、あそこでオーバーラップしてタマラン気持ちになった。
通い通って九十九夜目のこと。いつものように錦木を所定の場所に置き立ち去ろうとした男に、母親と思しき女性が声を掛けた。
「娘の言付でございます。
『今宵で九十九夜。あなたさまの心根の深さ、わたくしの心に沁み入りました。一夜はおまけいたします。 どうぞお部屋に…』
こんなことってあるのだ。かくして幸いなるかな一対のカップルが誕生した…と続けばめでたしめでたし。
実は、その時その場にいた男は彼ではなく。なんと彼、前々夜の嵐の折の無理がたたって熱を出してしまい床に伏した。そして、その代打を買って出たのが、このぼくだった。
あなたならどうするだろうか。
- 素直に事情を打ち明け、彼のために弁舌を奮う
- 彼に成りすまして部屋に上がる粛々と自分の思いを打ち明ける
友情厚く、情けある男なら当然すべきことを当然のごとく果たして帰ってきた訳だが、自分の持つ運の強さのようなものを感じたといっても大げさでもあるまい。