「Windows95」や「Windows98」といった世界中で誰一人知らぬ人のないOS(基本ソフト)を開発した凄腕のプログラマが、実は日本人だった、と言ったらあなたは信じられるだろうか?
その商品化にあたってはMicrosoft社内部で激論の末、かのビル・ゲーツ氏を論破しその優位性と正当性を証明するという大仕事が待っていた。それすらディベート(debate)にからっきし弱いとされる日本人がやってのけたのだから、大したものである。
当時、OSとブラウザを一体化させる現在のスタイルが採用され開発を急いでいた。教室が現在の場所に移転した頃だ。「 Internet Explorer3.0」がその任を果たしたのは有名な話だが、この開発も同じ日本人が担当している。海外では有名人であるのに、日本では全く無名というのがまことに不思議な話なのだが…。
その人物というのが、中島聡氏である。
Windows 95 を 作った オトコ!
その開発者と同姓同名のさっとんと市内某所でばったり出くわした。
「最近先生のブログの更新頻度が落ちてるので、床に臥しているのであるまいかと案じておりました。ブログってホント安否情報ですね」
同じ言葉を彼に贈ったのは、ぼく。確か去年の今頃だったような…。云ワレテシマッタナァ。
さっとんと云えば、名文家という印象が強い。軽妙で、洒脱な文体はユーモアに富み、誰にも分かりやすく、時として鋭いまなざし本質を突く辛口の妙もあってファンも多かった。
過去形なのは外でもない。今、彼のブログを訪れても全く更新されていないことが分かる。彼がMIXIに奔って長い。会員同士でないと入れないSNSの住民となり、心を通わせる仲間たちに囲まれて居心地のよい生活を過ごしている。
彼のレトリックの冴えを皆さんに紹介できないのが残念だ。と、ここまで書いて、ぼくの独断だが、広く開かれ、しかも読者数も圧倒的に多いであろう有利な媒体から遠ざかることで、彼のビジネスモデルのために停滞がなければよいがと案じてもいる。例によって老婆心だ。12年後のさっとんがぼくなのだ。