hyperclub

パソコン教室アイラブハイパークラブです。
教室に流れるBGMなどを紹介します。

Tomorrow is another day.

2005-03-31 23:21:09 | 本と雑誌
3月が終わろうとしている。桜の便りもちらほら届き、いよいよ春の訪れだ。

毎年、明日という日を特別な日であるかのように思っている。単に新年度の始まりというだけではない、何か神々しい光に満たされそうな期待がある。嫌な悪夢の連鎖が今日という日を境に断ち切れてくれるような、好調の波にたゆたうときもさらに飛躍できるような、「新」という字をピカピカに磨き上げたような一日。もっと明るく、もっと高く、もっと輝いて…。4月1日を前にどうにもテンションが高い。しくさしの仕事を思い出すと、途端に「ナチュラル・ハイ」になる、というのも情けないのだが。

一年の計を元旦にたてるというのは、冬の寒さの真っ只中ではネガティブになり、も一つ盛り上がりに欠ける。だから、今日明日に企てるのがぼくにはなじむようだ。

アメリカに住みたい、という願いはひそかな英会話学習となって継続しているし、研究テーマであるマウンテン・ミュージックの資料も整いつつある。これで足りないものはたったひとつ。それが何か…、周りのみんなに知られているのがしゃくにさわる。分からんぞ、明日は明日の風が吹く、だ。

未来を切り開く学力シリーズ 本多式中学英語マスター短文英単語 」は、中学英語だといってあなどれない。付録のCDを聴いているうちに何とかなるように思えてくるから不思議だ。もちろん高校受験にも霊験はあらたかだった。


疲れないパソコン

2005-03-30 23:39:53 | 本と雑誌
朝起きたとき、肩と首に違和感を覚えた。首から肩にかけてしこりがあるようで、重い。もしかして、これが肩こり?

ずっと肩こりを知らずに生きてきた。家人がよく辛がっているのを見てきたが、初めてその苦しみが分かった気がする。したがって対処法が分からない。とりあえずシャワーを浴び温湯を患部に当ててみる。ちょっと楽になる。うつぶせになって低温のアイロンをタオル越しに当てて滑らすと、効果があると聞いたことがあるのだが、これは洗濯物になったみたいで敬遠したいものだ。

原因はやはりナイトキャップ代わりの布団の中での読書だろう。「 背信 」がクライマックスに来ており止めるきっかけを失したためだ。スペンサー・シリーズではホークが出てくると止め処がなくなる。

ラジオ体操のような軽い運動で10時ぐらいには和らいで、昼食に何を食べるかを考えるぐらいの余裕ができてきた。

パソコンに向かっている時間が長くなると、てき面に、眼が悪くなったり、肩がこったりという事例を耳にする。幸い今までぼくには縁のない話で通ってきた。

一つには、ディスプレイの輝度を落すよう心がけていることだろう。買ったままの状態では明る過ぎるのだ。これを長時間続ければ、さすがに疲れる。特に液晶画面は鮮やかさに見惚れていると、とんでもないことになる。お仕着せのままでなく、自分の眼に優しいように調整するのがポイントだ。

さらに肩こりと無縁でいられるのは、モニタの中心部→キーボードの「B/こ」のキー→自分のおへそ、と一直線になるよう気を配っているからだろう。その上、椅子の高さを上げ、キーボードをひじと直角になる高さの姿勢を保つことが肝要だ。

これらのおかげで幾分安楽なパソコンライフを過ごしている。皆さんにもお薦めしたい。


町が学校だった時代があった

2005-03-29 23:35:32 | 本と雑誌
見るまえに跳べ 」。
若い頃はこの言葉をモットーに何にでもチャレンジしてきたつもりだ。

知命をすぎると、
「そんなこともあったなぁ~」
「嘘でしょ」
妙に臆病な自分を発見する。
いきなり跳んだところが、着地点を見出せずに、切り傷、擦り傷どころか、背中にいっぱい矢が刺さったりもしたからか。
ぼくも学ぶ動物であったらしい。痛さを知ったからではない。多くは赤面して恥ずかしさに自分がいたたまれなくなったからだ。

もう一つ、「常識への挑戦」というのもあった。反抗期の確かな徴だ。学生運動が盛んな時代で、「反体制」という言葉が巷に溢れていた。社会に対する矛盾に敏感で、ささいなことにでも尖がっていた。生意気盛りだった。
ある日、古老の一言が強烈に効いた。
「常識への挑戦、言う前に、常識をもっと学ばなあこかさ(=いかんわさの方言)」
町では名高い博識の人で、反骨の士として知られていた。何かを言えば、倍になって帰ってきた。あと一言突き刺さったらならば、死んでしまうというほどの辛らつさを含み、それでいて表情は穏やかで、底にはユーモアのセンスがオブラートに包まれていた。不思議なひとだった。ひとは否定する言葉をふんだんに持つことができるものだが、温もりに満ちた含蓄のある言葉を発する人は稀だ。こういう人こそタレントと呼ぶべきかも知れない。

今、出逢えたことの幸せをかみ締める。
昔、町にはいつもガミガミ子どもを叱る頑固な爺さんがいたものだ。きっとリュウマチかの持病を抱えて鬱憤が溜まっているのだろう、ぐらい決めつけていた。今、分かるのだが、大切なことをぼくたちに教えてくれていたのだ。銭湯に行けば、湯のつかり方を口うるさく叩き込む爺さんがいたものだ。背中に刺青を背負った、その爺さんが学校で学べないことを教えてくれていた。

町が学校だった時代があった。
今、高度な情報化社会の真っ只中にいる。幸せなことに、双方向で知識やデータを簡単にやりとりできる。しかし、人間関係において大切な知恵というものを伝えきれていないような気がしてならない。


会社は株主のもの…

2005-03-28 23:59:00 | 本と雑誌
フジ対ライブドア。一連の騒動…、二転三転しているようだ。外野の芝生席にいる気分で眺めているとずいぶんと興味深い。思わぬ発見があるのだ。じっと自分に問いかけている。

「会社は株主のもの」
「テレビはインターネットに取って代わられる」

「ん…?」
そうか、会社というのは、経営者のものでもなく、社員のものでもなく、ましてや顧客のものでもなかったのだ。
株式会社は株主のものなのだ。資本主義社会における原則。つまり、金の世界だ。
それにしてもホリエモンという人、剥き出しだ。Yesか,Noか、ふたつにひとつ。間がない。おかげで目からうろこだ。リスナーやユーザのものでもないのだ。すっかり忘れていた。

丸一日、三六五日、何十年…と、ずっと会社で汗を流す人のものではなく、「危ない…」の直感だけで、まるで沈没する船から真っ先に逃げ出すねずみのように売り逃げる短期投資家も含む、「株を買っている」人のものだったのだ。

何をいまさら…、と言われるだろうが、経済学部出身でありながらすっかり忘れていた自分に正直あきれている。

人の温もりだとか、情緒だとかが見えてこない世界。理念のような崇高なものがすっかり影を潜めて…いる。マネーゲームか。
批判ではない、単なる貧乏人のたわごとだ。

そういえば、以前、「 マネーゲームの達人―金融帝国KKRの物語 」を読んだ記憶が。


Nobody Loves Me Like You Do

2005-03-27 23:25:50 | 音楽
夕刻、末っ子から電話があった。
「もし、空いてるなら、しよ!」
キャッチ・ボールのお誘いだ。ここんとこ続いているふたりの定番儀式だ。ぼくが駄目なときは長男を誘っているらしい。キャッチャー・ミットを片手に家から2分ほどの小学校の校庭に歩いて向かう。
軽く10球ほどで、弱冠はたちの若者と知命を越えたオヤジがすっかり野球少年に戻っている。30球を超えると汗ばむ息子に対し、汗のかきようが遅い分、早くも息があがってくる。そこを抑えてしゃがむ。昔とった杵柄といおうか、自分は捕手向きにできている。乾いた捕球音が校舎に跳ね返って小気味よい。だが、腕の振りを徐々に上げながら投げこまれるにつれ、メッキが剥がれてくる。
「ポロっ」
「あれっ?」
「今の100キロは出てるかな?」
「なんの、なんの80キロがええとこちゃうか」
負け惜しみと憎まれ口だけは達者なオヤジだ。正直、手のひらが痛い。
「ぼく、ピッチャーがしたかったなぁ」
中学の3年間をベンチ要員で戦った息子の本音だ。
「あのころ140センチぐらいやったからなぁ…」
今やぼくと肩を並べ、今にも越されそうだ。少年の頃をもっと付き合ってあげればよかったのに…、すこし苦い思いにとらわれる。見上げれば、ぼくが児童だった時代からすでに巨木だった樟がなお高くシルエットを際立たせている。
ほかの子よりもずいぶん遅れて、初めて自転車に乗れた瞬間に立ち会った。そういえば、それからというもの、忙しさのせいにしてかまけていたことに気づく。ぼくが後ろで支えていると信じるわが子は必死にペダルをこいでいた。やがて楠の木陰で煙草をくゆらす父親を見つけた瞬間、自分がしでかしたことを知った刹那の晴れ晴れとした表情は今でも忘れない。

贖罪のひとつと数えたいキャッチ・ボールだが、息子は息子で運動不足の父親を何とかしたらなぁと気づかってくれているに違いない。

そうなんだよなぁ、
誰も君がしてくれるようにはぼくを愛せないのだし、誰もぼくがするようには君を愛せないのだよ。
言い訳にもならないだろうか。

「Nobody Loves Me Like You Do」は、昨日のブログで紹介したアン・マレーの「 The Best...So Far 」の一曲だ。
今夜は、借りっぱなしになったままの、ロバート・B.パーカーの「 ダブルプレー 」を開くことにしよう。


クルーニン

2005-03-26 22:49:03 | 音楽
今が2005年であることは承知している。世の中は万博ムードで、メディアもかまびすしい。が、ぼくにおける万博はやはり70年の大阪のもの。ちょうど今の息子と同じ歳で迎えるというのも興味深いものがある。

あの頃、何かをしでかしたい、などと大それた思いを抱くこともなく、それどころか、等身大の自分がどれほどのものかも見えず、まるで虫のように好奇心という触覚を働かせていた。お祭り騒ぎもどこかよそ事で、自分の知りたがっているものを探すのに地べたを這いずり回っていた。もっと正確に喩えると、見知らぬ駅に無理やり降ろされた、空ッケツの財布しか持たない旅人のようだった。

70年代が始まったのだ、という実感は、FMラジオから流れてくる、アン・マレーの「スノー・バード」を聴いた瞬間だ。
女性にしては低音の利いたヴォイスを響かせ、さらりと歌いあげているといった雰囲気のこの歌が、風穴を開けてくれたのだ。それは自分の中で何かが始まるといった楽天的な予感めいたものだったかも知れない。

あの万博開催で、多くの人のまなざしが海の向こう側に注がれたのは間違いない。世紀のイベントから隔たっていたぼくは、カナダ出身で、小学校の教師あがりというカントリー歌手によって、ナッシュビルからアパラチア山脈にかけての広大な未知の世界に引き寄せられたのだ。

息子が言うには、「『さつきとメイの家』ぐらいかな、見てみたいのは…」。いくつかの魅力的なパビリオンがありそうだが、現代の若者にとっては万国というレベルに目新しさは見出せない。35年経って情報化社会はあまたの知識を呑み込ませてくれたのだ。世界は近くなり、行かずとも知らしめる。

一曲で感動し、揺り動かされた自分が、チープで、ショボク思えてならないこの頃だ。

春宵、アン・マレーのThe Bestをしみじみと聴き入ることにする。


こんな場合か…

2005-03-25 23:01:36 | 本と雑誌
まもなく11時。今日やるべき仕事が若干残っている。
しかし、Yahoo!のニュースによると、「中田英ら海外組4人先発、イラン戦キックオフ」だと。

「サッカー・2006年ドイツワールドカップ(W杯)アジア最終予選B組の第2戦、イラン―日本は25日午後10時38分(日本時間)、テヘランのアザディ競技場で始まった。」

どっちみち仕事は明日だって残るはず。しからば、今夜はコレで店じまい。縁起男のぼくが応援しなければ、日本の危機だ。あなたを嘆かせる訳にはいきますまい。

 


また逢う日まで

2005-03-24 23:38:12 | 本と雑誌
NTTの関連会社のN氏が明日付けで移動という挨拶のため、津からわざわざ挨拶に来られた。

「さよならだけが人生だ」
確かにそうだろうが、氏はぼくに大切なことを教えてくれた人である。家族の住む長崎から遠く離れ、地図でしか知らなかったという三重に単身赴任していた彼のためには慶ぶべきことである、とは承知している。さりながらひとしきり寂しさに包まれた。

たとえばこの教室への階段を上ってこられるときの気持ちはいかがだろう。ぼくはホストであり、お迎えする立場。自分のホームである。かたや生徒さんからしたら、イランに乗り込むサッカー選手の心境ではなかろうか。いわばアウェイだ。ぼくは自分のペースで余裕でお招きすることができる。ワクワクときめいていてくれたら嬉しいのだが…。
変な話だが、ぼくはいつもそこのとことを気にしている。子どもの頃から塾嫌いで、学校だって心から好きとはいえなかった。信じてはもらえないが、人見知りする性質(たち)なのだ。コツコツと階段を上るパンプスの響きに耳をそばだてる。「うん、弾んでる!」
まして、部外者であり、商用で、しかも飛び込みで来られるビジネスマンの方なら、どんな思いなのだろうか。逆の立場で、自分ならそんなことできそうにもないから、気になるのだ。

氏と初めて逢った瞬間、ほかの人とは受ける印象が異なっていた。けっして饒舌ではないのだが、九州なまりが少し混じった挨拶から、真摯で、誠実な人柄が透けていた。ぼくが常々感じていた通信技術の疑問に適切に答えてくれたばかりか、親身に解説を加えてくれた。教えてくれるときの姿が良かった。偉ぶらず、謙虚に、率直に。ぼくの授業に対する理想とする姿勢が、そこにあった。
その後、たびたび訪れてくれるようになったが、着々と仕事の足場を確かにしつつある様子が伺えた。実績に繋がりそうもない無理な要望にも快諾し、汗をかいてくれたことも再三だった。そんな姿に支持者が増えたであろうことは想像に難くない。

年齢は遥かに下だが、共感とリスペクトの念を抱いた人だった。仕事の面で充分に報いることができなかったことを心苦しく思う。

「葉隠れ」で有名な佐賀の人、どこか侍を感じさせる人だった。桜花の下、愛する家族に支えられ、地元でしっかり活躍される様子が目に見えるようだ。
彼から学んだことで、ぼくはフットワークの大切さを実感し実行しようとしている。また、このブログを継続させるべく励んでいるのも、彼の影響からだ。このブログの存在を長崎で見つけ、
「口だけやないすか」
と、笑われないようしばらくがんばる所存だ。

久々に「 NTTコミュニケーションズインターネット検定.com Master★(ドットコムマスター シングルスター)2004公式テキスト 」を引っ張り出した。彼が居ないと、一発解答は自分で出さなければならない。今年は★★を狙おうか。どうだい、駿くん、さっとん…?


なんてこったい

2005-03-23 23:48:01 | 本と雑誌
パソコンに向かっていると、一日に何度か、悪態をつく羽目に陥る。エラー・メッセージに促がされて、再起動をかけざるを得ないのだが、不思議なことに、パソコンを罵るよりも自分を責めていることに気づく。よほど人が好いのだろう。
が、どうやらぼくだけではないらしい。かかってくるSOSの電話でそれは察せられる。

「何をしてしまったんでしょうか、実は…」。
「何を触ってしまったんでしょう…」

ぼくらはみんな善人なのだ。
Windowsという基本ソフト(OS)は完璧なものではない、と聞いたことがある。95が出た頃のことだ。それ以来、ずっと信じ続けている。その証拠に、といっては何だが、しょっちゅうアップデートをする習慣は変わらない。誤解を恐れず言い切ってしまえば、どうやら半製品の状態と考えれば、気が楽だ。ある意味、パソコンを買った日から、ぼくたちは悪女とおつきあいしているのだろう。
「なんてこったい!」

この言葉で思い出すのは、昔、アニメで見た「ポパイ」のお定まりのあのシーンだ。
「おじょうさん、オレとキスしようぜ」
「キャー、ブルート、いやらしいわねェ。ポパイ、助けてェ!」
「ウオー、なんてこったい、オリーブ。待ってろ、今行っからな」

オリーブだってファム・ファタール(運命の女)に違いない。
「危ないところへ、何故、近寄るのだ」
少年のぼくは義憤にかられていた。ブルートに対してではない、オリーブに、だ。
「そうでなければストーリーが成り立たないからでしょ」
そう教えてくれるガールフレンドが現れて、目からうろこが落ちるまでは。

で、悪女とのおつきあいの作法はあるようだ。
こまめに「CTRL」+「S」を押す。上書き保存だ。これを手クセにしよう。
1文字でも入力したらファイル名を付けて保存する習慣を付ける。先ほどの上書き保存をスムーズにするために。
XP以外のME以前では、再起動を頻繁にかけよう。
XPでも,CD(DVD)を焼く、DVDを観る(観終わった)といったときには再起動をかけたほうが無難のようだ。

幸い手クセにしてからというもの、人聞きが悪い言葉だ、大ヤケドからは免れている。で、ますます悪女に魅せられているといった毎日だ。

もし、それでもつきあいにくいというのであれば、「 500円でわかるパソコン―基本がわかる、「困った」も解消 」はいかがだろう。いくぶんお気楽にはなれるだろう。


とうとう行けなかった、スキー

2005-03-22 23:32:05 | 本と雑誌
春めいている。暖房なしでも過ごせるようになってきた。
今年もスキーに行けそうにない。雪の白が目に触れたくないものをすべて隠し、消しゴムで消したような白銀の世界が好きだ。雪に縁がないから言えるのだろうか。木々も纏うものなくシルエットだけで堪えているような姿に潔さを覚え、それだけで風情があるように見える。
お気に入りは野沢温泉村。8時間かけても訪れる価値があり、その魅力は我が家においていささかも色褪せることはない。
お勧めのペンションが フォーリストの森 。心づくしの料理がおいしいだけでなく、もてなしも群を抜いて心地よい。また、今年も憧れの宿に終わってしまうのが惜しい。