hyperclub

パソコン教室アイラブハイパークラブです。
教室に流れるBGMなどを紹介します。

脳を鍛える大人の料理ドリル

2005-07-31 22:15:40 | 音楽
 N氏宅にお邪魔したところ、帰り際に烏賊をたくさんいただいた。新鮮な魚のことを、志摩の魚屋さんは、「ぴんぴんのさかな」と表現するが、まさにぴんぴんの烏賊たちがびっしり敷き詰められた氷のベッドに横たわっている。壮観である。さっそく夕餉に餃子を焼く最中の長男に見せたところ、ぜひとも食したいとのこと。しかし、家人は出張である。
「えっ、誰がさばくの?」
息子に訊くと、やおら取り出したのが、「川島隆太教授の脳を鍛える大人の料理ドリル―料理の基本テクニック30日」だ。これにはバカウケだ。本と実物を見比べながらたどたどしく包丁を使っている。生来本など大きらいと言ってはばからない倅だったが、最近読書に目覚め、哲学、宗教…と、ありとあらゆる本を読み漁り始めた。これで、
「父さんも読みない」
と閉口するほど押し付けなければ、なかなか出来た…息子なのだが。

 さて、それにしても…である。
「何故こんな本を?」
と、尋ねると、
「本当は『脳を鍛える大人の計算ドリル―単純計算60日』という1冊が欲しくて母さんに頼んだら、大人のドリルシリーズというのは他にもいっぱいあるんやそうな、全巻買い揃えてくれたんさ」
とは、なにごとにも極端な母子である。

 いわく、
「手作りで料理をすることで、脳が活性化します!」
詳しく書けば、

 「音読」や「単純計算」と同じように、料理をすると脳が活性化する、ということが川島教授と大阪ガス(株)との共同研究により明らかになりました。本書は、「小口切り」や「三枚おろし」など、脳の活性化が証明された30の料理基本テクニックを使って、毎日一品ずつ挑戦する料理ドリルです。

 さらに言う。
「料理をして、脳も体も健康になりましょう」
つまり、

 まずは「今日の料理ドリル」をよく読み、その日の料理テクニックを使った料理に挑戦しましょう。「何を作るか」は自由ですが、料理が思い浮かばない方は岸朝子さん監修の「オススメ健康食レシピ」に挑戦してみましょう。その日の料理テクニックを使って簡単に作ることができる、体にいい料理のレシピが掲載されています。

 なんかその気にならないか? なお続くのだ。
「料理を毎日の習慣にしましょう」
どう、前のめりにならない?

 30の基本テクニック以外にも、職人レベルのテクニックを集めた「伝統の“わざ”にチャレンジ!」や、家族で取り組める「家族でわいわいレシピ」などを収録。楽しみながら料理を続けましょう。なお、脳のトレーニングは一日のうちで脳がもっとも活発に働く午前中がベスト。朝食や昼食はしっかり作って食べたいものです。

 ワシのように料理の上手な女性を娶れ、と小一時間。だが、筋トレを日課とするようにフィジカルに重きを置き、さらには"脳を鍛える"に思いを至らせた愚息に、怠惰な父がいうべき言葉は見つからない。そのうち
「脳を鍛えやないかんから。父さんのクロスカッター(日本直販だ)捨てといたから」
と言われるのが目に見えるようで、少しビビッている。なにしろ包丁研ぎまで新調したようだから。

 今日は町あげての出合い(お盆前の清掃)の日だった。ブロック塀の影に座り込んで隣家の兄さんと一年に一度の駄弁りを楽しむ。何の日だったか。 「枯木灘」の秋幸を彷彿とさせるアニさんは、まもなく還暦を迎えるというのにまだまだ意気盛んだ。子どものころ、初めて野球の面白さに気づかせてくれたし、畑のトマトをもいで食べる美味さを教えてもくれた人でもある。
「よその畑のが一番美味いんや」
などと聞いたような記憶もあるが、気のせいだろう。あれやこれやと昔話はつきなかったが、あの頃、見上げるほど高く、いかつく、ときに優しく、遥かに大きく感じたものだが、今、ぼくの目線よりも下に笑顔がある。人懐っこく、たまらない笑顔だ。サラ・ヴォーンの”オール・オブ・ミー”がシャワーのBGMにぴったりはまった。


包丁を売るおじさん

2005-07-29 23:59:00 | 音楽
 末っ子はまだ夏休みにはならないようだ。今日も教室にやってきて、レポートの作成に余念がない。最後の仕上げ、整形と表題に悩んでいるようなので、段落単位を選択する方法、インデントの使い方を教えた。ぼくにしたら片手間仕事なのだが、息子はイタク感心した模様で、
「すげーぇ、父さん、通販番組の包丁を売るおじさんみたいや!」
やっぱり、
「さらにお買い得!」
の方に商売替えすべきか。

 レポートを片付けた解放感からか、お隣のシェフがギターを弾いている音色を聞きつけ押しかけたようだ。なかなか戻ってこないので様子を見に行くと、クラプトンの「Tears in Heaven」を達者に弾きこなしているではないか。イントロが印象的な曲だが、そつなく指が動いている。いんや親馬鹿ではない、ちと悔しいのである。ヤイリのギターを心地良さそうに、いかにも手放すのが惜しいといった風情である。おそらく塾頭格のさっとんあたりが弾き語ってくれれば涙を流すかもしれない。それほどの名曲だ思うのだが、息子だとまだまだハラハラして泣けそうにない。

 帰りがけ、闘うやんちゃ姫、M夫人からメッセンジャーと電話による救急の駆け込みがある。トップページが、突然、別のものに変わってしまったとのこと。変わったのではなく変えた、が正しい。"index.htm"より"index.html"の方が強いのだ。ファイル名を間違えると、つまり小文字の「l」を後ろに付けてしまうと別の顔になるということを彼女は学んだ。過ちから学ぶことが多く、さよならを繰り返すと大人になるのだ。何のことやら分からなくなってしまったところで今夜はお開き。しかし、今日一日を表すキーワードは多かった。

  • 獅子舞の手品
  • チャングム
  • ケンタッキー
  • 整体

と、これらは後のお楽しみということで…。


テレビが地震を教えてくれる?

2005-07-28 23:58:00 | 音楽
 そもそもあの台風7号、いったい何だったのか。陸や空の交通に影響は与えたものの、左投手の内角をエグろうとして打者の背中を大きく逸れていくションベンカーブにも似て、ぼくらしくもない品のない表現だが、ありゃりゃと拍子抜けしてしまった。しかし、おかげで、神路ダムの貯水率70.3%(昨日67.2%)、蓮ダム60.0%(同52.8%)と
「シャワーだけが最高のぜいたく」
といういささかショボイ価値観のぼくには恵みの雨となった。それでも依然として節水モードは持続していきたいものだと戒めている。

 さて、以前拙ブログ、6月21日分「日曜はダメよ…地震の前兆?」で紹介した、地震を予知するというmogeさんちのテレビナのだが、とうとうお釈迦になった模様だ。

 多くの人から、大事に使って長持ちさせるよう要望を頂戴していたが、老朽化が進み、ともするとブルースクリーン状態からなかなか立ち直れず破棄せざるを得なくなったとか。

「じゃあ、地震予知(?)ができなくなるの?」

ご心配の向きもあろうが、それに先立ち、かっての職場であり現在の職場でもある(?)という、いささか説明に苦しむという某所から中古テレビを貰い受け、2台並べて確認したところ、2台とも同じ反応(ノイズ)が出て、無事、代替に成功している。

 というか、新しい立派なテレビだって大小の差はあれ同様にノイズが走っていたというから、そもそもmogeさん宅が地震に敏感に反応する家なのかも知れない。昨日、教室にやって来たmogeさんから仔細に話を訊き、さらに夜、以下のとおりのメールをもらった。

昨日に引き続き、さっきも強めのノイズが入りました。
昨日より強かったのが気になります。
横目で分かったぐらいやから…
伊豆諸島東方はるか沖の地震と関係あるかな。遠いから違うか…
ひょっとすると近々どっかでけっこう揺れるかも?

もらったテレビはブラウン管の状態が良好でノイズも鮮明♪

 昨年9月のような、日に2回も体験した例の地震のこと、深刻な感じは受けないが、もともとmogeさん自身がおっとりした人柄なのだ。まずは充分な安全対策に務められたい。お騒がせが目的ではないので、いつものごとくクールに
「そっか、テレビにノイズが走ったんやて」
ぐらいの気持ちで、悠々とお過ごしいただきたい。

 今夜は賢島でプチホテルを営むM氏がやって来た。年齢がちょうど一回り下で同じ干支なのだが、行動力、アイデアともに抜群で、我が身の不徳を恥じ入るばかりだ。さらに一緒に居ると人柄のよさが楽しく、とても快い時間が過ごせる。放課後がさらに小粋な教室となった。ホームページに使うMIDIを探したが、著作権を問わないクラシックにも楽しい音楽があるものだ。BGM代わりにしばし流して聴きこむ。


夢のカリフォルニア

2005-07-27 23:54:06 | 音楽
 朝、玄関を出ようとすると、夜勤帰りの長男に出くわした。
「今からサーフィンに行ってくるわ」
大した体力である、と感心しつつも、弱かったとはいえ台風一過の朝だ、まだ海は荒れておろうに、と心配を口にしてしまう。そんな親心を息子はニヤリとかわす。
「だから、ええのやん」

 ぼくだって昔はずい分と無茶をしたものだが、さすがに今は違う。無用の老婆心とはいかにもヘタレたものだと嘆かわしくなる。それにしても眩暈がしそうなほど倅の若さが眩しい。
「若ぶって真似せんといてな」

 誰がするか、そんな無茶。月が替わると同時に誕生日が来て、言いたくはないし、考えたくもないが、四捨五入すると耳順になる、何も無理やり四捨五入せんでもいいのだが。

 突然、ママス&パパスの「夢のカリフォルニア」を思い出した。さっそく教室で聴いてみる。カントリー以外の洋楽の中で、もっともハマったのがこの曲だ。流行ったのは東京オリンピック以後、ビートルズの来日以前だと記憶する。男女それぞれ二人のこのグループは、鮮烈なフォークロック・ブームを巻き起こし、後にはフラワー・ソング、フラワー・パワーという独特のヒッピー文化を産み出す原点となる。

 若いのにたっぷり太ったママ・キャス(キャス・エリオット)、でもキュートだった。ロン毛でスレンダーなミシェル・フィリップス、憧れはしたが、リーダーで作曲家のジョン・フィリップスの奥さん、人妻だった。そのジョンは、自ら作曲した「花のサンフランシスコ」を、かってジャーニーメンというフォーク・グループで仲間だったスコット・マッケンジーに歌わせスーパー・ヒットさせることになる。それにもう一人の男性、デニー・ドハーティーはハリィファックス・スリーというカナディアン・フォーク・グループ出身で、いわばフォーク・ブームの申し子のようなギター弾きだった。

 メロディと曲調が醸し出すイメージ、思い込みといおうか実際の歌詞に隔たり、いわゆる誤解があると気づいたのは、かなり後のことだ。イメージだと太陽がさんさんと輝くカリフォルニアの陽光への賛歌の印象なのだが、よくよく訳してみると、

木の葉は枯れて、空は灰色
ある寒い冬の日にお散歩に
ロスにいたなら暖かかったのに
こんな寒い日にはカリフォルニアが恋しい

 極寒の冬に遠いカリフォルニアを懐かしむ望郷の歌だったのである。

 太りすぎのママ・キャスがお定まりのように糖尿病による心臓麻痺で突然亡くなったとの報を聞いたのはいつだったか。確か社会人になって間もない頃だった。訃報をニュースで知り、しぼんでいる自分を見つけた。青春の終わりにも思えて、「マンデー・マンデー」、「スパニッシュ・ハーレム」、「アイ・ソ-・ハ-・アゲイン」、「愛の言葉」、「愛する君に」と繰り返し、繰り返しかけて、彼女の死を悼んだ。


インターネット一時ファイル

2005-07-25 23:56:00 | 音楽
 モモちゃんのブラウザ、インターネットエクスプローラも、スレイプニルのどちらも画像がうまく表示できない。全ての画像が表示されないのではなく、例えば自分の更新したばかりのホームページの新しく付け加えた画像だけが見られないのだ。さらに教室のリンクページの画像でも一部表示されないのがある。よくあるリンク切れの「×(バッテン)」は出てこない。

 McAfeeのせいだろうか、キャッシュが壊れたものか、原因として思い当たるのは二つぐらいか。そこで、
「McAfee 画像が表示されない」
で、検索をかけてみた。Googleにも、Yahooにも、それらしきものは見つからない。さらに、当のMcAfeeにも、121wareにも該当するものはなさそうだ。INTERNET SECURITYの場合は何かあるそうだが、この場合、該当機種ではない。そこで、

ブラウザの「ツール」メニュー→インターネット・オプションを開き、「全般」タブの「インターネット一時ファイル」の「ファイルの削除」を試みる「すべてのオフラインコンテンツを削除する」にチェックを入れ、「OK」をクリックする。

 待つこと5分ほどか、けっこう長く感じる砂時計のマークだ。で、完了後、ブラウザで確認。でも、駄目だ。再度、削除の作業。ここで不思議だったのは、普通2回目はすぐ終わるものだが、初回と同じくけっこう長く感じられる。で、期待を込めブラウザで確認してみたが、やはり駄目。ネットでいろいろ探りを入れるものの、目ぼしいものを見つけられない。

 最近、身についたのが、諦めずに
「もう一度」
だ。3度目の正直だろうか、これで無事画像が表示されるようになった。粘着も時には必要か。

インターネット一時ファイル=インターネットで表示したページは特別なフォルダに保存され,次回からは短時間で表示できます。(ばかりか、オフラインで表示することもできます)

 以前、拙ブログで紹介したように、JPEG画像がビットマップ形式で保存されてしまうときにも有効な手段である。Windowsと言っていいのかなぁ、まあパソコンを触っていると不思議なことが起こるものである。

 台風は苦手だが、雨は歓迎したい、と小一時間。水不足では観光地は大変だ。カスケーズの「悲しき雨音」がやはりBGMとしてよろしいようである。台風にはくれぐれもご用心を。何しろわが母校が十数年ぶりにベスト4入りだ。もう何があっても驚かない。


ラグーンの町

2005-07-24 23:51:00 | 音楽
 日曜とあって、南勢町宿浦、田曽浦と巡回した。食品会社が導入した会計ソフトについてのお尋ねなのだが、電話ではラチがあかず訪問する方が早いと判断したのである。約束の時間に到着はできたのだが、何とその会社が見つからない。前回お邪魔した記憶をたどって経路を2周ほど回ってみたものの、なかなか建物が見つからない。そこで、道中にあるUさんのお宅にお邪魔することにした。たまたま表に居たUさん、ぼくを見てびっくりした表情を浮かべながらも歓待してくれた。ご夫妻に久闊を叙すのもそこそこに、まずトイレをお借りするは、奥様が引っ張り出してくれたお孫さんの写真を見せてもらうは、
「ハテ何しに来たんやっけ」
目的も忘れ、しばし歓談を楽しんでしまう。

 「2年ほど前に、新社屋に移転したんやんな」
Uさんの呆れた表情、懐かしさが甦る。これなんだ、このひとのもつ雰囲気の素晴らしさ、いつも接するたび、心が和み、優しい気持ちにさせてくれるのだ。
「はよー、行ったらなぁ」
と、促がされて慌しくU家を後にする。ご丁寧に道順やランドマークを繰り返してくれる。で、無事到着することができた。

 で、お咎めもなく温かく迎え入れられたピカピカの会社では懐かしい顔のオンパレード。遅れたいきさつとU家でのやりとりなどで盛り上がる。社員のグループ学習で親しくなった皆さんもいい笑顔で再会を喜んでくれる。前回の訪問から2年が経っているとは思えない親近感に、家を出るときの緊張もほぐれている。

 この町の素晴らしさは、自然だ。ラグーンというのだろう、湾が砂州(さす)によって外海から隔てられ湖沼化した地形で、周りを家屋が密集して取り囲んでいる。だから2周という表現がありうるのである。自然を町並みが上手に活用している。散歩していて楽しい町なのだ。

 ここまできたらと、兄貴のようなY氏の市場を訪れる。忙しいだろうに、快く出迎えてもらい立ち話をさせてもらう。ますます心が丸くなる。帰りたくなくなるほどだった。


試験にでる英単語=出る単

2005-07-22 22:50:59 | 音楽
「先生、買って来たよ」
高一の大ちゃんが、試験にでる英単語―耳から覚えるを持ってきた。先日、高校生のころの勉強法を訊いてきたので、
「こんなのがあったんや」
と、ぼく自身が懐かしさを感じて彼に紹介したのである。さっそく注文したらしい。

 略して、「出る単」。デビューは1967年ごろではなかったか。当時、「赤尾の豆単」が超有名であり、ブランドとして確固たる地位を占めていた。何せコンパクトで、赤表紙が可愛くてキュートだし、文字も見やすかった。が、しかし、辞書のような配列で、しかも収録単語数も多く、すぐにぼくの意気を阻喪させた。

 その点、「出る単」の方はというと、豆単の半分ほどの量で、さらに重要な単語から順番に並べているところが斬新であり、なおかつ、
「単語を部分に分解して、それぞれの語源を覚えれば、少ない数で組み合わせでたくさんわかる」
というコンセプトに惹かれた。どうにも怠け者に性根が入っている。

  • chaos=混沌
  • prejudice=先入観
  • intellect=知性

などが、今でもスラスラ出てくるのはまさにおかげだろう。ただし、これで全てなのが哀しい。

 40年近く前のものが現在も現役というのも凄いと思うが、さらにCD付き、二色刷、赤シート付きでの復活はいかにもコンテンポラリーで面白い。税込みで988円というのにも驚いた。
「さらにお買い得!!」
深夜の通販番組の決め台詞の定番を思い出した。

 鮮度は落ちてないか、つまり現在の試験においてもご利益があるのか、著者も2代目になっている(ご子息)から心配することもなさそうだ。電車での往復時間、2時間半ほどか、大ちゃんの根気にかかっている。頑張れ。

 今は亡きジョン・ハートフォードさんが作曲した「ジェントル・オン・マイ・マインド」という名曲がある。ぼくの高校時代にグレン・キャンベルが歌ってヒットしたものだが、実は、映画「ドクトル・ジバゴ」にインスパイアされ(霊感を受け・感化され)出来上がったのがこの曲だという。当時はそんなことも知らず鼻歌で歌っていたが、inspireも「出る単」で覚えた単語のひとつだと気づいた。
「大ちゃん、役立つぜ」


お熱があるの?

2005-07-21 23:47:51 | 音楽
 梅雨は明けたのか? 今ごろ暢気なものである。18日、気象庁が関東甲信、近畿、中国、東海の各地方で梅雨明けを発表していた。そこで気になる、神路ダムの貯水率は53.6%だ。蓮ダムにおける32.0%が気がかりだ。

 昨年、不思議だったのが、太平洋沿岸部での蝿の異常発生、次いで蚊が異様に少なかったことだ。前者はやがて来るかも知れない東南海地震の前触れかと内心びくびくしたものだ。蚊の少なさについては、
「ぼうふらの湧く時期に雨が少なかったのさ」
と、ある法事の席で古老が科学的に解説してくれた。まさに一刀両断。ぼくは、
「なるほど」
と、納得した。

 蚊取線香なんぞいらなかった昨夏、水不足がどうのこうのという話はでなかったように思う。天候には逆らえないというが、雨の降る時期の微妙なずれで現象が異なるというのが自然の持つ妙味で、しかも絶妙である。

 それにしても暑い。日中のほとんどを空調の効いた教室で過ごしている身でこんなことを言えば叱られるだろうが、二言目には
「あっつあんなあ~」
を連発している。余計に暑苦しくなる言葉である。

 クールビズが提唱される以前から、空調の設定温度は28度だったから、無理もないところかと慰めていたら、今年は様子が違う。実は暑いとぼやくのは昼下がりのほんのひと時に過ぎないことに気づいた。日が傾きかけるとてき面に肌寒さを覚える。これがいわゆる加齢による何とかか? 

 さて、パソコンの世界でも夏は厄介な季節である。パソコン雑誌の見出しには熱対策というキーワードが溢れているだろう。思えば企業にコンピュータが導入されかけた時代に、会社で一番快適な部屋がコンピュータ・ルームだった。多くの社員が額に汗し、腕まくりをしてる中で、その部屋のための予算に文句をつけられることはなかった。それほど熱対策は重要である。

 あらためてチェックを促がす必要はないと思われるが、確認しておきたい。

  • PCを長時間車の中に放置してないだろうか
  • 西日の射す部屋にPCを設置してないだろうか
  • PCのファンを書類などで塞いでいないだろうか
  • デスクトップを壁にぴったりくっ付けていないだろうか
  • チャンとファンは回っているよね

 偉そうなことは言えないものだ。今夜、メインマシンのフロッピードライブ、空である、がカシャカシャと音を立ててアクセスしっ放しという事態に陥った。
「さては熱のせいか?」
と、いぶかったが、何のことはないフロッピーディスクを差し込んでみたところたちまち解決した。
「だよねぇ」

 日盛りにサーフィンでもしてみるか。縁側に長男のサーフボードが、
「どうぞお使いくださいな」
とばかりに、これ見よがしに置いてある。この誘惑に乗らない手はないなと、小一時間。ビーチボーイズのサウンドが甘い誘いに拍車をかけている。



Bluegrass Radio

2005-07-19 23:58:00 | 音楽
 今日は自分に誇ることがある。実は、午後6時から11時までのまる5時間、煙草を口にしなかった。禁煙と決めた訳ではない。なるべく我慢しようとしたのだ。ネガティブに考えれば、「5時間しか」だが、前向きに考えると、「5時間も」である。ある時間、抑えることができるのだ、という発見は、次の6時間に繋がるような気がしないでもない。気休めかもしれない。

 「止めようとはしてません、吸わなかっただけです」
ぼくが講師でお邪魔する小学校のある先生の言葉だ。昨年の4月のことだったか、それ以来、彼はまったく煙草を吸っていない。月に何度か授業に行く度に真っ先にウォッチする。継続中だ。昨年の誕生日、長男からの贈り物は、「禁煙セラピー」の本だった。読んでも止められなかったぼくは、彼を導師と呼びたい。

 ローレンス・ブロックが著する「マット・スカダー」シリーズはぼくのお気に入りで、値のはる単行本として発刊されるので痛いのだが、必ず買って読むことにしている。元アルコール依存症の主人公はAA(アルコホーリクス・アノニマス)に所属して断酒を続けている。
「今日も一日呑まなかった。それが一番だ」
どんな辛いことがあった後も、彼はそう呟く。物語が続くにつれ禁酒暦も長くなった。フィクションであれ、そんなヒーローに憧れつつ、禁煙できない自分を情けなく思うばかりだ。

 ようやくインターネット・ラジオのブルーグラスを見つけた。"Bluegrass Radio"だ。登録(無料)が必要なのでリンクは貼らない。赤ん坊にミルク、大人の男には酒。ぼくにはどうやらブルーグラス・ミュージックだ。背筋が伸び、意欲が湧いてくる。


枯木灘

2005-07-18 23:31:03 | 本と雑誌
 高校の制帽がまだ輝いていた頃のことだ。演劇部に入部したてのぼくは、それが伝統なのか、単なるその時の思いつきなのかは知らないが、通過儀式のひとつとして、先輩からある命令を仰せつかった。部員は女子が多く、当然先輩も女性で、ルールに厳しく、それは命令というよりも、むしろ厳命に近い響きを感じさせた。

 さて、そのお達しとは、

  • これから1時間
  • 校内を歩く
  • すれ違う人の誰にも挨拶をする
  • 必ず何らかの言葉を引き出す

というものだ。舞台に立ってもあがらぬよう度胸をつけるといった目的から発案されたように思える。しかし、それは女性の発想だ。まだ、青臭くて、ほとんど中坊丸出しのぼくはたった2人目でビビラされた。会話を引き出すどころか、上級生から、

「うるせー、何やお前、なめとんか」
「アッチ行け」
「はったおすぞぉ」

 もし、町なかで、見知らぬ人から気安く声をかけられたらどう反応する? ぼくには度胸試しどころではなく、まさに命がけのように思えたのだが、練習法としては実に効果的であった。が、それは後になっての話だ。人見知りする性質(たち)のぼくには、現在、かなりの部分活かされているようだ。

 なるべく人に遭わない場所を行ったり来たり、それでも時間はちっとも経過しない。そこで、古ぼけ具合に年季が入り、迷路のような薄暗がりの校舎を選んで進んだ。そこには剣道場があった。

 5、6人の新入部員が道場前の廊下で正座させられていた。正座も大切なお稽古なのだ。隣のクラスの I が居た。命令ではなく素朴な好奇心から、
「なっとしたん(どんな不始末をしてお仕置きを受けたんな…の意)?」

 たぶん口を開くのは厳禁だったのだろう、鬱陶しげに視線だけをぼくに投げ、元の姿勢を崩そうとしない。言いつけを思い出したぼくは必死で語りかけた。かれは頑なに沈黙を守ろうとする。後に銀行マンとして活躍する男だ、その頃から性根は座っていた。彼から見たらぼくは無邪気ではた迷惑なガキに映ったことだろう。それでも執拗なぼくの攻撃に根負けしたものと見える。

 冷静な男が唇をうっすら片方だけ歪めた。しかも極力動かのを惜しむかのように。そして、照れくさそうに目を細めながら、とうとう呟いた。

「アッチ・へ・イ・ケ…」

 大学生の頃は彼の自宅でしばしば麻雀に興じたが、形勢不利になるや決まってぼくはこの話を持ち出した。その度に、飲みかけのビールを噴出したり、煙草に咽たりしたものだ。

 その彼が逝って、2度目の盆を迎える。今日は機会があり、仏壇に線香を供えることができた。位牌の前に馴染み深い銀行の名札を見つけた。

 「ひろのぶぅー、オレ、転勤やてぇ、どこや思う? 新宮やさぁ」

 あの日の記憶がまざまざと甦る。中上健次の「枯木灘」とその世界を語り合える文学青年でもあった。