今は亡き桂枝雀師匠が小米時代に噺の枕に使ったことを思い出す。独特の間合いで、ぽつんとさりげなく、しかも唐突に振られると、戸惑いつつも、結局は笑わされてしまったものだ。
終末論はいつの時代にもある。ノストラダムスの予言が囁かれている頃の旧オウムの騒動は記憶に新しい。予言を利用したのか、そうだとしたら、それに乗っかり真剣に怖れた人たちがいた訳だ。
子どもの頃に少年雑誌で読んだのだが、大昔、ハレー彗星だったかが地球に最接近し、地球上の空気をすっかり奪い取ってしまうというデマで日本中が大パニックに陥ったことがあるらしい。真空状態から我が身を長らえさせるために、大金持ちは競って空気でパンパンに膨れ上がったタイヤを買い求め狂奔したという。今なら笑い話にもならないが、当時のひとは真剣だった。
「もしそうなったら…」
子どものぼくは不安にかられ祖母に訪ねた。祖母は一笑に付した。
「みんな死ぬのやろ? 自分ひとりだけ生き残ってどうする。その方が怖いやんか」
死ぬより怖いことがあるのか。
スマトラ沖地震による大津波は決してよそごとではない。東海南海大震災に備えるひとは多いし、心配すればするほど不安のネタは数多い。映画のタイトルではないが、
「俺たちに明日はない」
のなら、
「俺たちには今日がある」
はずだ。
言い残すことがあるのなら今のうちに言っておきたいし、し残していることがあれば今日から片付けておきたい。不安にかられるより不安を克服することに心を砕きたいものだ。
子らが訊く。
「いまわのきわ(今際の際)に何ていうのやろ、父は…?」
何という会話だ。ぼくは答える。
「畳の上で死にたい…」
か、これはアメリカ合衆国、テネシー州はナッシュビルで迎えるその時の言葉だろう。
「ありがとう…」
せめてこう言えたらよいと願うのだが。
滅亡の日が来るとしたら、取り急ぎぼくがすべきは謝罪と御礼と和解だろう。そうすれば先ほどの質問に子どもたちにこう答えることができるはずだ。
「来世のことを考えとるんで、今はそんな暇はないなぁ」
オークションで、Worship & Faithをゲットした。ガース・ブルックに続くカントリー・ミュージック界の大御所だ。スティーブン・セガールの「沈黙の断崖」であっさり殺される殺し屋役で出てきてびっくりしたが、映画俳優の顔も持つカントリー界を代表する大スターだ。このDVDはタイトルどおり敬虔と信仰といった、いわゆる宗教的(キリスト教)な音楽の集成だが、日本人にも染み透る分かりやすさがある。末世を案ずるより、しばらくは自分の内面と語り合うことにする。