
先日、伊勢原から平塚の田んぼ地域でタゲリを見た後、渋田川沿いから寒川まで歩いた。

渋田川と別れて少し行ったところに御霊神社があった。
若いころ住んでいた京都にも御霊神社(上御霊神社と下御霊神社)があったので目に留まった。
奈良時代の末に桓武天皇の弟である早良親王は皇位継承者であったが流罪となり亡くなるということがあった。
平安京遷都した後に疫病が流行したり洪水があったり後続の病死などが相次ぎ御霊のたたりだとされた。
幾度か鎮魂の儀式が行われたり、延暦19年(800年)には早良親王を崇道天皇と追称したりした。
それでも怨霊への恐れが治まらず貞観5年(863年)に崇道天皇らを慰霊する御霊会が催された。
この御霊会を創祀として御霊神社ができたという。

平塚の御霊神社は坂上田村麻呂が奥州遠征の帰途に崇道天皇を勧請して創建したと伝えられている。
時代的には京都の御霊神社より早いということになるのだろうか。

鳥居を入ってすぐのところには八坂神社という小さな祠があった。
京都に祇園祭で有名な八坂神社があるので気になった。

御霊神社から田村と呼ばれる地区を歩くと相模川のすぐそばに神社があった。
こちらも八坂神社であった。素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭神とする。

八坂神社は京都の祇園を筆頭に全国に2300社もあり、平塚市内でもほかに4社あるそうだ。
この神社は明治の神仏分離令までは牛頭天王宮と呼ばれていた。午頭(ごず)天王は祇園精舎の守護神だ。

きちんとした境内には鐘楼もあった。
例大祭は7月の第4日曜日だそうで、京都の祇園祭の後祭と同じ時期だ。
御霊神社と八坂神社・・・平塚で京都を偲んで楽しい時間であった。

八坂神社から相模川堤に上がると寒川取水堰が見えた。
セグロカモメ、カワウ、アオサギ、ダイサギ、マガモなどが羽を休め、いろんなカモたちが川面に浮かんでいた。