これまた、書棚にあった本。
いつ買ったのかは全く覚えていないが、昭和63年に発行された本であるので、かなり古ぼけている。
内容は、著者でジャーナリストの千葉敦子さんが乳がんになり、何度も再発しても最後まであきらめず、自分がしたいことを貫き通すという物語だ。
そこに書かれている内容は、今から読むとかなり古いものであるにも関わらず、ニューヨークと東京を比較することを通じて色々と教材を提供してくれる。
千葉さんが乳がんの手術を受けた(まだ、ステージⅠだったらしい)のは、昭和56年1月。まだ、40歳だと思う。
それから、順調に仕事して2年半後、鎖骨に小さいしこりを感じた。
まさかと思ったが、それが再発のしるしだった。
それでも、自分が世界の最先端のニューヨークで働きたいという気持ちを貫き、健康保険制度もないアメリカへ出発。
8畳くらいで、家賃が20万円ほどもする所に住んで、フリーのジャーナリストとして仕事をこなす。
がんの治療費が十分に用意できない中でも頑張る。
強固な意思には恐れ入る。
もちろん、友人の助けがあればこそできるのだが、そうした友人をたくさん持つことができたのは人徳。
千葉さん自身、自分のことを「移動型人間」(自由重視)と呼び、「定着型人間」(安全重視)と区別しているが、そうでないと、これは無理だろう。
前に、私がブログに書いた山下弘子さんも常にがんがん飛び回っておられるようで、この前、ブログを拝見させていただいたら、「スキューバダイビング」をメキシコでされたと書かれていたが、本当にタフ。
私にはそのようなことはできないが、死ぬまで、なるべく「積極的に」行動したいと思う。
残された時間は長いようでひょっとしたら短いかもしれない。
結局、千葉さんは昭和62年7月に亡くなるのだが、亡くなる2日前まで、仕事をされていたらしい。
合掌
いつ買ったのかは全く覚えていないが、昭和63年に発行された本であるので、かなり古ぼけている。
内容は、著者でジャーナリストの千葉敦子さんが乳がんになり、何度も再発しても最後まであきらめず、自分がしたいことを貫き通すという物語だ。
そこに書かれている内容は、今から読むとかなり古いものであるにも関わらず、ニューヨークと東京を比較することを通じて色々と教材を提供してくれる。
千葉さんが乳がんの手術を受けた(まだ、ステージⅠだったらしい)のは、昭和56年1月。まだ、40歳だと思う。
それから、順調に仕事して2年半後、鎖骨に小さいしこりを感じた。
まさかと思ったが、それが再発のしるしだった。
それでも、自分が世界の最先端のニューヨークで働きたいという気持ちを貫き、健康保険制度もないアメリカへ出発。
8畳くらいで、家賃が20万円ほどもする所に住んで、フリーのジャーナリストとして仕事をこなす。
がんの治療費が十分に用意できない中でも頑張る。
強固な意思には恐れ入る。
もちろん、友人の助けがあればこそできるのだが、そうした友人をたくさん持つことができたのは人徳。
千葉さん自身、自分のことを「移動型人間」(自由重視)と呼び、「定着型人間」(安全重視)と区別しているが、そうでないと、これは無理だろう。
前に、私がブログに書いた山下弘子さんも常にがんがん飛び回っておられるようで、この前、ブログを拝見させていただいたら、「スキューバダイビング」をメキシコでされたと書かれていたが、本当にタフ。
私にはそのようなことはできないが、死ぬまで、なるべく「積極的に」行動したいと思う。
残された時間は長いようでひょっとしたら短いかもしれない。
結局、千葉さんは昭和62年7月に亡くなるのだが、亡くなる2日前まで、仕事をされていたらしい。
合掌