空想のねじ

好奇心のおもむくままに、チャレンジしたこと、行動したこと、感じたこと、思ったことを綴っていこうと思います。

水道橋周辺散策〜傳通院と澤蔵司稲荷〜

2021-10-02 20:02:00 | 神社・仏閣巡り
牛天神北野神社の次は、、、
やっと傳通院に着きました。
ここまでが長かった(笑)。
 ◎正式名称 無量山 伝通院 寿経寺
 ◎別称 小石川伝通院
 ◎宗派 浄土宗
 ◎ご本尊 阿弥陀如来
徳川家康のご生母於大、千姫が眠る、徳川将軍家の菩提寺として知られます。


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澤蔵司稲荷
傳通院で参拝した後、澤蔵司稲荷へ。

変わったデザインの山門です。和洋折衷?
 別当寺 浄土宗 慈眼院
 ご祭神 稲荷大明神(澤蔵司)

澤蔵司稲荷は元和6年(1620)傳通院中興廊山上人によって、傳通院山内慈眼院を別当寺としてその境内に祀られたのが始まりだといいます。

◉ご縁起(以下、HPより抜粋)
縁起によると元和4戌午年(1618年)4月学寮主、極山和尚の門を澤蔵司と名乗る一僧が浄土教の修学したいと訪ね入門いたしました。大変に才識絶倫優秀にして僅か3年余りで浄土教の奥義を修得し、元和6庚申年5月7日の夜、方丈廓山和尚と学寮長極山和尚の夢枕に立ち「そもそも余は太田道潅公が千代田城内に勧請せる稲荷大明神なるが浄土の法味を受け多年の大望ここに達せり。
今より元の神に帰りて長く当山を守護して法澤の荷恩に報い長く有縁の衆生を救い、諸願必ず満足せしめん。速く一社を建立して稲荷大明神を祀るべし。」
と残し暁の雲に隠れたと記されています。


澤蔵司(たくぞうす)という一僧侶が入門して3年で浄土宗の奥義を習得したというのも人間離れしているし、夢枕に立ったというのも、日本昔話に出てきそうな不思議なお話です。故人が夢枕にという話は私的には結構聞く話ではありますが。


狛狐さん、いい感じです😊ひとつひとつに簡単にご挨拶したのですが、境内には小さな祠や仏像などがたくさんありました💦

本殿の右にある霊窟御穴へ。


こちらも小さな祠、狐さんがいっぱい。蚊がよってくるのと、他の参拝の方がいるのとで駆け足参拝となりました。

澤蔵司様の粋なお取り計らい?
まさかのシンクロに胸高鳴る

今回の参拝では、澤蔵司様の粋なお取り計らいがあったのでは?と思える様なことがありました。というのも、萬盛さんのお蕎麦も食べたいと思っていたのですが、開店が11:00なのです。私が出かけた時間だと傳通院と澤蔵司稲荷を回ると開店までに時間が余りすぎる行程でした。


それから、上の北野神社の写真。雲の形が狐さんに見えて(笑)。

小石川大神宮への参拝、牛天神北野神社への参拝は偶然のタイミングだったけれど、寄り道したおかげで萬盛さんへ行くタイミングはバッチリ。しかも、澤蔵司稲荷の境内でお蕎麦を奉納しにお店の方がいらして、まさかのタイミング!嬉々として思わず「後で伺います」と話しかけてしまったくらい(笑)。

毎朝「お初」そばを欠かさず奉納
澤蔵司稲荷との関わりが深い稲荷蕎麦「萬盛」


澤蔵司は傳通院の門前にある蕎麦屋がお気に入りで、それが地図にある「萬盛」さん。赤マルの位置が澤蔵司稲荷です。澤蔵司が蕎麦屋に食べに来たときは、売り上げの中に必ず木の葉が入っていたといいます。蕎麦屋の主人は澤蔵司が稲荷大明神であったことを知って驚き、毎朝「お初」の蕎麦を備えて稲荷蕎麦と称し、それが400年経った今でも続いているのです。私はその話に感銘して、絶対に食べに行こうと思ったのでした。古川柳に「蔵司 てんぷらそばが お気に入り」というのもあるみたいです(笑)。

稲荷箱そばを頼むとおいなりさんが1個ついていました。おそばにも、刻んだ揚げがついてます。おいなりさんは、揚げがヒタヒタで口に含むとじゅわ〜っと汁が口に広がって、ふつうのおいなりさんとはまた違った味で美味しかったです。量が多いので、この時点でおなかがいっぱい😅

しかも帰ろうとしたら、善哉もついてました💦頑張って食べましたが、おなかばんぱん。団子は確認していないのでわかりませんが、蕎麦粉かな?と思いました。
お店の中に展示されている澤蔵司稲荷創建時(元和4年)の擬宝珠。澤蔵司稲荷と萬盛さんに1つずつ伝わるといいます。

この後、お寺まで歩きお彼岸のお墓参りをしました。いい運動にもなった一日でした。