”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・日本の原風景(5)

2008年10月07日 22時21分35秒 | 趣味

10月7日(火)曇
今日は休暇を取り、ゴルフに行ってきましたが4日よりはよかったものの3パットばかりでライオンになってしまいました。これだけやってもうまくならないのは体がどこか悪いのかよっぽど向いていないのかどちらかでしょう。もうスコアは別として楽しむことだけでよしとします。
ところで先週まで続けていた日本の原風景ですが、なかなか言いたかったことが出て来ずに終わりにしようと思ったけどあまりにも尻切れトンボなので区切りがつくまで続けますが読んでいただかなくて結構ですのでみなさんはこの表題の時はアクセスしないでください。ただ自分のけじめのために書くだけですから。

とにかく空腹を満たすと三人は夏草を敷いただけの岩陰でぐっすり寝込んでしまいました。ずっと張り詰めていた緊張が一気に解けて翌日の太陽が真上に来る頃まで無の世界にいたのでした。最初に目を開けたのはナオでした。ナオに揺すられてナギも目をさますと二人は浜に出て砂浜に二人並んで繰り返す波を見ていました。こうして半時あまり過ぎてからサクもようやく起きて来ました。サクは二人の孫娘にこの海辺のすみかがどうなったのかと言うことや父と母、それと兄がどうなってしまったか話しました。そしてこれからどうして生きていくかを教え始めました。まづ住む場所を探したらナオは柔らかな草を取ってくる仕事、ナギは細長い木をいっぱい集めて来る仕事を言いつけると、自分は大きな石を集めて囲いを作り始めました。日が西の山影に入る頃になると食糧を探しに三人ででかけました。この島は自然の脅威にさらされていることを除けば恵みの多い島でした。崩れ残った山に行けばイバラの中にシドメ(ボケの実)があったし、土砂に埋まらなかった海には貝や海草がありました。この島ではフユを除けばふき、ぜんまい、木苺、シドメ、くるみ、アケビ、山芋が豊富にあったし、海にはハマグリ、サザエ、天草があったし、川ではうなぎやどじょうが取れました。フユをくるみの実や山芋、天草などでしのぎさえすれば食糧に困ることはまったくありませんでした。
こうしてこの島に残された三人だけの新しい生活が始まりました。サクに授けられた知恵で二人の娘達もすこしずつたくましく成長していきました。アキになる頃にはフユに備えた食糧探しも手分けしてできるようになっていました。またすみかは石の囲いも細枝の壁も草のベッドも土間の囲炉裏もすっかりできあがっていました。こうしてこの年の木枯らしが吹き始める頃まで三人は休む間もなく働きました。フユになると暖かい日だけ浜の枯れ木を集めたり、流れ着く海藻や沼のどじょう取りをしたりする以外は囲炉裏を囲んでサクの話を聞くのが日課でした。
サクの話はやがて来るハルの話や月の満ち欠けの周期と季節の関係、季節と食べ物の話ばかりでした。それでも毎晩尽きることなく続きました。

こうしてこの島に残されたわずかな人たちの中で、この三人もとにかくこれから生きながらえていく知恵だけは身に付けていったのです。ただこれだけでは毎年訪れる脅威に打ち勝っていくことは容易なことではありません。この三人の家族に新しい変化が起こったのは次の次の年の夏のことです。それまでの二年の間は特に大きな災害もなく、山の緑も所々の赤茶けた谷間を除けばすっかり元に戻っているかのようでした。

今日はここまでとします。読まなくても良いと言ったにもかかわらず読んでいただきありがとう。
おもしろくできないかもしれないけど頑張ってみます。