10月13日(月・祝)晴
昨日、今日と静岡の田舎に行っていました。田舎の母が木から落ちて怪我をしたのですが、80歳を過ぎても木に登ったりすることが考えられないですがまぁ打撲傷だけですみました。1週間病院であずかってもらい土曜日に無事退院してきました。一人暮らしなので一晩付き添ってきましたが生活には支障がないようなので帰ってきました。元気なのはいいことですが昔のままの行動をしても年を取ると思うように行かないことが今回身にしみてわかったことと思います。人の事はあまり言えませんが自分もだんだん無茶ができなくなってくるかと思うとちょっとさびしいものです。
ところで日本の原風景の続きを書きます。二人の娘達に聞かせた話にはこの国の文化に大きく影響した考え方が含まれています。
ある木枯らしの吹く晩のことでした。月の満ち欠けが真ん丸い月からだんだん欠けて行き、7日後には半分の月になってさらに15日後には月が見えなくなってしまい、それからまた月が三日月になって半分になって30日ぐらい経つとまたまん丸になる話が丁度確認できた頃のことでした。木枯らしが吹くようになって丁度3回目の月が見えなくなる日が睦月と言って年の始まりであること、その15日目の満月のころに草木が芽吹きはじめること。次の満月の頃には小川のふちにふきのとうが出て来ることなど自然の活動を事細かに教えていたのでした。末娘のナオは待ち遠しくていつも月を見上げながらあと何日かと訪ねていました。姉娘のナギは月の見えなくなる新月やまん丸の満月の頃には海の潮の干満が一番大きくなることを聞いてから、いつも潮の引くときに浜辺に出て行くことをせがんでいました。そして満月の頃になると一日に2回ある潮の引く時に竹で編んだかごを持ってサクといっしょに海に出かけて行きました。そして海草や貝を取ってきました。たまに魚も竹のモリで突いて取って来る事もありました。この晩も取れた魚を囲炉裏で焼いていました。サクの話は季節に応じた草木の話から森の動物や沼の鳥の話しになっていきました。森の熊や狼も人間と同じように自然の恵みを受けて生活している仲間であるからお互いの領分を侵さないように北の森には行かないようにしていること、それから沼の鳥も季節を教えてくれる大事な仲間であると教えていました。鶴や雁が沼にくる時は寒いフユの時期で鳥達が集まっているところにはどじょうがいるところであり、そこに行けばどじょうが取れることを教えてくれるし、うぐいすが村で鳴く頃には梅の花が咲きだんだん暖かくなってくることを教えてくれました。そして鳥の抜けた羽を集めると暖かなベッドができることも学んだのでした。この島に住む動物達は神様の使いで人間に季節や食べ物を教えてくれるものだと話して聞かせていました。自然と共に生きていくことがこの島の掟だったのです。こうした話の実証をとりながら自然に対する感性が磨かれていったのでした。
自然と共に生きることや自然に対する畏怖と感性はこの島の文化の原点の一つだと考えています。日本の庭園と西洋の庭園の違いは人間の手で自然を変えるのか自然のままに表現するかと言った決定的な違いがあります。我々の文化には自然は神であり人間が作り変えるべきものではないと言う考え方が根底にあるのではないでしょうか?あと二つ原点となるものがありますがそれはまた別の機会にお話します。
それではまた。ここまで読んでいただいた方ごめんなさい、でもありがとう。
昨日、今日と静岡の田舎に行っていました。田舎の母が木から落ちて怪我をしたのですが、80歳を過ぎても木に登ったりすることが考えられないですがまぁ打撲傷だけですみました。1週間病院であずかってもらい土曜日に無事退院してきました。一人暮らしなので一晩付き添ってきましたが生活には支障がないようなので帰ってきました。元気なのはいいことですが昔のままの行動をしても年を取ると思うように行かないことが今回身にしみてわかったことと思います。人の事はあまり言えませんが自分もだんだん無茶ができなくなってくるかと思うとちょっとさびしいものです。
ところで日本の原風景の続きを書きます。二人の娘達に聞かせた話にはこの国の文化に大きく影響した考え方が含まれています。
ある木枯らしの吹く晩のことでした。月の満ち欠けが真ん丸い月からだんだん欠けて行き、7日後には半分の月になってさらに15日後には月が見えなくなってしまい、それからまた月が三日月になって半分になって30日ぐらい経つとまたまん丸になる話が丁度確認できた頃のことでした。木枯らしが吹くようになって丁度3回目の月が見えなくなる日が睦月と言って年の始まりであること、その15日目の満月のころに草木が芽吹きはじめること。次の満月の頃には小川のふちにふきのとうが出て来ることなど自然の活動を事細かに教えていたのでした。末娘のナオは待ち遠しくていつも月を見上げながらあと何日かと訪ねていました。姉娘のナギは月の見えなくなる新月やまん丸の満月の頃には海の潮の干満が一番大きくなることを聞いてから、いつも潮の引くときに浜辺に出て行くことをせがんでいました。そして満月の頃になると一日に2回ある潮の引く時に竹で編んだかごを持ってサクといっしょに海に出かけて行きました。そして海草や貝を取ってきました。たまに魚も竹のモリで突いて取って来る事もありました。この晩も取れた魚を囲炉裏で焼いていました。サクの話は季節に応じた草木の話から森の動物や沼の鳥の話しになっていきました。森の熊や狼も人間と同じように自然の恵みを受けて生活している仲間であるからお互いの領分を侵さないように北の森には行かないようにしていること、それから沼の鳥も季節を教えてくれる大事な仲間であると教えていました。鶴や雁が沼にくる時は寒いフユの時期で鳥達が集まっているところにはどじょうがいるところであり、そこに行けばどじょうが取れることを教えてくれるし、うぐいすが村で鳴く頃には梅の花が咲きだんだん暖かくなってくることを教えてくれました。そして鳥の抜けた羽を集めると暖かなベッドができることも学んだのでした。この島に住む動物達は神様の使いで人間に季節や食べ物を教えてくれるものだと話して聞かせていました。自然と共に生きていくことがこの島の掟だったのです。こうした話の実証をとりながら自然に対する感性が磨かれていったのでした。
自然と共に生きることや自然に対する畏怖と感性はこの島の文化の原点の一つだと考えています。日本の庭園と西洋の庭園の違いは人間の手で自然を変えるのか自然のままに表現するかと言った決定的な違いがあります。我々の文化には自然は神であり人間が作り変えるべきものではないと言う考え方が根底にあるのではないでしょうか?あと二つ原点となるものがありますがそれはまた別の機会にお話します。
それではまた。ここまで読んでいただいた方ごめんなさい、でもありがとう。