3月10日(水)
今日は久しぶりにしこたま飲んでいます。僕も5年前に一度定年退職しましたが、この3月で当時、僕の補佐役で活躍してくれていた人の送別会でした。僕が無事仕事を定年までいられたのも彼に負うところが多いといまでも思っています。その彼も今では会社の重責を担う立場になって、無事と言うか何と言うかわかりませんが定年になったのです。もっともこのあとも子会社できっと活躍することでしょう。
そう言う訳で少々酔っ払ってはいますが今日は、古代中国の三国時代に蜀の軍師として名高い諸葛孔明の言葉を紹介したいと思います。彼の子供への手紙に次のような言葉があります。
君子の行は静以て身を修め、倹以て徳を養う。
人として立派な者の行いと言うのは、無駄口を叩かず、寡黙に自己を磨き、質素倹約にして奢ることなく人間としての本質的な暖かさややさしさを持って義侠心がある徳を養うことに努めることである。
と言った意味になると思いますが、自分にはまだまだ道半ばです。もう還暦を過ぎた自分には、はずかしい限りですが、日々努力して行きたいものです。
そのあとに続く言葉は
澹泊(たんぱく)に非ずんば以て志を明らかにするなし。
寧静(ねいせい)に非ずんば以て遠きを致むるなし。
物欲にあっさりしていないと理想とする志を成し遂げることはできない。
また遠きを致そうと思えば平生に体を落ち着けて心身の調和を保つようにしなければならない。
まぁこれができればまさに君子と言えますが、人間中々そう言う訳には行きません。でも常に自分に言い聞かせながら生きていけば、少しは君子に近づくことができるのではないでしょうか。
まだまだ道を究めるには遠い昨今の自分です。
それではまた。
今日は久しぶりにしこたま飲んでいます。僕も5年前に一度定年退職しましたが、この3月で当時、僕の補佐役で活躍してくれていた人の送別会でした。僕が無事仕事を定年までいられたのも彼に負うところが多いといまでも思っています。その彼も今では会社の重責を担う立場になって、無事と言うか何と言うかわかりませんが定年になったのです。もっともこのあとも子会社できっと活躍することでしょう。
そう言う訳で少々酔っ払ってはいますが今日は、古代中国の三国時代に蜀の軍師として名高い諸葛孔明の言葉を紹介したいと思います。彼の子供への手紙に次のような言葉があります。
君子の行は静以て身を修め、倹以て徳を養う。
人として立派な者の行いと言うのは、無駄口を叩かず、寡黙に自己を磨き、質素倹約にして奢ることなく人間としての本質的な暖かさややさしさを持って義侠心がある徳を養うことに努めることである。
と言った意味になると思いますが、自分にはまだまだ道半ばです。もう還暦を過ぎた自分には、はずかしい限りですが、日々努力して行きたいものです。
そのあとに続く言葉は
澹泊(たんぱく)に非ずんば以て志を明らかにするなし。
寧静(ねいせい)に非ずんば以て遠きを致むるなし。
物欲にあっさりしていないと理想とする志を成し遂げることはできない。
また遠きを致そうと思えば平生に体を落ち着けて心身の調和を保つようにしなければならない。
まぁこれができればまさに君子と言えますが、人間中々そう言う訳には行きません。でも常に自分に言い聞かせながら生きていけば、少しは君子に近づくことができるのではないでしょうか。
まだまだ道を究めるには遠い昨今の自分です。
それではまた。