”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2010年03月12日 21時54分36秒 | Weblog
3月12日(金)

明日はゴルフなので、練習をしておこうと思い、先程練習場に行きましたが、あいにく今日は定期メンテナンスで休業でした。いろいろ試しておきたかったことがありましたが、またぶっつけ本番です。今年に入って既に4回目のゴルフなのでそろそろまともなスコアで回りたいものです。

無心に打てれば良いショットになるのに、飛ばしてやろうとか、乗せてやろうとか、入れてやろうとか、とかく人間と言うヤツは邪心だらけです。未だに悟りが開けないのでいつの間にか邪心だらけになってしまいます。自分の力を良く知って、自分に適した戦略を立てればいいのですが、中々凡人には制御がきかないものです。

まぁゴルフは遊びですから、どうでも良いことですが、人間が人として生きていく上で、まず本当の自分、即ち絶対的な自己を掴まえなくてはなりません。これを仏教では「見性」と言うそうです。論語では「修己」あるいは「知命」と言うようです。己を知ると言う事ですね。敵を知ることは意外と冷静に知ることができるものですが、意外と自分を知ることはむずかしいものです。儒教にしろ、仏教にしろ、すべては己を知ることからすべてが始まります。中庸ではこのことを「自得」と言います。

君子は其の位に素して行い、その外を願わず、富貴に素しては富貴に行い、貧賎に素しては貧賎に行う。夷狄に素しては夷狄に行い、患難に素しては患難に行う。君子入るとして自得せざるなし。

これは「中庸」の中でも最も有名な言葉で、「素行自得」と言う熟語の元になった言葉です。意味はおわかりだと思いますが、自分の立場に基づいて行い、現実から遊離してはいけない。現実に立脚して、その地位の意義・使命を充分発揮する。富めばその富の力を充分に活用し、貧すれば、それはそれで貧賎の意味・効用があって悪いことばかりではない。どこの国に行っても、どんな境地に処しても悠然としていることができる。病気になったり辛い事があっても、その中に知らしめてくれることもある。そのためにはまず根本的に自ら自己を徹見する、把握することである。要するに己を知る、自得することから出発しなくてはいけないといった意味です。

中々古代の人はすごいことをわかっていたのですね。我々現代人はもっと精神的な生の哲学を自分のものにして行く努力をしなければいけないかもしれませんね。
それではまた明日。
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