2月4日(日) 晴
今日は明日の俳句の会に提出する俳句を考えて朝から悩んでいます。まぁいろいろ悩んだ末にとにかくできて一安心して、俳句の会に臨んでは先生からいろいろ指摘を受けてへこんだりの繰り返しなのです。まぁ毎日の出来事に喜んだり怒ったり悲しんだりしている日々なのでこれから先も悟りを開くこともないと思っています。
よく人は学問とか修業を積んで悟りを開き喜怒哀楽を無くすことが良いことのように言っています。でも安岡正篤師はその著書でまったく逆のことを言っています。すなわち学問とは喜怒哀楽を学ぶことだと言っているのです。学問や修業とはそんな非人間的なものになるためではなくいかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむかということのためにあるものだと言っているのです。
自分もその言葉の通りだと思っているのですが、問題は喜び方、怒り方、哀しみ方、楽しみ方にあるのではないでしょうか。周囲の人や社会に対して節度を持った喜怒哀楽があるように思います。節度のある喜怒哀楽を見つけて行くことが修業なのかもしれません。