”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ゴルフ編(10-04)

2010年03月13日 17時45分39秒 | 趣味
3月13日(土)曇時々小雨

今日のゴルフは今年4回目にしてやっと満足の行く結果になりました。100は切れませんでしたが納得の行くゴルフだったので良しです。

前半はボギー5つ、ダボ1つ、トリプル3つで52としてしまいましたが、自分の力をわきまえたゴルフだったので大タタキにならずにトリプルですんだのだと思います。実は昨日のブログで書いたように、己を知る(自得)に徹したゴルフをしてみました。従ってドライバーは200yぐらいでも良いのでコンパクトにスイングする。2打目は150y以上だったら無理をせず100y以内のフェアウエイに出す。グリーンを狙うのは140y以内と心に決めてラウンドしてみました。若干失敗はありましたが結果的にボギーが5つだったので、自分の力量にあわせたゴルフがよかったのでしょう。2m程度のパットを外してしまった点が心残りですがこちらは時の運もありますからしかたないでしょう。1パットが一度もなかったので52もしかたないでしょう。

後半も同じ戦略をかたくなに守るため、自分は上手ではないのだから、大振りしないと言い聞かせながらやってました。セカンドも140y以内までは無理に狙わないに徹しきりました。後半のスコアはボギー6つ、ダボ2つ、トリプル1つで49と久しぶりに50を切りました。上がり5ホールはすべてボギーで、そのうち3ホールは短いパーパットを外してのボギーでしたからしかたないことです。パットはフィーリングが合えばドンドン入るし、ダメな時はこんな時もありますから満足しています。今日は特に高麗芝だったので結構カップの周りで切れたり、止まってしまったりだったので、レバタラで言えば充分100を切れたラウンドでした。

今日のゴルフでつくづく己を知って処すことの大切さを教わった気がします。やはり自分の力で80%以上確実な戦略が大切なのですね。今の時期の僕には7番アイアン以下でないと思った所に飛ばせません。それ以上のクラブはうまく行けば気持ち良いけど失敗する確率の方が高いので無意味な所では使いませんでした。ロングホールの2打目、長いショートホールではバフィや5番アイアンも使いましたがやっぱり確率は50%ぐらいでした。

これで明日からのヨットの整備に心置きなく専念できそうです。あとは明日の天気が晴れてくれることだけです。それではまた。

しんさんのよもやま話

2010年03月12日 21時54分36秒 | Weblog
3月12日(金)

明日はゴルフなので、練習をしておこうと思い、先程練習場に行きましたが、あいにく今日は定期メンテナンスで休業でした。いろいろ試しておきたかったことがありましたが、またぶっつけ本番です。今年に入って既に4回目のゴルフなのでそろそろまともなスコアで回りたいものです。

無心に打てれば良いショットになるのに、飛ばしてやろうとか、乗せてやろうとか、入れてやろうとか、とかく人間と言うヤツは邪心だらけです。未だに悟りが開けないのでいつの間にか邪心だらけになってしまいます。自分の力を良く知って、自分に適した戦略を立てればいいのですが、中々凡人には制御がきかないものです。

まぁゴルフは遊びですから、どうでも良いことですが、人間が人として生きていく上で、まず本当の自分、即ち絶対的な自己を掴まえなくてはなりません。これを仏教では「見性」と言うそうです。論語では「修己」あるいは「知命」と言うようです。己を知ると言う事ですね。敵を知ることは意外と冷静に知ることができるものですが、意外と自分を知ることはむずかしいものです。儒教にしろ、仏教にしろ、すべては己を知ることからすべてが始まります。中庸ではこのことを「自得」と言います。

君子は其の位に素して行い、その外を願わず、富貴に素しては富貴に行い、貧賎に素しては貧賎に行う。夷狄に素しては夷狄に行い、患難に素しては患難に行う。君子入るとして自得せざるなし。

これは「中庸」の中でも最も有名な言葉で、「素行自得」と言う熟語の元になった言葉です。意味はおわかりだと思いますが、自分の立場に基づいて行い、現実から遊離してはいけない。現実に立脚して、その地位の意義・使命を充分発揮する。富めばその富の力を充分に活用し、貧すれば、それはそれで貧賎の意味・効用があって悪いことばかりではない。どこの国に行っても、どんな境地に処しても悠然としていることができる。病気になったり辛い事があっても、その中に知らしめてくれることもある。そのためにはまず根本的に自ら自己を徹見する、把握することである。要するに己を知る、自得することから出発しなくてはいけないといった意味です。

中々古代の人はすごいことをわかっていたのですね。我々現代人はもっと精神的な生の哲学を自分のものにして行く努力をしなければいけないかもしれませんね。
それではまた明日。

しんさんのよもやま話

2010年03月10日 23時52分16秒 | Weblog
3月10日(水)

今日は久しぶりにしこたま飲んでいます。僕も5年前に一度定年退職しましたが、この3月で当時、僕の補佐役で活躍してくれていた人の送別会でした。僕が無事仕事を定年までいられたのも彼に負うところが多いといまでも思っています。その彼も今では会社の重責を担う立場になって、無事と言うか何と言うかわかりませんが定年になったのです。もっともこのあとも子会社できっと活躍することでしょう。

そう言う訳で少々酔っ払ってはいますが今日は、古代中国の三国時代に蜀の軍師として名高い諸葛孔明の言葉を紹介したいと思います。彼の子供への手紙に次のような言葉があります。

君子の行は静以て身を修め、倹以て徳を養う。

人として立派な者の行いと言うのは、無駄口を叩かず、寡黙に自己を磨き、質素倹約にして奢ることなく人間としての本質的な暖かさややさしさを持って義侠心がある徳を養うことに努めることである。
と言った意味になると思いますが、自分にはまだまだ道半ばです。もう還暦を過ぎた自分には、はずかしい限りですが、日々努力して行きたいものです。
そのあとに続く言葉は

澹泊(たんぱく)に非ずんば以て志を明らかにするなし。

寧静(ねいせい)に非ずんば以て遠きを致むるなし。

物欲にあっさりしていないと理想とする志を成し遂げることはできない。
また遠きを致そうと思えば平生に体を落ち着けて心身の調和を保つようにしなければならない。
まぁこれができればまさに君子と言えますが、人間中々そう言う訳には行きません。でも常に自分に言い聞かせながら生きていけば、少しは君子に近づくことができるのではないでしょうか。
まだまだ道を究めるには遠い昨今の自分です。

それではまた。


しんさんのよもやま話・・・ヨット編(10-05)

2010年03月07日 18時56分06秒 | 趣味
3月7日(日)雨

どうしたことでしょうか?今日も一日中雨でした。今日はヨットの第1回の船底塗装を行う予定でみんなにマリーナに集まってもらいましたが、こんな天気では塗装はできません。船体を洗浄機で洗い流し、ペーパーで磨くだけで終ってしまいました。ラダーとスクリューだけは時間をかけて磨くことができましたがキールや船体(ボディ)は軽くペーパーをかけた程度なので一度乾いたらサンダーで磨かないと、塗装できません。

天気がよければ平日にでも一度やらなければならない感じになってしまいました。来週の日曜(14日)にもしまた雨が降るようだと大変なことになってしまいます。今まで船底塗装で雨に降られたことがなかったのでとても残念です。なかなか人手が集まらないので延び延びになると結局2,3人でやらなければならないので時間がさらにかかってしまいます。もっとも隣の船は2月の初旬から一人でコツコツやっています。だいたいヨットマンは冬の間は一人、二人でコツコツ整備している人が多いので別にはずかしくもないし、それはそれで楽しめるのですがシーズン前になって来ると早く海に出たくなるのが人間です。毎年最後は適当なところで妥協してとにかく仕上げてしまいます。僕の場合も毎年気になる点がいくつかありながら終わりにしていました。

そう言う意味では今回の雨は恵みの雨だったかもしれません。少なくてもスクリューとラダーは納得が行くレベルにまで磨き上げています。問題はボディです。どうしても面積が広いので丁寧にやりだしたらキリがありません。でも次回にサンダーをかければ去年よりはいい状態で塗装できそうです。あとは3月14日の天気が晴れてくれることだけです。ともあれこんな雨の中を9人も集まっていただきありがとうございました。みんなには感謝!感謝!です。皆さんの好意に僕がどれだけ答えられるか自信ありませんが、今年もみんなに楽しんでもらえるよう努力したいと思います。

Te氏の助言で節子大明神にすがってみたから来週は晴れることを期待してます。ゴルフもヨットも雨ばかりなので来週もだったら真面目に神社にお払いに行こうと思います。昨日の話ではありませんが、「憂えて心衰えず」のためには神や仏に頼るのも一つの方法です。一見賢そうな人は神や仏を信仰することを馬鹿にしますが、人類が太古の昔から生存するために必要としてきたものです。日本人のみならず、欧米人もアラブ人も中国人も皆現在に至っても信じる神を持っているのです。どんなことがあっても、心を平穏に保ち人としての道を踏み外すことがないために信仰とか哲学は必要欠くべからざるものだと自分は思います。と言って僕が立派な哲学を持っているかと言えばまだまだ修養が足りないのも事実です。

今日はこれまでです。これからは週末だけでなく平日でも一話ぐらいブログを書いていくようにします。最近平日の夜にフィットネスクラブに行くようになってなかなか夜時間がとれないので昔のようにはかけませんが。それではまた。

しんさんのよもやま話・・・ゴルフ編(10-03)

2010年03月06日 22時41分33秒 | 趣味
3月6日(土)雨

今日は今年3回目のゴルフでしたが、またもや雨の中で相変わらずのヘボゴルフになってしまいました。ボギーが4つだけの、あとはダボ以上ばかりで117になってしまいました。
今年は3回行って2回は一日中雨と言うコンディションです。昨年はカッパを着たことがなかったのでどうも調子がでません。もう少しすべてがそこそこに行かないとどうにもなりません。良いショットもあるわりにつまらないミスが目立ちます。まだ慣れていないせいかアプローチも大き過ぎたり、小さ過ぎたりで距離感がつかめていません。
ただ今回は自分のスイングの矯正すべき点がわかったので練習場に行って修正する気になりました。先程練習場に行っていろいろやってみた結果ずいぶん球筋が異なることがわかったので来週のゴルフでは少し変わって来るような気がしています。

ところで明日はヨットの船底塗装ですが、天気が心配です。たぶん塗装はできずに、船体の磨きだけで終ってしまいそうです。去年はゴルフもヨットも予定した日はすべて晴だったので何も苦労がありませんでしたが、今年は天気に悩まされそうです。

これも人生の修行と思って心おだやかに行きたいものです。孔子の弟子の荀子という人が、学問はなぜするのかと言う問いに次のように言っています。

窮して困しまず、憂えて心衰えず、禍福終始を知って惑わず

こう言う心境でいられるようにするために人間は修行する(学問を勉強する)のであって学問は本来立身出世のためにするようなものではありません。

翻って、自分は還暦を過ぎたと言うのに、まだまだ人間修養ができていません。禍福終始を知って惑わずの行動がいまだにできないでいる自分がなさけなくなってしまいます。

今日はこれまでです。それではまた。