東大刺傷事件」という呼称が報道に載っているのを目にしました。
ですが、この事件は東京大学農学部の正門前、路上で発生したもので、実施されたのも大学入試センター試験、東京大学固有の入試ではありません。 しかし、これらに関して大きく混乱するネット記事も目にしました。そこで在勤一教官として最初にこれらを修正しておきたいと思います。
さて、広く報道されているように1月15日朝8時35分頃、文京区弥生の東京大学農学部正門(農正門)前の路上で、17歳の少年による通り魔事件が発生しました。
1/18/2022
所持品には犯行に使われた包丁のほかノコギリなども確認、現場では手製の火炎瓶と見られるものも発見されたとのこと。
この現場は「本郷通り」が「旧中山道」と分岐する角で、すぐ横を走る「言問通り」交差点には「弥生町交番」があります。また農正門を挟んで反対側には地下鉄南北線「東大前」駅が所在。
今回被害に遭われた「大学関係者」と伝えられる72歳の男性は、至近距離にある「弥生町交番」に「刺された」と駆け込み、ただちに急行した警官が少年の身柄を確保。
しかしその間、少年はさらに男女2人の受験生の背中を包丁で刺していた。 かくして愛知県名古屋市内の両親から捜索願いが出されていた、高校2年生男子が取り押さえられ、現行犯逮捕されました。
さて実は私、2022年1月15日は当初、入試業務が割り当てられ「かけて」いました。
守秘に抵触しませんので記しますが、所要があったので外してもらい、15日は東大の学外で缶詰めになっており、職場で発生したこの事件を夕方まで知りませんでした。
はたして宵の口にこの事件を知り愕然。このようなアクシデントがあると私は現場で手足を動かす方ですが、下手したら私自身が刺されていたかもしれません。
ちなみに少年の身柄が拘束されている本富士警察署は私の研究室の隣のビルです。いま現在も犯人少年は拘留されている可能性が高い。そういうリアルな観点から以下を記しています。
■ 追いつめられる「コロナ直撃世代」
この少年は「勉強がうまくゆかない」ので「事件を起こして自分も死のうと思った」あるいは「切腹しようと思った」などと供述しているという。
後者の表現で、犯人がいまだ年端も行かない子供であることがよく分ります。
事件を起こしたのは高校2年生で、共通テストの受験者ではありませんでした。つまり2020年に高等学校に進学、2022年1月に高2の終わりを迎えつつある学年の子が、愚かな犯行に及んでいる。
この学年は、中3最後の3月からコロナに直撃され、卒業式がなかったりした年次に当たっています。 少年が今まで過ごしてきた高校生活2年間は新型コロナウイルス感染症で学校は異常な状態におかれ、およそ正常には稼働していなかった。
一大学教官として、このニュースから最初に感じたのはこの点でした。 多くのメディアが真っ先に書くかと思っていたのですが、16日現在、まだ見かけていません。
各社ともそういう表記を避けているのかもしれません(末尾に記しましたが、少年の在学する高校の謝罪文で、多分初めて正面から言及されました)。
少年は愛知県でも知られる進学校に在学とも伝えられました。それが1年前くらいから成績が振るわなくなり、父親もその事実を了解していた、などなど。
これはつまり、コロナ状況で学校が動かなくなった1年目の末、十分煮詰まってしまっていた状況を示している。
さらに高2になっても状況は好転せず、少年は2021年末あたりから「犯行」を計画し始めたらしい・・・ どうして?
受験までまだ1年以上時間があるのに、なぜ高2が思い詰めなければならないの? ・・・いえ、そうではなかったらしい。高校2年次の成績によって能力別クラス編成その他があり、そこで「人生が決まってしまう」ほどの切迫感に、生徒は追いつめられていたらしい・・・ そうであるとしたら、もちろん犯行は許しがたいですが、非人間的な受験地獄に容赦なく襲いかかったコロナ禍の構造的問題を、落ち着いた大人の観点から考える必要があるのではないか?
私がこの種のことを記すと、以前はまず間違いなく「犯人をかばうのか~!」式のコメントがありました。
驚いたことにマスコミの人間まで含め「ザラっとしたものを感じる」などと記されたことがあります。しかし、そういうセリフは無責任だから言える批評です。
というのも、池に落ちた犬に石を投げるような姿勢では、決して再発防止の力にはならないから。
今回のこの子をどれだけ叩いても、残念ながら「模倣犯」が出て来る可能性は否定できません。もちろんこの生徒がやったことはおよそ肯定できる代物ではない。
そのうえで、来年2023年入試は、高等学校3年間を、コロナにモロに直撃された学年、つまり「超高ストレス受験生」の大群50万人強が試験会場にやって来る、その現実を見据えて、確かな予防策を採らねばならない。
その現実に試験会場で対峙しなければならない大学教員スタッフの観点から言っているのです。
ただ「犯人」を悪く言うだけでは、今現在まだ犯行に及んでいない、模倣犯になるかもしれない人々を抑止する力にはならないのです。
本稿の校正中、さらに、こうした犯人が出なければ凡そあり得ない差別的な「解説」を「教育ジャーナリスト」の肩書で載せる記事も目にしました。一過性のイエロー・ジャーナリズム、呆れて声も出ませんでした。
■ しわ寄せを食う大学事務官 事件を受けて文部科学大臣が記者会見(https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4448719.htm? 1642303107705)を行い、被害に遭った学生の受験機会確保などに言及しました。 これは当然、あるべきことと思います。問題は対策です。警察へも指示を出した。当然でしょう。さて、しかし、
「事件の発生を受け、文科省と大学入試センターは各大学に対し試験会場の警備に対する一層の注意喚起を周知」
とある、これは何なのでしょうか?
大学って教官と事務官、それに学生しかいないところです本質的に。そこに「試験会場の警備」で一層の注意を喚起するって、形式的な指示以上に、いったい何を考えて言っているのか?
大学教授に自警団でも組めということですか?
あり得ないですね。余計に手当が出るなども考えにくい。
そもそもトップクラスの研究教育を期待して人事したはずの大学人、包丁やノコギリ、火炎瓶を持ってくるかもしれない暴漢への対処など、私自身も含め、およそ素人しかいません。
つまりこれらは、特段手当など出ることなく、事務官諸氏に莫大な負担、しわ寄せがやって来ることを意味している。膨大な時間と労力が消費され、何の報いもありません。
そもそも入試というのは無事故で当然、死ぬほど大変ですが誰も褒めてくれず、何かカケラほどでもアクシデントがあれば、世間から矢の非難が集中する、およそ面倒の塊のような年中行事にほかなりません。
11年前、ちょうど東日本大震災の少し前、関西で一人の愚かな受験生が、スマートフォンを使った不正事件を引き起こした。
その後どれくらい大学人が迷惑を被ったか、筆舌に尽くしがたい経緯がありました。そこに今般の事件です。
大学入試センターが、受験会場を提供してもらうだけでも大変にお世話になっている全国大学に警備強化を依頼
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220115/k10013432131000.html? utm_int=detail_contents_news-related_002)って、いったい何を頼むのですか?
現在の入試では、受験会場への入場を受験票の写真照合を含め実施していますが、手荷物検査などは行っていません。
全国53万人という受験生のカバンをチェックするのですか?
「受験会場にはノコギリや火炎瓶など、試験に関係ないものは持ち込めません」とやるのか?
あり得ないでしょう。あるいは空港の保安検査のように、金属探知機のゲートでも設置して身体検査しますか?
準備が間に合うわけもなく、不可能です。こうした「形式的な指示」が先行、内実が伴わなければ、苦労するのは現場であり、最大の被害者は事務官諸氏ということになる。
東大学内の友人同僚たちとも話しましたが、今年(2022)2月の2次試験など本年度の模倣犯再発防止で、みんな大変な苦労をさせられるのは間違いありません。
ですが、繰り返します、本当にまずいのは来年。
来年度2023年入試は、新型コロナで高校生活3年間が直撃された、超ハイ・ストレス受験生集団50数万人を受け入れなければなりません。
確実にやって来る「ハイリスク入試」に、当事者の責任意識をもって、いかにして現実的な対策を立てるのか?
私たちキャンパス当事者は気の遠くなる思いを持つばかりです。
何にせよ政治家や役所が反射的に発したメッセージは、いかにも形式的で、現場の実情を考えたものとは凡そ思われません。
号令だけで模倣犯を現実的に予防するのは、まずもって困難です。
入試会場にセキュリティを設けて空港のような長蛇の列を作るなど、そもそも実行困難です。
来年の募集要項には「試験会場に受験と無関係なものや危険物を持参した場合、入学試験を受けさせない場合がある」など、強硬な一文が挿入される可能性が考えられます。
昨年(2021)も「鼻マスク受験で異常行動を起こし、トイレに立て籠って最終的には逮捕される」おかしな受験生がすでに出ています。
我々教官は、仮にそれらに出くわし、怪我など被害に遭っても何ら手当が出るわけでもなく、未然に安全を保障してくれるわけでもない。使い捨て同様で、たまったものではありません。
むしろ、抜本的に問題を解消する「遠隔入試」への移行など、コロナ後に向けて世界で進んでいる試験制度改革に目を向ける、一つのタイミングであるように、一大学教官として思わざるを得ません。
犯人少年の心の闇だけでなく、高校2年末で子供が追いつめられかねない可能性、あるいは入試制度そのものの動脈硬化を含め、コロナの一撃による「深い深い傷」が、今回の事件で露呈している。
その事実を直視すべきでしょう。その場しのぎのコメントではなく、未来を支える人材育成システムとして、入試が健康に機能する対策を立てる必要があります。
本稿校正中に、少年の父親(https://www.asahi.com/articles/ASQ1J44YFQ1JUTIL011.html)ならびに通学する高校から謝罪文(https://www.asahi.com/articles/ASQ1J3Q4DQ1JOIPE009.html)が発表されました。
高校からの謝罪文には本稿と重なる主旨の内容が記されていました。建設的な爾後対策が必須不可欠です。
東大刺傷事件」に見る「コロナの深い傷」