特別な感情が芽生えた相手を自分の手で殺すとき…」凶悪犯に“オヤジさん”と呼ばれた元刑務官が明かす、死刑囚の“最後の言葉”
5・16・2022
近年、「死刑になりたい」という動機で引き起こされた事件が連鎖反応的に発生している。2021年10月の「京王線刺傷事件」、同11月の九州新幹線車内で起きた放火未遂がその例だ。翌22年に東京・代々木で起きた焼き肉店立てこもり事件も、犯人が「死刑にしてくれ」と供述していた。
ここでは、各界の研究者や事件にかかわる人々へのインタビューによって、「死刑になるため」に凶悪犯罪を実行する犯人たちの“真の姿”に迫ったインベカヲリ★氏の著書『「死刑になりたくて、他人を殺しました」 無差別殺傷犯の論理』から一部を抜粋して紹介。元刑務官の坂本敏夫氏が明かした死刑囚の“素顔”とは——。(全2回の2回目/1回目から読む)
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刑務官にとって死刑囚は生徒のようなもの
刑務官は、全国に約1万7000人いるという。そのうち、死刑執行にかかわるのは、死刑場がある拘置所の職員だけだ。また、幹部クラスの職員は全国の刑務所や拘置所を転勤するが、一般の刑務官は、採用された場所で勤め上げる。そのため、刑務所の職員であれば、死刑執行にかかわることはない。そのため、死刑に対する意識がまったく違うと、坂本氏は言う。
「死刑場のある拘置所で採用された場合、30年、40年と勤める中で、東京拘置所でも2、3回は死刑執行に当たるでしょうね」
死刑場を併設した拘置所で採用される場合、2次試験後の面接で、必ず死刑執行の仕事があることを告知されるという。しかしそのときは、ほとんどの人が実感を持てず、「大丈夫だろう」と考えてしまうようだ。
「たぶん、わかっていないと思います。死刑がどんなものか。死刑囚と対峙すると、最初は怖いです。そりゃそうですよ、人を殺しているんですから。しかも『え、この顔で?』という人が。それと、裁判記録なんかも読みますから。本当に不気味です。でもかかわっていくと、そんな相手でも、段々可愛くなってくるんですよね」
刑務官は、死刑囚と言葉を交わし、衣体検査で体に触れ、長い時間を一緒に過ごす仕事だ。一般人が考える死刑囚と、拘置所に勤務する刑務官にとっての死刑囚は、感覚がまったく違うと坂本氏は言う。
「刑務官にとって死刑囚は、学校でいえば生徒と一緒です。自分の受け持ちの修業者になるわけですよね。彼らは刑務官に頼まないと何もできない。『手紙を出したいからお願いします』とかも含めてね。段々心の交流が深まっていって、他人事というのはなくなってくる。夜勤とかすると24時間一緒にいたりするわけですから。『坂本先生、頼みます!』とか言われると、段々可愛くなってくるの。そうすると、心穏やかに、ちゃんと成仏できるように、っていう指導をしたりするわけですね」
死刑囚とオヤジさん
刑務官の中でも、毎日死刑囚と顔を合わせるのは警備隊と呼ばれる組織だ。柔道と剣道の現役有段者を10人ほど集めた集団で、若い職員が主だという。この警備隊は、暴れている被収容者を取り押さえるほか、運動をさせたり、入浴をさせたりすることが仕事である。
「死刑囚はしゃべる相手がいないですから、その若い警備隊の隊員たちと毎日顔を合わせるうちに『オヤジさん』とか、呼んできたりするんですよ。そうすると、特別な感情が芽生える。その相手を自分の手で殺さなければいけない。執行命令を受けたとき、どれだけショックだと思います? ある意味、武道で培った精神力を持っていないとそういう仕事に耐えられない。だから、そこには優秀な職員を置くんです。一番つらい仕事だからね」
死刑執行の際、居室から刑場に、執行時には手錠をかけて連行したり、目隠しをしたり、足をロープで縛ったりと、死刑囚の体に直接触れる仕事は、すべてこの警備隊が行うという。これは確かにつらいだろう。しかし執行される側にとっては、そのほうが救いになるのかもしれない。
「だから、毎日顔を合わせているオヤジさんに、最後は『お世話になりました』って言うんですよ。普段は、すごく温かい感情が流れていますからね」
絞首刑では、首が切れないよう太いロープが用意され、前日に死刑囚の身長に合わせて長さを調整し、滑車に通しぶら下げておく。死刑囚にそのロープが見えないようカーテンを引く。執行前、希望があれば、最後の教誨を受けさせる。その後、目隠しや手錠を施してからカーテンを開き、死刑台の上に連れて行く。足を縛り、ロープを首にかけ、職員たちがサッと退いた瞬間、別の部屋にいる職員3名が一斉に執行ボタンを押す。検事や拘置所長は、立会室からガラス越しにその様子を見ているという。
「踏板は音もなくスッと開きますが、死刑囚の体が5メートルほど落ちた瞬間轟音が響き、ロープがきしむ音がしばらく続きます」
死刑執行にかかわる職員は、勤務命令なので断れないのだという。
夢破れる刑務官
坂本氏の家系は、父も祖父も刑務官だ。祖父は、大正時代に刑務官を務めていた。父は終戦後に熊本刑務所からキャリアをスタートさせ、坂本氏はその官舎で生まれたという。親子3代を合計すると、80年間勤め上げたことになる。日本の刑務所の歴史にほとんど携わっているということだ。
しかし驚いたことに、父も祖父も、自分の仕事について坂本氏に語ったことはないという。国家公務員法第100条で、「職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後といえども同様とする」と決まっているからだ。つまり、親子3代で一切情報を共有していないのである。
「刑務官って、仕事の話をしたらいけないんです。『あぁ、塀の中はこうだったのか』って、自分が刑務官になって初めてわかる。それまでは、一切知らない。でも、変わらないです。刑務所の中の文化って、今でも50年前と一緒ですから。1日の行動スケジュールもそうですね。変わったのは部屋が個室になったとか、空調設備がついたとか、そんなものですよ」
仕事内容を外部に漏らしてはいけないということは、つまり働く側も、仕事内容を知らずに就職するということだろうか。
「そういう人が多いですね。だから、すぐ辞める人も多いですよ。女子刑務所なんかは、すごく新陳代謝が激しい。刑務所があるところって田舎だから、車がないと生活ができない。それから出会いがない。常態的な超過勤務で、休みもない。女子刑務所も今は高齢の受刑者が増えて、まるで老人ホームのよう。下の世話までしなきゃいけない状態になっているんです。矯正職員というくらいだから、教育的な仕事かと思ったらそうでもない。で、夢破れるわけ」
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刑務官は矯正職員だ。受刑者に、反省の動機付けをさせるのが本来の仕事だと坂本氏は言う。
「刑務官は、そこでかろうじてプライドを保つんですよね。そういうものがないと、単なる牢番場になってしまいます。日本の刑務官は処遇と警備の、2つの役割を持っています。刑務官の役割は保安警備というアメリカなどと違うところです」
教員免許を取得した人が試験を受けに来ることもあるという。囚人たちを立ち直らせることに、憧れを抱いて入ってくるのだろう。しかし、実際の仕事は矯正とはほど遠い。入った途端に、上司から「受刑者と私語を交わすな」と言われる。私語を交わさなければ、コミュニケーションが取れないため、矯正などできるはずがない。
男子刑務所の「一枚も二枚もうわ手の囚人」
また男子刑務所では、一枚も二枚もうわ手の囚人とのトラブルもあるという。
「一番多いのは、篭絡から脅迫に発展する不祥事件です。小さな親切をしてあげて、『オヤジさんありがとうございます』から始まるんですよ。ところが、そこには含みがあるんです。たとえば最近あった話ですと、
『手紙を出したいんですけど、お金がないんで切手を1枚何とかしてくれないですか』と、ある囚人から刑務官が頼まれた。そこで上司に相談すればいいんだけど、独断で切手を一枚上げたんです。そしたらその後、彼がどういう風に寝返ったかわかります?」
相手の要求はどんどんエスカレートし、「タバコを吸いたい」「酒が飲みたい」と言い出すようになったという。刑務官がこれを断ると、切手を1枚くれたことを持ち出し、
「あれ違反でしょ、上に言うよ」などと、脅してくる。すぐに上司に報告すれば良さそうなものだが、刑務官は完全な階級社会で、上司に信頼がないと、叱り飛ばされるのが嫌で内緒にする。こうして、ますます問題が悪化してしまうのだという。
「こういう事故はしょっちゅうあります。大体そういうのはそこそこの地位にある暴力団組員とかですよ。内部で済めばいいんですけど、ひどいのは金品の贈与や接待が絡むことです。ヤクザ者が、『オヤジさん、裏の駅前の何とかっていうバーに行って私の名前を言いなさい。そこで飲み食いさせますから』って言う。その気になって行ったりすると、これが今度は贈収賄になって、刑事事件になるんです。中に入ってる受刑者や被告人は、一枚も二枚もうわ手です」
確定死刑囚の約半分は、社会的弱者
一方、こうした質の悪い囚人とは違い、確定死刑囚の約半分は、社会的弱者だと坂本氏は言う。
「現実に確定囚を1人ずつ当たっていくと、半分くらいは社会的弱者ですよね。たとえば教育をよく受けていない、児童養護施設を出ていたりとかね。どちらかというと知的レベルも高くない。そうすると捜査段階で言いなりになってしまう。日本の裁判制度を含めた証拠能力っていうのは、自白偏重でしょう。だから捜査段階の調書というのは、すごく重いんですよ」
犯罪社会学に携わる岡邊健氏は、死刑囚のいるフロアは公開されず、完全に閉ざされていると言っていた。専門家ですら立ち入れない理由は、何かあるのだろうか。
「人権上の問題です。要するに被告人って、推定無罪ですから」
意外なことに、拘置所には、死刑囚専用の舎房というのはないのだという。彼らは、未決囚たちと同じフロアに、ポツンポツンといるらしい。つまり、「死刑囚だけ」を見学するということは不可能なのだ。裁判結果によっては無罪になるかもしれない未決囚を、人目に触れさせてはいけないという配慮なのだという。
しかしそれを言うなら、推定無罪の段階で、容疑者として実名報道をされるほうが、よほど本人たちにとってはリスクがあるように感じる。科学警察研究所に勤めたこともあるような専門家に、推定無罪の容疑者の顔を見せないために死刑囚を「隠す」という拘置所の判断は、私には不可解に感じられた。