ニューヨークで出会った人々との日々を描いた、『 ニューヨークのとけない魔法 』をはじめとする「ニューヨークの魔法」シリーズ(文春文庫)で知られる作家・エッセイストの岡田光世さん。
彼女は青山学院高等部在学中に1年間、米ウィスコンシン州の小さな町に留学していた。さらに青山学院大学在学中に1年間、協定校・米オハイオ州の私立大学に留学し、その後、ニューヨークの私立 New York University 大学院で修士号取得。今や“英語の達人”とも呼ばれている。
ここでは、岡田さんがどのように英語を学び、留学中の挫折を乗り越えたのかを綴った『 ニューヨークが教えてくれた “私だけ”の英語 “あなたの英語”だから、価値がある 』から一部を抜粋。彼女が言葉の壁にぶつかり苦しんだ、留学当初の日々を紹介する。(全2回の1回目/ 2回目に続く )
飛行機の中で私は、何度も繰り返し、練習する。ウィスコンシン州の空港に迎えに来てくれるホストファミリーと初めて会ったら、そう挨拶するように教わった。これからの10か月間の高校留学生活でお世話になるのだから、失礼があってはいけない。
母が仕立ててくれた淡いピンクのツーピースのドレス姿で、真夜中の0時半に小さな空港に降り立つ。Tシャツにジーンズ姿の男女が満面の笑みで近づいてきたかと思うと、いきなり交互に抱きついてきた。私は圧倒されて、棒立ちになっている。
あれだけ練習した How do you do? は、どこかにすっ飛んだ。その後のアメリカの生活で、1度も聞かなかったかもしれない。この時もホストファミリーは、こんなふうに迎えてくれた気がする。
Itʼs so nice to meet you. You must be so tired. Poor little girl.
Pleased to meet you. / Itʼs a pleasure to meet you.
初対面では、(Itʼs)(so)nice to meet you.
別れ際には、(It was)(so)nice meeting you. / It was(so)nice to meet you. meet は初めての時、2度目以降は see になる。
ホームステイ先の娘のディーディーの運転する車で、暗闇のなか、一家が住む小さな町へと向かった。彼女はいろいろ話しかけてくるけれど、話すスピードが速すぎて、半分もわからない。不安な思いで、草原らしきなかをひたすら続く道路を見つめていた。その道の、なんと真っ直ぐなこと。
ストレート」と英語で伝えても通じない
思わず道路を指さし、「ストレート!」とつぶやくと、彼女は What? と首をかしげている。
What did you say? I donʼt understand what youʼre saying.
なんて言ったの?何、言ってるんだか、わかんないわ。
「ストレート」は英語でも、もちろん「ストレート」のはずなのに。
何度、言い直しても通じない。
その時、カーステレオから、ハリー・ニルソンの名曲「ウィズアウト・ユー」(Without You)が流れてきた。当時、日本でつき合っていたボーイフレンド(今は夫)と、よく聴いた歌だ。 〈I canʼt live if living is without you. / I canʼt live, I canʼt give any more.生きられない あなたのいない人生なんて もう耐えられない 耐えられないの〉
私はここに、これから1年近くもいるのか。飛行機を2度も乗り換え、こんな遠くへ飛んできてしまった。
ホストファミリーの家に着くと、ホストマザー(以下、マム)が言った。
「日本のお母さんに電話して、無事に着いたと伝えてあげて」
受話器の向こうの母の声は、まるで隣の部屋にいるようにはっきり聞こえた。 「心配してたけれど、無事に着いたのね」 「うん」と答える私の声は、涙で震えている。
反対を押し切って英語の世界に飛び込んでしまったことを、すでに後悔していた。
「英語わかんないよ。日本に帰りたいよ」
ウィスコンシン州の小さな町で耳にする英語は、私が中学・高校で6年間、習ってきた英語とはまったく別物のように聞こえる。話すスピードが、ものすごく速い。しかも、1つひとつの単語を、私が学校で習ったように丁寧にはっきりと発音しない。
単語と単語を続けて、しかもやけに鼻にかけたような音を出したり、母音を聞き慣れない音で発音したりする。
Could you please speak more slowly?
もっとゆっくり話して。
そう頼むと、単語と単語は続けたまま妙にゆっくり話すので、もっとわかりにくい。
私は日本の公立中学校で、文法と読み書き中心の授業を受けた。そして「英語の青山」といわれた青山学院の高等部に進学。ネイティブ・スピーカー(以下、ネイティブ)のアメリカ人教師が英会話を教え、さらに私は選択科目でも英会話を取っている。
英語が大好きで、得意だった。学校帰りに週2度、英会話学校にも通っていた。
それなのに。
ひとりぼうっとしていると、隣に住んでいた同学年のメアリージョーが私に声をかけ、彼女が自分で答える。
Mitz, are you bored? I think so. ミッツ、つまんないの? そうなんだよね。
先生や友だちはミツヨという私の名前が覚えられず、ミッツやミッツィと呼んだ。
つまんないよ。英語わかんないよ。日本に帰りたいよ。
心のなかでそう叫んでいた。でも首を横にふり、作り笑いするしかない。
<略>
年下の男子生徒は、「おまえ、英語も話せないの? バカなの?」とまじめな顔で聞く。その子は、英語以外の言葉が存在することを、知らなかったのかもしれない。
でも、私も同じことを、自分の日記に何度もつづっていた。
「私はバカなの?」
Mitz, Smile! Cheer up! ミッツ、笑って! 元気を出して!
そう言って、自分を元気づけていた。
誰も話しかけてくれない
学校の廊下を歩く私を、まるで宇宙人が舞い降りてきたかのように、アメリカ人の高校生たちはじろじろ眺めた。向こうから話しかけてくれる人は、いなかった。
初めて高校に足を踏み入れた時のことだった。その学期の履修科目をガイダンス・カウンセラーと決めるために、ディーディーに連れられていった。
私を見つめていたのは、白人ばかり。人口2000人くらいのその町は、今も住民の97%が白人。当時、アフリカ系アメリカ人もヒスパニック系も、見かけたことがない。アジア人は私のほかに、養子として迎えられた韓国系の女の子がいただけだった。
私から話しかけなければ、友だちになれない。そう思った私は勇気をふりしぼって、Hi! と声をかけてみた。が、言葉を返してくれる人はいなかった。
ああ、無視された、と思った。人種差別? 日本人だから? 見た目が違うから? 家に帰ってマムにその話をすると、「声が小さくて、聞こえなかっただけよ。あなたは声が小さいから、私も聞こえないことがある」と言われた。
アメリカ人は比較的、大きい声で堂々と話す。大きすぎるくらいの声で話してみると、それまで通じなかったことも相手に伝わるようになった。
声が小さいために相手が聞き取れず、Huh? What? と返されると、ああ、英語が通じなかったんだ、と思い込む。そこで自信をなくし、声はさらに小さく、早口になる。あるいは話しかけなくなってしまう。
これは私だけでなく、日本人が自分の英語に自信をなくすパターンのひとつだ。ただ単に声が小さいということで、ずいぶん損をしている。
私から積極的に大きな声で話しかけなければ、友だちができない。
そう思った私は、それからは学校でも町中でも、知らない人でも、人とすれ違ったら必ず、自分から Hi! となるべく大きな声で話しかけることにした。こちらから声をかければ、たいていの人は笑顔で Hi! と返してくれる。
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